江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

おじさんの冒険散歩…花小金井

2015年04月06日 17時57分47秒 | Weblog

1、昨日は雨模様で皆様、イジイジしておられたのではないか?今日はいいお天気で吾輩も外出したい。そこで、以前都の水道局の図書館で、野火止用水散歩を思い出した。

2、西武新宿線の花小金井駅。ここから2つ先の八坂駅間まで、約4.8km。ここは桜の多い散歩道。花小金井がどういう意味の名前かわからないが、まさに、花小金井でありました。

こういう歴史背景を知らないと、おもしろくないよね。

八坂駅の近くに、「九道の辻」公園がある。ここは昔、江戸道・引股道・宮寺道・秩父道・御窪道・清戸道・奥州街道・大山街道・鎌倉街道が交わる交通の要衝であったらし。   かって新田義貞も鎌倉街道=現在の府中街道を武蔵の国府、そして鎌倉を目指して進んだのであろう。現在は7本の道が交差というが、吾輩が見る限り5本であったな。数え方が違うのかな。

3、八坂駅近くの九道の辻公園に面して、野火止用水が流れている。これに沿って、玉川上水駅まで、約5.3kmを歩こうというもの。

西武国分寺線が野火止用水をまたいでいる。

野火止用水は現在環境整備の一環で整備されているが、昔は無用の長物として、暗渠=地下の土管に貶められていたのだろう。栄枯盛衰は何も人間ばかりでない。今は大きな鯉が悠々と泳いでいる。

桜は都心より1日ぐらい遅れているかなって感じ。だが、桜の満開の一方で、武蔵野の くぬぎばやし の若芽が桜を押しのけるように目を吹いている。自然の摂理。

野火止用水に浮かぶ花びら&花びらの溜まりとめ

4、野火止に沿って歩いているうちに、右足の裏に豆が出来で、歩きずらい。ついにこれ以上をあきらめ、西武線・東大和駅に乗ることに。 ここ東大和は、その昔、青梅橋駅といったそうな。それは江戸時代、ここが青梅街道と野火止用水とがクロスするところで、大きな橋があって、ランドマークみたいな役割をはたしていららしい。それが野火止用水は必要ないとして、暗渠=地下の土管に代えられ、その結果、有名な青梅橋が撤去され、駅名もそれに地域の名の青梅橋もすたれてしまった由。栄枯盛衰は人間ばかりでもないらしい。

5、こうして吾輩は東大和という戦艦みたいな駅から、玉川上水駅まで電車。ここでモノレールに乗り換え、多摩川を越え、室町時代の 「たちかわら」の合戦を想像しながら、高幡不動まで、ここで京王線に乗り換え新宿まで。

小さな旅が、東京を西半分探索するような大旅となって、くたびれました。 おわり

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花の命は短くて  | トップ | 1年前の 4月14日  千... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事