シシリー島はかってローマの穀倉地とされた植民地であった。
その片鱗を見ようと思ったが、残念ながら小麦畑の大穀倉地を見えなかった。
それでもかような農地生産には奴隷労働力が必要であっただろうと想像がつく。トラクターも耕運機のない時代は、馬・牛・人間奴隷しか生産性を維持する手段がない。
そいう現代にも続く過疎地をバスで進む。ロングどらいぶで、シチリア半島の東南部のシラクーザに。
ここシラクーザは、ギリシャ・ローマ・ヴァンダル族・ビザンチン&法皇領・サラセン・ノルマン・フランスと、長い歴史でこれほど見事な層的歴史を示すところもない。血で支配を決定するという典型的な要衝の地である。
かって、ギリシャとローマの戦いで、この地出身のアルキメデスが、対ローマ軍に各種戦闘兵器を考案しローマに抵抗したが、サラク―ザの陥落の混乱時に殺害された。こうしてローマの支配下に。
877年には、アラブによるシラくーザ攻防戦。ビザンチン帝国の援軍が来ない中で、現地ビザンチン軍ンが壮麗な敗北・虐殺がおこなわれた。その後、ノルマン人王朝がシラクーザからアラブ人を追い、パレルモにシチリアの首都を置いた。
シラクーザはノルマンの城
ギリシャ時代の建造物あと