じぃじの骨頭壊死

年金生活のじぃじが一念発起!!
平成元年に発症した右大腿骨骨頭壊死症で手術せず頑張っているブログです。

伊勢神宮となばなの里-②

2009年03月23日 22時23分14秒 | 旅行
夜来の雨は朝になって止んだようだが風が強くホテル前の海は荒波が打ち寄せている。
平成21年2月23日(月)
曇天の中、行き先は屋根のある施設となると近くにある「志摩マリンランド」にする。
入場して最初に出会うのはペンギン達だが何故かプールに水がなく、元気もない。
水族館の建物入り口を入ってすぐ、ドクターフィッシュの水槽があり、手を突っ込むとワッと魚が集まって来て皮膚を突っついている。痛くもなく、くすぐったくもないが何か変な感触である。説明板によると「古い角質を食べてくれる云々」とあった。
 
ひとしきり遊んで奥に進むと昔懐かしの「ウーパールーパー」を見つけた。
オーム貝やクラゲは何度見ても見飽きない。特にクラゲは種類も多く、見ていると小宇宙のように見えてくる。
 
海女さんの格好をした女性が回廊水槽の中に入って回遊魚達に餌を与えるのを見たりしてゆっくりと見物をして外に出ると空も少し明るくなっていた。
ここまで来れば松坂も近いし、松坂牛を食べなくては意味がないと変な理屈をつけて松坂に向かう。
途中だんだんと空模様は回復に向かって突き進み、松坂市に入った頃には太陽が照り付けていた。
ガイドブックやグルメ雑誌で常連の高級店を捜して○○本店に来ると「本日休業」の看板。半分ガッカリ、半分安堵
近くに松坂市役所があるのでとりあえず駐車場に車を止め、パンフレット、ガイドブック等を眺めるが分からない。
今日は月曜日で職員が出入りしている。観光課とかあるだろうから職員に聞く、と言って娘達は市役所に入っていった。
暫らくすると戻って来て2、3ヶ所を教えて貰ったので分かり易そうな所から探す事にする。

一軒目は夕方からの営業なのでパスとなる。
二軒目の駐車場は一台も入っていないし客が居るように思えなかったが営業中のようなので入る。

ブランド牛だけあって良い値段である。四人が同じにならないように注文して少しずつ分けて食べる。
霜降りの神戸牛の強い牛脂臭もなく、とても食べやすい肉質であった。

降水確率90%がまるで嘘のように晴れ渡って気分が良い。
時間を見るとここ松坂からゆっくり走っても明るい内に「なばなの里」に到着出来そうなので出発する。
思った通り、日没一時間前に到着する。二月なのに桜が咲いている。沖縄の緋寒桜と同時期に咲く「河津桜」がほぼ満開である。
ライトアップが始まるまでの間コーヒータイムとする。ゆっくりと流れてゆく時間を楽しんで外を眺めていると暗くなって行くのと反比例してLEDが鮮やかに浮かび上がってくる。
昨年12月に来た時は日曜日だったので入園者が多く、光のトンネルや花畑では身動きが取れない状態だったが今日は月曜日平日なので1/3程度の人数でマイペースで見学出来た。

このトンネルも前回では立ち止まって写真を撮る事もままならない状態だった。
トンネルを抜けるとそこは雪国ではなく光の花畑が広がっている。
 
光の花園の中では蝶も羽ばたいている。
 
出口のトンネルを潜り抜けるとイルミネーション飾りやライトアップで昼の姿が判らないほどである。
昨年12月に来た時はバスツアーだったので集合時間に遅れないように急いだのと初めての場所での暗闇とで余裕がなく慌しい見物だったが今回は人出も少なく二度目の余裕とマイカーなのでゆっくりと堪能できた。
コメント (7)
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伊勢神宮となばなの里

