江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

ローマの休日 7 ラヴェンナ

2017年06月08日 20時54分28秒 | Weblog

イタリアの田舎町 ラヴェンナを知っている人は多くないだろう。

ここは、西ローマ帝国ホノリウス帝最後の首都であり、西ローマが滅んだ後、東ゴート族の国家の首都でもあった。東ゴート族国家を追放した東ローマ帝国の西ローマ帝国における出張所みたいな位置づけで、その後、ロンゴバルト族の支配に置かれるなど、歴史の変遷を味わった街である。

現在は、イタリアの中小地方都市で、吾輩の見るかぎり、老人人口の多い地方都市、日本の高齢化社会の先輩のように見えた。

467年に西ローマ帝国が滅んだ。オドアケルという東ローマ帝国の官僚兼軍事顧問が西ローマ帝国の面倒を見ていたが、この年、最後の西ローマ皇帝を追放し、以後17年間オドアケルがイタリアを支配。493年東ゴート族のテオドリックがイタリアに進出、王国を建設、ラベンナを首都とする。

以後ラベンナは、東ゴート王国の首都として、553年に東ローマ帝国に滅ぼされるまで、蛮族と言われるブルグンド族・ランゴバルト族や東ローマ帝国などの草刈り場的群勇割拠的な戦国のなか、東ゴート王国の首都として機能したのだ。

そういう時期に、東ゴートの最盛期の王 テオドリックの霊廟が作られたのが、これである。

大理石で作られた2階建ての墓で、いまでは中は何もない。極めてシンプルで大理石の迫力があるが、、世界遺産にはちょつと無理かなと思うね。でも、この遺跡の迫力はとにかく一回見てみるべしと思う。

今回のイタリア旅行の最大の目的はラベンナの「テオドリックの墓」見るためであった。

そのため、ローマから、イタリアの誇る フレチェロッサ に乗るべく、テルミニ駅で ファーストクラスの切符を買いました。ローマテルミ二駅からフィレンツエを通ってぺルージャで乗り換え、ここは日本での名古屋みたいかな、ここでローカルに乗り換え、ラベンナまで往復、いい体験の列車旅行でありました。

イタリアの鉄道は思ったより、正確かつ着実で、どうせイタリア風ちゃらんぽらんだろうとの偏見を見事打ち消しましたね。EUのスタンダードが機能しているね。

 ラベンナは、東ローマ帝国時代のビザンチン・モザイク美術の宝庫であり、多くは世界遺産となっていて、こちらの方が、有名だ。

ただモザイク絵画の性格上、ラベンナが東ローマ帝国に支配されたユスチ二アヌス皇帝以降のキリスト絵画的モザイクであり、ですから、私が興味を示す、西ローマ帝国崩壊期のまだキリスト教に支配されていない時代とは、境を決する。

確かに世界遺産の数々。本当にきれいだ。現在の地方都市ラベンナに較べれは、当時は、圧倒的な富と権力が集中していたのだろう。

ロマネスク風の古い教会も味がある。

 下の写真の現代の建物と随分、趣が違うね。

 現在の市庁舎。本当にかわいい街で、自転車が大いに活躍している穏やかな町。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする