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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ながむとて花にも

2009年03月25日 20時07分34秒 | Weblog
          西行法師の花にもいたくとよまれし歌を吟じて
      
        ながむとて花にもいたしくびの骨     宗 因

 この句、万治元年(1658)刊の『牛飼』ほかの書に出て居るが、前書きの有無、内容も一様でない。この前書きは、真蹟といわれる短冊による。

 前書きにいう西行の歌とは、『新古今和歌集』巻二・春下の
        眺むとて 花にもいたく 馴れぬれば
          散る別れこそ 悲しかりけれ
 をいい、宗因の句は、そのパロディーである。
 はかない花のいのちを惜しんで、あまりにも熱心に樹上を仰ぎ眺める日々が続いたので、首の骨が痛くなってしまった、という意である。

 「ながむとて花にも」とくれば当然、「いたく馴れぬれば」と続くことが予想されるのに、その期待をくつがえして突然、「いたしくびの骨」という通俗言語が接続される。
 このとき、本歌の「いたく」(甚く=たいそうの意)は、「いたし」(痛し)という同音異義語に転じられ、その結果、和歌の幻想世界は急転直下、卑俗な現実世界へ突き落とされるのであって、ここに生じる「笑い」がすなわち俳諧なのである。
 この下降化・通俗化・現実化こそ、談林俳諧のいのちなのだが、「散る花の別れを惜しむ」という伝統的本意は、そのことによって少しも歪められはしない。どんなに謎めいた談林の句でも、本意思想がキー・ワードをなしている場合が少なくない。このことは覚えておくといいだろう。

 これまで「談林派」・「花むしろ」・「ながむとて花にも」と、3回つづけて宗因の句について述べてきた。これには理由があるのだが、それはまたのことにして、“宗因風の特色”について考えてみたい。
 宗因の俳諧も、本質的には貞門風とそう大きく違わない。貞門が、俳諧的表現の手段として常用した、縁語・掛詞・もじり・比喩・見立てなどなどの技巧もすべてそのまま踏襲している。

 宗因風――後世、それを談林と呼ぶ――の特色を考える場合、まず、上記の点を押さえてかかる必要がある。それにもかかわらず、当時の俳壇が宗因風、宗因風と熱狂的にこれを支持したのはなぜなのか。
 問題はふたたび、貞門が消極的ながらやっていた俗語と滑稽の強化拡大というところにもどってくる。


      かげろふや石の地蔵の口うごく     季 己