おでかけたいむす

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八幡原史跡公園 (長野県長野市) 川中島古戦場

2010-05-30 20:51:44 | 史跡
◎長野県◎
川中島合戦図

武田信玄と上杉謙信が激突した川中島の戦いは5回行われましたが、最も激しい戦いだったのが永禄4年(1561年)の4度目の合戦です。

八幡社
千曲川と犀川に挟まれた川中島の八幡原に武田信玄の本陣が置かれました。ここには信玄が戦勝を祈願したという八幡社があります。

信玄VS兼信

激しい戦いの中で上杉兼信が武田信玄の本陣に切り込み三度切りつけ、信玄は軍配で防いだといわれています。

執念の石

信玄が襲われたときに中間頭が槍を突き出して兼信めがけて槍を突き出し信玄の危機を救ったが、兼信を討ち取ることが出来なかったので悔しさに近くにあった石を槍で突き通したそうです。穴のある石は執念の石と呼ばれています。

長野市立博物館

周辺は史跡公園になっており北側には長野市立博物館、南側には芝生の広場などもあります。また、地元のボランティアが語り部となって川中島合戦の解説もしてくれます。



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (みゆきママちゃん)
2010-05-30 23:14:37
執念の石の穴に頭を突っ込んでみたい
(*^^*ゞ
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『靜岡県情報:熱海の岡本ホテル 富士山静岡空港 グランシップ 赤字』 (智太郎)
2010-05-31 11:47:31
 僕もね?武田信玄と上杉謙信って聞いたら上杉家、武田家とも、何のための戦いであったのか?とどっちが勝者?思うが、武田側として、善光寺平周辺の支配を目的としたのであれば、後日武田側が支配していますから、武田側の勝利といえるがしかーし、武田側が、越後支配をも目論んでいれば、それを阻止された事で、武田の勝利とは言い切れなくなってしまいます。

上杉謙信の場合も同じで、信濃らの亡命武将たちの領土奪還を考えていたとすれば、その意図は阻止されていますから、敗北です。
しかし、上杉謙信の真の狙いが関東進出であり、信濃から越後への武田家の侵入を阻止する事が目的であれば、充分目的を達成したと考えられます。

戦闘自体は、最終的に武田家が優勢でしたが、戦略的には、武田信玄の越後への進出を阻止し、関東へ戦力を集中できるようになった上杉謙信に有利に働いたと考えられます。
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Unknown (みゆきママちゃん)
2010-05-31 20:39:36
いつも応援有り難う
きょうもp( `o´ )q オッス!
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みゆきママちゃん さん (てるみんこふ)
2010-05-31 23:21:40
この穴だと頭が入らないかも ^^;
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智太郎 さん (てるみんこふ)
2010-05-31 23:27:53
第四次川中島の戦いは決着が着かず引き分けのようですね。

ただ、武田軍は予定していた攻撃方法を見破られ、重臣が討ち死にしているので上杉軍の優勢とみてよいでしょう。
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