活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

雪男たちの国 -ジョージ・ベルデンの日誌より

2009-02-14 21:33:29 | 活字の海(書評の書評編)
著者:ノーマン・ロック(河出書房新社・1470円) 評者:池澤夏樹
訳者:柴田元幸

サブタイトル:「スコット隊の最期」の美しい幻覚

※ この書評の原文は、こちらで読めます。


この小説。
いわば、不条理日記((C)吾妻ひでお(笑))である。

だが、小説というものが作家の産物である以上、どのような不条理も
不合理も、すべては作家の思うがまま。

その作品世界においては、作家はまさに神なのだから…。

だが。
その不条理も。
読み手の共感を得なければ、ただの乱脈な文章の羅列にしか過ぎない。
勢い、誰にも顧みられず、忘れ去られていく存在でしかなくなる。

その一方で、どんなに不条理でも、そこに読み手の心を捉える何かが
あれば、不条理故に優れた作品として、世に名を残すことにもなる。


この書評の冒頭で、評者が「ものすごく変な小説を読みたい」と
語っているのは、勿論後者である。

作者の手の中でいいように転がされまくるものの、それが不快では
なく、むしろ快感に繋がるような。
そんな作品をこそ、読み手として評者は求めているのだろう。

そして、この作品「雪男たちの国 -ジョージ・ベルデンの日記より」
も、相当に不条理かつ魅力に満ちた作品のようである。


作品の舞台は、現代。
南極点到達一番乗りを目指して競い合っていたスコットとアムンゼンの
話は、あまりにも有名であり、ここで繰り返すまでもない。
そのスコット隊(一応念のために、一番乗りを逃し、かつ全滅して
しまった悲劇の隊の方である)。

その悲劇を顕彰すべく記念碑を建立することとなり、その依頼を受けた
建築家ジョージ・ベルデンが、この小説の主人公である。

彼が、フィラデルフィアにある自宅で就寝した後、ふと目が覚めると
そこは南極のスコット隊のテントの中。しかも自分はスコット隊の
備品係の一人として認知されている状況である。

既に事態は末期的で、隊は絶滅の寸前の状況下にある。

彼が、あくまでジョージ・ベルデンという備品係としてそこに存在
していたのか、あるいは他の人格に憑依したような形になっている
のかは、この書評からは不明である。

だが、このシチュエーションだけでも相当に不条理なのに、作者は
そこから更に話を迷宮へと導く。

隊員の一人が、テントの外に自分の妻を見る。それも、赤い絹の
ドレスを着て、ショールを羽織り、ヒールのついた靴を履いている
というその時点で、これが幻覚であることは誰の目にも明らかである。

にも拘わらず、その隊員は妻から貰ったというハンカチを持っている。

冷静に考えれば、元々持ってきたものではないか?とも思うしか無いが、
そうでないとなった瞬間、もう話はカオスに叩き込まれる…。

そのカオスをどう収集していくのかが、作家の腕の見せ所。
そして、どう気持ちよく翻弄されるのかが、読者の醍醐味というもので
ある。

有り得ないカオス=不条理を具現化するために、作家は次々に糸を
繰り出す。
そして、その糸に絡め取られていくとき。
その糸の感触に恍惚となるか、不快感を覚えるかにより、読み手にとって
その作家を、あるいはその作品を受け入れられるかが決まる。

そして評者は、絡め取られて快感を覚えた口だったようである。

そうした出会いこそが、読書の喜びの真髄の一つ。
そう考えたとき、この評者はとても幸せな時間を作家によりもてなされた
こととなる。

この本が、僕にとって、その喜びをもたらしてくれるものとなるかどうか、
それはこれからのお楽しみである。


(付記)
ネットで検索してみると、この本の作者は劇作家でもある、とのことだ。
確かにこうした不条理感は、芝居空間では結構馴染み深いもののように
思える。

(付記×2)
カオスをもたらすものが、作家であるとは限らない。
作品を著わすのは確かに作家では有るが、作中人物がまるで原稿用紙の
行間からその身を起こし、語り掛けだすかのような。そんな体験をした
作家は多いと聞く。

(古くは、平井和正の自称”言霊使い”、小川洋子も同種のことを
 コラムで語っていた)

そのことが、作家の潜在意識によるものなのか。
あるいは、作家以外に拠って来るべき何かなのか。
いずれにせよ、作品を一番最初に楽しめるのは誰かといえば、それは
作家であることは間違いが無く、そうした経験をするということは、
それはそれで途轍もなく稀有な読書という意味では、とても幸せな
読み手としての時間をその作家は過ごせた訳である。

しかも、そうして起こした作品が、更に他の読者に同種の思いを
拡大していくとなれば、活字中毒としての喜び、ここに極まれれり
といったところではないだろうか。

(この稿、了)


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