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あれから10年・・・  &  電気自動車  日産 LAEF




先日、山形県写真展を見に
県美術館に行ってきました。

途中、
車から見た蔵王の山々が優しく美しく
春が近くなってるのを感じました。


今回の写真展の審査員は若き日と変わらぬダンディーな「立木 義浩」さん、

今までの写真展に比べ今回の入選作品は風景が多かったような気がします。

以前、いろいろご指導受けたひまわりフォトクラブのyamagutiさんが準入賞、
そして入選が5点という快挙で

本当にうれしい思いでじっくり拝見しました。


そして会長さんは努力賞を受賞されてて、
其の写真は、部屋に飾りたいような雰囲気のある良い写真でした。


クラブの方々、同級生のsaitouさん、姪のご主人kさんが
入選してましたが、どれをとっても素晴らしく、
よい刺激になった一日でした。



昨日は春分の日、
前日、アルストロメリアを生産者の方から直々に
買い求めてきましたが、花に傷がなく本当に綺麗



お彼岸でもあるので
そのお花をしおりママの実家や、昨年亡くなった兄の所に
持って行きました。

兄がなくなって半年あまり・・・
あっという間ですね~。

そして20日は

夫の誕生日

元気に迎えられたことに感謝ね・・・と
二人でささやかに祝いました。




丁度10年前の今頃・・・

会社の定年を目前に、靴販売の事業を立ち上げることを聞かされ、
資金もなく、一体どうなることやら・・・と不安でいっぱいだったことを思い出します。

其の時、たまたま良い方を紹介され、共同経営者になってもらい
其の後、息子も加わり、それに若き販売力ある方や
いろんな方の協力があって、何とか無事10年を迎えることができました。

良きスタッフの方々との巡り合いに心から感謝です。

でも一番の感謝は、なんと言っても

お客様ですね。



昨年からは家にいることが多くなった夫、
忙しさに変わりなく、家にじっとしてはいませんが、

でも、車で二人で出歩くことも多くなり(運転手は私ですが・・・)

先日から古くなった車の買い替えを検討してました。


大雪の際、大変お世話になったお隣の日産からいずれは購入しようかとは思っていましたが
ふと立ち寄った際、電気自動車のリーフの試乗をすすめられ、
つい乗ってしまったら、

あらまあ、なんと快適なこと・・・・
すっかり魅了されてしまいました。

そして・・・いろいろ検討して

ついに夫の誕生日の昨日、
契約となったのです。



10日後、納車とのこと、

買い物に行った際、駐車場ですぐに見つけることができるように・・と
夫が赤い色を進めてくれたので、迷わずそれに決めました。

家を購入以来の我々にとっては高額の買い物、
未だにちょっと心臓がどきどきしてます。


夫は体力が続く限り働くと言ってますから、

ローンが終わるまでしっかり働いてもらいましょう。


そのためにも、体に良いと言われるネバネバ食品を
食卓に並べていますが・・・




納豆は毎日 とろろ芋をすったり刻んだり
 
おくらは湯がいて刻んでカツオ節をかけたり
煮たり、天ぷらにしたりしてます。

 ねばっこい海藻類はお酢を入れて・・・

黒米入りの玄米は数年前から食べてます。

後は生卵か目玉焼き、


お金も手も全くかからない
我家の朝食メニュー

夜はこれにタンパク質が加わります。


それと・・・

朝食前に、バナナ・キュウイ・ポンカン・ニンジン・そして
豆乳をいれて、ミキサーでガァーと混ぜて飲んでいます。

これを飲むようになってから、お腹の調子がいいようで、

夫は今のところ健康そのもの、

私はまあまあ(笑





ところで・・・

首都直下型の地震の事が今話題になってます。
揺れ動く日本列島、首都以外でも
何処で大きな災難に出あうか誰にも分かりません。

何をやるにも何処かに不安があります。

でも、そういうことばかりを考えてると、何でも足踏み状態になって
何もしないで人生が終わってしまいそうです。

大自然の猛威の前では人間の力は本当に無力かもしれないけど、
でも小難にする努力を精いっぱいして

後は天に任せるしかないのかも・・・と思います。

もし、災難から逃れられたときは、
大きな何かに生かされたと思うことにして、

そう思って、
今を精いぱい!

