活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

正義のかたち  死刑:日米家族の選択 ①

2009-02-15 22:28:20 | 活字の海(新聞記事編)
2009年2月15日(日) 毎日新聞 朝刊1面 記者:武本光政

サブタイトル:もう人が死ぬのは嫌
       義母は殺された。弟は殺人被告に

※ このコラムの元記事は、こちらで読めます

その日の朝刊1面の中で、もっとも大きなポイントを指定された
サブタイトルの文字。

 「もう人が死ぬのは嫌」

毎日新聞という新聞のいわば表札よりも大きなポイントで書かれた
その文字が、何よりも雄弁にその記事のベクトルを指し示すようだ。

第1回の連載で取り上げられたのは、一人の女性。
彼女は、21年前に義母が殺人事件に巻き込まれるという不幸に
遭遇している。

そして、その6年後、今度は自分の弟が3人の人を殺めた事件を
起こしている。

二つの殺人事件に好むと好まざるとに関わらず、関わってしまった
その境遇を考えるとき、第三者が軽々にわかったような口ぶりで
所感を述べることの不謹慎さを、まず思う。

だが。
不遜を承知で、敢えて言わせていただくと…。

この記事で、記者が訴求したいポイントが腑に落ちないのだ。

素直に読めば、サブタイトルのとおりなのかも知れない。

被害者、加害者双方の立場にある、あるいは近しい彼女の口から
言わしめた、この言葉。
※ 記事中で、直接彼女の口からこの言葉が出た、という表現は
  無い。

もとより、刑を決するのは裁判官であり、遺族ではない。

が、しかし。
遺族感情の考慮が重んじられるようになってきたこと。
更に、裁判員制度の導入により、より市民感情が判決に影響を
与える機会が増したこと。

こうした世情の中、この言葉が世の中に訴えかけるものは、
明確な死刑反対のメッセージだ。

そしてそれは、記者の、ひいては毎日新聞のスタンスでも有る
のだろう。

では、死刑ではなく、どのような処遇を求めるのか。
その問いに対する答えは、この記事の中には無い。

ただ、印象的だったのは、彼女が拘置所に収容されている弟を
訪問した後の言葉だ。
それ以降、一度も訪問しないことについて、彼女は「ご遺族の
ことを考えたら、弟は優しくされちゃだめなんです」と語る。

世間から冷たく拒絶されること。絶対的な孤独の中にいること
こそが、与えられた罰のひとつ。

彼女がそう感じる思いは、理解できる。

だが、その末に刑期を終え、世の中に解放されたものが、矯正を
終え、真っ当な人生を歩むようになるのだろうか。

とても、そうは思えない。

結果として、更なる犯罪被害としての死の拡散がもし生じた時、
誰がその責任を負うのだろうか。

そのリスクを侵してまでも、死刑は回避されないとならないもの
なのだろうか。

この問いに対する答えを、あるいはスタンスを、記者には是非
連載の中で示していただきたいと、切に思う。

(この稿、了)


(付記)
本来、連載が終わり、記者のスタンスをきちんと確認してから
書くべきだったのでしょうが、敢えて日々刊行される記事に
合わせてコラムを起こしてみました。

幸い、毎日新聞のHPにも記事は掲載されるようなので、
これからもできるだけ毎日追っていきたいと思っています。

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