活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

ロシア文学の食卓

2009-02-22 22:24:49 | 活字の海(書評の書評編)
著者:沼野恭子(NHKブックス・1218円)
評者:井波律子 2009年2月22日(日) 今週の本棚より

サブタイトル:死に連なる過剰な食欲の危うさ

※ この書評の原文は、こちらで読めます


古代ローマの国父と言われたキケロの名言として、

 「食べるために生きるな。生きるために食べろ。」

というものがある。

一般に、食べること=食欲は、性欲、睡眠欲と並んで、本能の
三大欲求と称される。

それらが、人間の原初的行動に根付いたところからくる欲求で
あればこそ、それらを生きることの主ではなく従とすることが、
人間としての精神の発現であるということが、キケロの真意だろう。

一方。
人間も動物である以上、マズローに示唆されるまでもなく、
まずそれらが充足しないと次のステップに進めないことも
また、事実である。

些か大上段に構えるならば、人間の歴史はそれら欲望の充足
との戦いの歴史であるが、富や自然の恩恵が世界では決して
普遍ではなく、偏在していることから分かるように、世界の
各地域における食文化や性文化は、その外部環境のもたらす
影響を受けて、実に多様な特性を示している。

それでは、酷寒の地ロシアでの食文化とは、如何なるもの
なのか…。


前振りが長くなってしまったが、この作品。
表題のとおり、ロシア文学における食事の情景を通じて、
「ロシア文学ひいてはロシア人の特性を鮮やかに浮き彫りにする」
ものである。

著者は本書の構成にも工夫を凝らしていて、
「前菜、スープ『第一の料理』、メイン料理『第二の料理』、
 サイドディッシュ、デザート、飲み物と、全六章仕立て」と
なっている。

それらの章を通じて紹介される、ロシア文学における食事の
シーンは、これでもかとばかりのボリューム感に満ちている。

そこに繰り広げられるあくなき食宴の情景から、著者は
ロシア人の食への欲求が、時としてその過剰感から死を
予兆させる程のものであるであると主張する。

そして、ロシア文学における食の基本的な主調が、その
過剰性にあると喝破する。

このことは、実際のロシア人の食生活と照らし合わせて見ると
面白い。

現実には、ロシア人の食生活は長らく続く冬の影響もあり、
ボリューム感はともかくかなり質素なものだという。

長期に渡る寒季は、勢い保存食中心の食生活を庶民にもたらす。

このことは、流通機構が進化してきた現在となっても、
文化の根底を培うものとして存在し続けている。

更にもう一つ。ロシア人の精神を形作る上で重要な要素となって
いるのが、ロシア正教である。

ロシア正教は、先に述べたロシアの実生活とも呼応したのかも
しれないが、断肉週等の食事に何らかの制約をもたらす日々が、
一年のうち200日にも及ぶという。

そうしたつましい生活を送っていたロシア人が、せめて文学の
中では豪華絢爛たる食卓を堪能するために、ロシア文学における
食事の情景が過激になっていったと考えることは、うがち過ぎ
だろうか?

ともあれ。
本書で紹介された、数々の文豪の手による食卓の風景。

氷点下は遥かに下回る過酷な屋外から帰宅し、凍え切った体に
ウオトカを流し込んで胃から喉を焼いた後に、じっくりと暖炉の
火で煮込んだボルシチを家族で食する。

そこからは、まるでボルシチやシチ(キャベツのスープ)、
ピロシキの香りが鼻腔をくすぐるかのようだ。

そんな本書を、評者は最高の言葉で礼賛する。
以下、引用して、このコラムを締め括ろう。

「読み終わるや、引用されているロシアの小説が読みたくなり、
 ロシア料理が食べたくなる魅力あふれる一冊である。」


※ 現代ロシアにおける食生活については、佐藤華緒理さんの
  HPを参照しました

  有難うございました。


ロシア文学の食卓 (NHKブックス)
沼野 恭子
日本放送出版協会

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(この稿、了)

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