じぃじの骨頭壊死

年金生活のじぃじが一念発起!!
平成元年に発症した右大腿骨骨頭壊死症で手術せず頑張っているブログです。

隣保の葬式

2009年03月12日 19時39分15秒 | 故郷の空
田舎の母から、四年前に父の葬儀で御世話になった当時の隣保長のお父さんが亡くなったと電話があった。
平成21年3月10日(火)
今日は19時から通夜なので朝の内に自宅を出る。
市バス、ハイウェイバス、路線バスを乗り継いで15時に田舎の実家に到着する。
亡父の略礼服に着替える。腹回り以外はサイズが同じなのでベルトで締める。
葬儀会場まで歩いて約20分、会場に到着した頃には少し汗ばんできた。
隣保(自治会)の人達は朝から準備と弔問客の受付をやっている。何をすれば良いのか聞いて、受持ちの役割を始める。
記帳は弔問客でなく受付の筆自慢が香典袋に連番を打ち、記帳簿に転記してゆくので時間がかかる。
私の役割は香典袋に連番を打つ、転記済みの袋の番号を確認し番号順に糸に通し100枚で綴じる。
受付は屋根はあるものの壁が無く吹きっさらしなので寒い。一応シートでカバーしてはいるが・・
屋外で焼香待ちをしている人達は数ヶ所に焚き火を用意しているが寒そうだ。小雨も降ってきたがすぐに上がる。
通夜なのに弔問客は300名オーバーで読経が終っても記帳の処理が終らず、明日の葬儀が始まるまでに処理出来るとして今日は終わりにする。
明日は9時から受付集合で葬儀は13時から、我々は3時には帰れそうなので明日中に帰宅出来そうである。

平成21年3月11日(水)
約束通り8時45分に車で迎えに来てくれた。9時に受付開始、昨夜の続き(記帳)から始める。
先発隊は7時から準備をしているらしい。今日は昨夜より寒くなっている。薄日は射すが風が冷たい。
今日も約300の処理をした。昨夜と違ってうまく分散してきたので意外と早く終わって15時に帰れた。
母に「定額給付金」の申請書が来ていたので必要事項を記入して封筒に入れ、ポストに投函する。
帰りにバスの時間を確認すると15時47分があったので大急ぎで帰る支度をする。
バスは定刻発車しハイウェイバスに乗り換えようと中国自動車道の階段を登り始めて上を見るとバスが発車するのが見えた。残念!!ここで1時間待ちとなる。

この階段沿いに「ミツマタの木」が植えてあった。写真を撮ったが日が落ちて来たのと遠いので上手く撮れない。
小学生か中学生の頃か忘れたがミツマタの皮剥ぎのバイトがあった。和紙の原料になるとの事で、噂では「お札になるよ」。
蒸した熱々の木から皮を剥ぎ取る。今頃かもっと寒い頃か、熱くなった手を横の雪で冷やしたような記憶がある。
バイト代は剥ぎ取った後の木で、束ねて持ち帰った。この木は軽くて良く燃えるので風呂やかまどの薪に重宝した。

母は88歳になるが天然呆けはあってもアルツや痴呆では無さそうなので当分は一人でも大丈夫かな、と思う。
まあ同じ話の繰り返しや昔の話の愚痴などは仕方が無い。
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1 コメント

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Unknown (TAKASU)
2009-03-14 18:52:44
旅爺様、掲示板の方有り難う御座いました。
出来るところから修正します。
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