じぃじの骨頭壊死

年金生活のじぃじが一念発起!!
平成元年に発症した右大腿骨骨頭壊死症で手術せず頑張っているブログです。

【泡盛】との出会い

2009年03月01日 22時19分56秒 | お酒の話
【初泡盛の序】
 32年前(1977年)32歳結婚3年で2歳の長女を連れて友人達と5月連休に与論島に行った時の話。

 その頃はお酒に目が無く、種類、味にこだわりが無く酔えれば良いとばかりにウイスキー、ブランデー、日本酒、どぶろく、ビール、ワイン、果ては梅酒用のホワイトリカーや赤玉ポートワインまで飲んでいた。
ただ一つ、飲めなかったのが芋焼酎であった。「薩摩白波」等の芋焼酎特有の甘ったるい臭いが受け付けなかった。

 与論島に行くのには伊丹空港からYS-11で与論空港へ一直線に飛ぶのが良いのだけれど人気がありチケットが取れない。
最悪のコースとなった。新大阪から新幹線で博多へ、福岡空港から鹿児島空港は行き南鹿児島港から大型フェリー(クイーンコーラル)に乗り込んだ。
出港待ちでフェリーのデッキから眺めていると一升瓶をぶら下げた酔っ払いがフラフラと歩いており、つまずいた拍子に一升瓶を落とした。
暫らくすると芋焼酎の甘ったるい臭いが漂ってきた。船は未だ動いていないのに「船酔い気分」となって慌てて船室に帰る。ようやく出港して錦江湾の出口辺りでイルカが見えたり飛び魚が飛んでいたりしているのを見て気分もようやく治まった。
与論までの途中、種子島や屋久島、奄美大島など島々を巡って「牛」を降ろしたり自転車で島巡りをしている若者が乗って来て次の寄港地で降りたりして、約20時間かけて与論に到着する。
与論島は周囲を珊瑚礁のリーフに囲まれており、大型船が入れ無いので小さな船、艀に乗り移る。海賊船からボートに乗り移るように縄梯子を伝って2歳の長女を抱えて移ったのは貴重な体験だった。
それから数年後、大型船も着岸出来る港が出来たとニュースで知った。珊瑚のリーフが壊されてしまった、、と悲しくなったのを憶えている。

さて、肝心のお酒の話。
旅行雑誌やパンフレットによると「与論献奉」なるものがある。
島外からの客人をもてなすのに土地が痩せており農産物も貧しく海で獲れたものと焼酎を腹一杯御馳走する。昔は大杯かどんぶり茶碗になみなみと注いで回し飲みをする。らしい。
最近では(当時の事)無理強いはしないとの事であったが風習として残っているらしいので戦々恐々として民宿に到着する。
部屋に案内され、荷物を置くと早速台所に連れて行かれて民宿の御主人が真新しい一升瓶を開けてコップに注ぎ始めて言った。
「昔はこの一升瓶がなくなるまで回し飲みをやったもんだがねぇ。。急性アルコール中毒でぶっ倒れられても困るので無理をしないでいいですよ」と言われてホッとする。
焼酎有泉25度のラベルを横目で見てコップ1/4を含み次に廻す。きつめの酒を飲み下す。
芋でもない、麦でもシソでもない初めての味で”これが泡盛か”と感激したが矢張り焼酎の臭いなので呑みにくい。

5月連休、ゴールデンウイークの間中、持って来たウヰスキーを呑んで夜を過ごした。
コメント (2)
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