共に元気に生きましょうね。








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ジャスミンの香り & 東日本大震災から1年がたちました。




最近、ジャスミンが花開き
その香りがホンワカ~~と家の中に漂っています。

夜明けも早くなり、日中の日差しの力強さに、
ようやく、春の訪れを感じるようになりました。


あの大震災から1年・・・
この1年は今までになく早く過ぎたような気がします。

あの日山形は大きな被害もなく、一日の停電ですみましたが、
翌日の夕方見たテレビの画像に呆然・・・
大津波の惨状に言葉も出ず、ただただ画面にくぎ付けでした。

仙台に住む姉や兄、そして息子家族が無事であることが
比較的早い時間に分かり、ほっと安堵したのを思い出します。

両親が石巻出身なので、大勢の親類がいて其の安否を心配してましたが
連絡付いたのが確か1週間ぐらいたってから・・・

家を流されたりはしましたが、命をなくした人は無く、
其の時は安堵のあまり、涙が止まりませんでした。

そして。。。

福島第一原発の大事故は、日本中を震いあがらせ、
放射能汚染の問題は未だに深刻な状態です。

その原発事故から20キロ余りのいわき市に
二番目の兄家族が住んでいます。

地震で被災、そのうえ、放射線汚染で
避難生活を余儀なくされました。

其の後、いわき市の放射線量が少ないことが分かり
今は普通の生活に戻っています。

この1年、兄弟の中で、いわきの兄が一番く苦労したのではないかと思います。


そのいわきから、うれしいニュースが昨日飛びこんできたのです。

なんと!いわきの兄の孫が

東北大学に合格!!


大変な環境の中、コツコツと勉強をしていたのですね。


そういえば兄(83歳)も同じ大学

喜びも一入のことでしょう。(^^♪




そして先日、
石巻の従妹から葉書が届きました。

その従妹は、危機一髪で命は助かりましたが、
お風呂のタイルの一部が手元に残っただけで
後はすべて流されてしまったのです。

「気がかりだった全壊したお墓が山形から来たボランティアの石屋さんに
修理してもらい安心しました。
石巻市の復興計画も新年度に向かい、
少しづつ具体化していくでしょう。

春はそう遠くなく訪れようとしています。
3月11日を一区切りとしていこうと考えています」


ゆっくりとですが、前進の様子がうかがわれ
少しだけほっとしました。





震災後、私達に何ができるかと考え
まず被災地へ義捐金を送りました。

そして、この1年
夫は毎月それを送り続けています。これからも・・・です。

私に出来ることはと考え、
半年後、石巻にいき、仕事でお世話になった方や
従妹達に会ってきました。

そして被災された知り合いの方々に
時々手紙を書いたりしています。

あの時のことは忘れない

そう、思っています。






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弥生 3月  でも春はまだ先のよう・・・




「弥生」の名は「いやおい」

草木がますます生い育つから転じた言葉といわれています。


と、有る本に書いてありました。

家の周りを見渡しても、雪の山ばかりで何処にも草花など見ることは
出来ません。

そんな中、
シンピジュームが家の中で目いっぱい花開いてくれて
春の色を楽しませてくれています。







久しぶりに夫が1週間、東京に出張でした。

12月から3ヶ月間、

十数年ぶりに毎日一緒の生活で、
そろそろ出張がないかしら(笑・・と
内心思っていた所でしたので、

快く送り出しました。(苦笑

その後、友人たちと、遅ればせながらの新年会をしたり
ランチしたり、
我が家でお茶したり・・・

心行くまでおしゃべりを楽しみました。

勿論、結論の出ない、女同志のダダのおしゃべりなんですけど(^_-)-☆







まだまだこちらは雪が多く、
又例年にない寒い毎日で外の散歩なんて全く出きません。

唯一の運動は社交ダンスだけ・・・

運動不足のせいか、
肩、そして背中が凝って、気分が今一、

それに「ドライアイ」がなかなか治らず、
眼も頭もドンヨリと重い日が続いていました。

そんなわけで、久しぶりに「針治療」に・・・

車で40分走った所の飯豊町にある治療院から撮った写真です。↓



飯豊町は

家のまわりで水田を耕し、約100mほど離れた所に、

家々が分散して建っている、

散居村といわれる所です。


そして家々の西側には、何処の家にも写真↑のような
防風林があって、風から家を守っています。

この日は凍てつくような寒い日で、
遠くに見える防風林も固まってました。(-_-;)



暖かな春までには

ちょっと時間がかかりそうですね。







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