2009年03月21日 22時00分16秒 | 旅行
豪華伊勢海老料理一泊二食三万円が半額の一万五千円優待券が当ったので伊勢志摩国立公園にある浜島温泉のホテルに行く事になる。
平成21年2月22日(日)
伊勢志摩方面には過去5回ほど行ったけれど電車とバスの乗り継ぎや観光バスツアーだったので自由がなかったが今回はレンタカーを借りて、目的は豪華料理なので特に行き先にはこだわらなかった。
伊勢志摩と言えば外せないのが伊勢神宮。時間があれば外宮にお参りしてから内宮へ参拝するのが良いのですが以前来た2回とも内宮のみだった。今回も内宮一直線となる。
神宮に近づくにつれ、車は動かなくなってゆく。沿道には民間の有料駐車場が多くあったが殆んどが満車のサインをだしている。
しばらく渋滞の中でイラついていると誘導員が手招きしている、かなり手前のような気がするがそれに随って車を入れる。
駐車場を出るとそこは「おかげ横丁」の入り口だった。お祭りかイベントの日の様な賑わいでごった返していた。
賞味期限を誤魔化した「赤福本店」が営業再開して長蛇の列を成していた。
 
その「赤福本店」を横目におはらい町通を内宮への大鳥居を目指して歩く。
おはらい町には旨そうな食べ物が足を引き止めるのでなかなか鳥居に辿り着かない。
 
ようやく辿り着いて鳥居をくぐって五十鈴川に架かる橋を渡ろうとしたら修理中だった。
でもご心配なく、横にちゃぁんと仮橋があってそこを通ってお参りする。
20年に一度の遷宮が控えているので、あちこちが工事中や柵で囲ってあるので絵(写真)にならない。

予定の時間に一時間遅れでホテルにチェックインして即、まずは温泉に入る。
美人の湯として肌がしっとりなるとの事であったが、これはPH9と言うアルカリ性の為、肌がヌルヌルする。
 
温泉、風呂上りの後の楽しみはやっぱり食事でしょう!!!!!
城崎の松葉蟹フルコースのように満喫出来る伊勢海老コースと期待が膨らんでいるので・・
 
思ったほどの豪華さではなかった。これで三万円は出せないと思った。
この程度ならトラピや読売、クラツーで出来そうな・・・
第一夜は過ぎて行く。
明日の予定は今のところ未定である。何処に行こうか?天気予報は80%で雨模様。
屋根のある施設に、、と考えると水族館かなぁ

お楽しみに
コメント (3)
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50年ぶりの修学旅行

2009年03月18日 19時28分52秒 | 旅行
5年前、田舎の中学校同窓生が還暦記念同窓会として一泊で伊勢神宮にお参り、ご祈祷を受けた夜は大宴会と二次会カラオケ、部屋に集まっての三次会と大盛り上がりの大騒ぎが忘れられなくて今年は四回目の一泊同窓会です。
≪テーマは【修学旅行】です≫
中学の修学旅行は【奈良・京都一泊旅行】だったので同じ場所で写真を撮り、同じコースを辿る。
平成21年3月15日(日)
バスは順番に卒業生を拾いながら奈良に向かう。バスに乗った時点から缶ビールが回ってくる。
  
まずは興福寺、五重塔。鹿とボランティアガイドに引き連れられて見物する。
鹿は角が切ってあるので怖くなかった。角があると大きく見えて近寄って来るとドキッとして身構えた事を思い出した。
 
昼食会場は若草山の麓にある何故か包丁屋(刃物屋)さんの二階であった。
 
東大寺大仏殿は流石に大きく、大佛様も距離感がなくなって大きさの実感がなかった。
宇治の平等院と言えば朱色が鮮やかな印象だったがくすんだ色合いで今にも壊れそうなたたずまいに驚いた。
平等院前の駐車場で出発を待っていると一人が帰って来ない。20分後実家経由で幹事の携帯にかかって来た。携帯は家に置いて来たので公衆電話を見つけて現在地の目印を知らせて来たらしい。
ようやく迎えに行き、30分遅れでホテルに向かう。教訓≪携帯は携帯しましょう≫
 
ホテル到着、即風呂に入り大宴会場へ行く。宴会でも大盛り上がり、ニ次回は二部屋貸切のカラオケ大会、午前零時に追い出され、部屋に集まってワイワイガヤガヤ。自室に帰って寝たのが2時過ぎとなった。

平成21年3月16日(月)

 
清水の舞台では桜の蕾も固かった。縁結びの「地主神社」にはお参りしなかった。
 
今日の金閣寺は穏やかだった。池も鏡のようにくっきりと映している。
 
最後は嵐山、渡月橋辺りを自由散策で修学旅行は終了した。
帰路のバスの中で次回二年後の幹事を決めて無事家路に着いた。めでたしめでたし
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隣保の葬式

