江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

北桔橋

2019年06月25日 19時53分00秒 | Weblog
今日6月25日は3日ぶりのいいお天気。
 
午前中、某会社の株主総会に出席してみたが、お土産を廃止したのはなんぞやとか、馬鹿な質問が多く、早めに出てきた。
 
そこで、いいお天気で、散歩がてらに、皇居東御苑に散歩してみた。
 
北桔梗門 と思っていたところから入った。
 
 
実は、ここは桔梗門ではなく、北跳ね橋であった。北桔橋 と言う。
恥ずかしながらそんな事は今日まで知らなかった。
 
なぜかと言うと、
西の丸の跡庭園に 桔梗が1輪咲いていました。
この説明に、山上憶良 の歌がありました。
 
 
 
桔梗が、朝顔であったとか。70にして60の不明を恥じる。こんな感じだ。
 
 
江戸城本丸の土台を背景にまだ紫陽花が咲いていた。江戸城はご承知のように 1657 年 明暦の大火で消失して以来、本丸は再建されなかった。今でも石垣には火で焼かれた痕跡が見える。
 
西の丸庭園を散策して、大手門に出る途中に
世が変わって 令和の御世になっても、皇居清掃奉仕団が ありました。
 
我が,知り合いの千葉の人によると、
この公共奉仕団の仕事にエントリーするのには 大変な申し込み手続きと 身体検査等が必要であると言っていました。 御奉仕は
大変なのだ。
 
ちなみに、この皇居奉仕団は三重県の人とか、これを
見ている皇居見学団がおりました。
そのうしろには 同心番所がありました。
 
ちなみに 江戸城の桔梗門は現在の坂下門の右 の方にある門で、現在、皇宮警察とか 宮内庁の職員の通用門になっている所の門
であります。
 
従っ て、
北の丸、すなわち現在の北の丸公園に続く所の、北桔梗門は、吾輩のミスアンダスタンドであって、北桔橋(北跳ね橋)と読むようでありました。
 
恥ずかしい。
コメント
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