2009年03月12日 19時39分15秒 | 故郷の空
田舎の母から、四年前に父の葬儀で御世話になった当時の隣保長のお父さんが亡くなったと電話があった。
平成21年3月10日(火)
今日は19時から通夜なので朝の内に自宅を出る。
市バス、ハイウェイバス、路線バスを乗り継いで15時に田舎の実家に到着する。
亡父の略礼服に着替える。腹回り以外はサイズが同じなのでベルトで締める。
葬儀会場まで歩いて約20分、会場に到着した頃には少し汗ばんできた。
隣保(自治会)の人達は朝から準備と弔問客の受付をやっている。何をすれば良いのか聞いて、受持ちの役割を始める。
記帳は弔問客でなく受付の筆自慢が香典袋に連番を打ち、記帳簿に転記してゆくので時間がかかる。
私の役割は香典袋に連番を打つ、転記済みの袋の番号を確認し番号順に糸に通し100枚で綴じる。
受付は屋根はあるものの壁が無く吹きっさらしなので寒い。一応シートでカバーしてはいるが・・
屋外で焼香待ちをしている人達は数ヶ所に焚き火を用意しているが寒そうだ。小雨も降ってきたがすぐに上がる。
通夜なのに弔問客は300名オーバーで読経が終っても記帳の処理が終らず、明日の葬儀が始まるまでに処理出来るとして今日は終わりにする。
明日は9時から受付集合で葬儀は13時から、我々は3時には帰れそうなので明日中に帰宅出来そうである。

平成21年3月11日(水)
約束通り8時45分に車で迎えに来てくれた。9時に受付開始、昨夜の続き(記帳)から始める。
先発隊は7時から準備をしているらしい。今日は昨夜より寒くなっている。薄日は射すが風が冷たい。
今日も約300の処理をした。昨夜と違ってうまく分散してきたので意外と早く終わって15時に帰れた。
母に「定額給付金」の申請書が来ていたので必要事項を記入して封筒に入れ、ポストに投函する。
帰りにバスの時間を確認すると15時47分があったので大急ぎで帰る支度をする。
バスは定刻発車しハイウェイバスに乗り換えようと中国自動車道の階段を登り始めて上を見るとバスが発車するのが見えた。残念!!ここで1時間待ちとなる。

この階段沿いに「ミツマタの木」が植えてあった。写真を撮ったが日が落ちて来たのと遠いので上手く撮れない。
小学生か中学生の頃か忘れたがミツマタの皮剥ぎのバイトがあった。和紙の原料になるとの事で、噂では「お札になるよ」。
蒸した熱々の木から皮を剥ぎ取る。今頃かもっと寒い頃か、熱くなった手を横の雪で冷やしたような記憶がある。
バイト代は剥ぎ取った後の木で、束ねて持ち帰った。この木は軽くて良く燃えるので風呂やかまどの薪に重宝した。

母は88歳になるが天然呆けはあってもアルツや痴呆では無さそうなので当分は一人でも大丈夫かな、と思う。
まあ同じ話の繰り返しや昔の話の愚痴などは仕方が無い。
コメント (1)
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ぢっ地震!!

2009年03月08日 23時20分32秒 | つぶやき
平成21年3月8日(日)
今朝6:00かすかな揺れがあり「あれっ」と思った瞬間、ぎしぎしっと変な揺れが来た。
嫌~な揺れ方(阪神淡路大地震のような)だったが一瞬だったのでホッとした。
この辺りの震度は”1”と知って愕然とした。潜在意識の中にあの恐怖が居座っているのだろう。
まあ仕方が無いだろう、今でも寝床で揺れる感じがして目が覚める事があるのだから・・・
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【泡盛】との出会い-Ⅱ

2009年03月02日 22時52分03秒 | お酒の話
【初泡盛の終】
 天気に恵まれたゴールデンウイークの与論島も最後の夜となった。
民宿の爺さんが庭にゴザを広げて海で獲って来たタコ、鮑。サザエや魚の刺身を用意して別れのをしてくれた。
この爺さんは戦争で左腕を失くしたけれど素潜りで10m程潜って漁が出来る、と新聞に載った事が自慢だと言っていた。
 南国の乾いた空気と開放感、月明かりの下で呑む焼酎「有泉」は次第に口になじみ、酔いと共に抵抗無く喉を流れてゆく。
最終日、港で小船に乗ってリーフの先に停泊している大型フェリーを目指す。目を港に移すと若いお兄さんが大きく手を振って突然海に飛び込んだ!!横に居たお姉さんはそれを見て「また来るからね~」と感激の涙を流している。
民宿のお兄さんのパフォーマンスが決まった瞬間だ!
小船がフェリーに到着し、縄梯子で長女を抱えて乗り移ると帰路となる。

何時もと変らない日常の中で、この旅行の興奮が醒めた頃、自分の土産に買っておいた焼酎「有泉」黒ラベル(ちょっと高い)を呑んでみた。う~ん やっぱり呑みにくい・・芋焼酎ほどではないが臭い、甘い・・
これはどうやら現地の気候風土環境が必要なのかも知れない。駅弁や土地の名物を自宅で食べても感激が少ないのと同じかも。。。。。

 このブログを書き始めて気が付いた。
有泉は泡盛ではなかった。奄美大島の焼酎と同じ黒糖焼酎だった。記憶の中で泡盛の「瑞泉」と入れ替わっていたようである。
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【泡盛】との出会い

2009年03月01日 22時19分56秒 | お酒の話
【初泡盛の序】
 32年前(1977年)32歳結婚3年で2歳の長女を連れて友人達と5月連休に与論島に行った時の話。

 その頃はお酒に目が無く、種類、味にこだわりが無く酔えれば良いとばかりにウイスキー、ブランデー、日本酒、どぶろく、ビール、ワイン、果ては梅酒用のホワイトリカーや赤玉ポートワインまで飲んでいた。
ただ一つ、飲めなかったのが芋焼酎であった。「薩摩白波」等の芋焼酎特有の甘ったるい臭いが受け付けなかった。

 与論島に行くのには伊丹空港からYS-11で与論空港へ一直線に飛ぶのが良いのだけれど人気がありチケットが取れない。
最悪のコースとなった。新大阪から新幹線で博多へ、福岡空港から鹿児島空港は行き南鹿児島港から大型フェリー(クイーンコーラル)に乗り込んだ。
出港待ちでフェリーのデッキから眺めていると一升瓶をぶら下げた酔っ払いがフラフラと歩いており、つまずいた拍子に一升瓶を落とした。
暫らくすると芋焼酎の甘ったるい臭いが漂ってきた。船は未だ動いていないのに「船酔い気分」となって慌てて船室に帰る。ようやく出港して錦江湾の出口辺りでイルカが見えたり飛び魚が飛んでいたりしているのを見て気分もようやく治まった。
与論までの途中、種子島や屋久島、奄美大島など島々を巡って「牛」を降ろしたり自転車で島巡りをしている若者が乗って来て次の寄港地で降りたりして、約20時間かけて与論に到着する。
与論島は周囲を珊瑚礁のリーフに囲まれており、大型船が入れ無いので小さな船、艀に乗り移る。海賊船からボートに乗り移るように縄梯子を伝って2歳の長女を抱えて移ったのは貴重な体験だった。
それから数年後、大型船も着岸出来る港が出来たとニュースで知った。珊瑚のリーフが壊されてしまった、、と悲しくなったのを憶えている。

さて、肝心のお酒の話。
旅行雑誌やパンフレットによると「与論献奉」なるものがある。
島外からの客人をもてなすのに土地が痩せており農産物も貧しく海で獲れたものと焼酎を腹一杯御馳走する。昔は大杯かどんぶり茶碗になみなみと注いで回し飲みをする。らしい。
最近では(当時の事)無理強いはしないとの事であったが風習として残っているらしいので戦々恐々として民宿に到着する。
部屋に案内され、荷物を置くと早速台所に連れて行かれて民宿の御主人が真新しい一升瓶を開けてコップに注ぎ始めて言った。
「昔はこの一升瓶がなくなるまで回し飲みをやったもんだがねぇ。。急性アルコール中毒でぶっ倒れられても困るので無理をしないでいいですよ」と言われてホッとする。
焼酎有泉25度のラベルを横目で見てコップ1/4を含み次に廻す。きつめの酒を飲み下す。
芋でもない、麦でもシソでもない初めての味で”これが泡盛か”と感激したが矢張り焼酎の臭いなので呑みにくい。

5月連休、ゴールデンウイークの間中、持って来たウヰスキーを呑んで夜を過ごした。
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