小山町の上横山遺跡は8世紀前半(奈良時代)の遺跡で竪穴式住居跡が28軒、倉庫跡が6棟見つかっています。
また、ここで発見された土器は山梨県や神奈川県、さらには平城京で使われた土器も見つかっており、この場所が交通の要衝となる街道であったと思われます。
建物の配置や規模の大きさから、この遺跡は豪族の館あるいは官庁だったという説もあります。
現在は芝生の原っぱになっていて、ここで思いっきり遊べそうな気になりますが、工場の敷地になっているので勝手に入れません。
すぐ近くには「小山町町民いこいの家 あしがら温泉」があります。
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焼津市の兎沢古墳群は古墳時代後半に造られた横穴式石室を持つ古墳で、七つの古墳が現存しています。
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最も注目されるのが9号墳で、ここの奥壁の下の部分には線刻画が彫られており、
この9号墳だけは小屋の中に保護されていました。
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線刻画は木やイノシシ、鳥が描かれているということなのですが、かなり風化が進んではっきりわからないですね。
しかし千何百年も前の画が残っているのは、かなり珍しいのではないでしょうか。
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昭和33年(1958年)9月26日に伊豆半島に接近した台風により伊豆地方は大きなダメージをうけました。この台風は後に狩野川台風と呼ばれ、特に狩野川流域では河川の氾濫により数多くの犠牲者がでています。
狩野川を氾濫から守るために出来たのが狩野川放水路です。
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放水路は昭和26年(1951年)に着工されていましたが、狩野川台風には間に合わず、昭和40年(1965年)に完成しました。放水路の長岡側には建設に尽力した久保田豊氏の像と記念碑が建てられています。
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放水路は狩野川中流の伊豆の国市長岡から沼津市口野を結び、毎秒2000立方メートルの水を直接海へ流すことができます。
楽天ブログからgooブログへの引越し準備中です。
今までのブログ(しずおか多居夢州)は引越し完了まで残しておくので、しばらくは残しておきます。
静岡県の情報が中心ですが、県外の情報もあるので、ブログタイトルを
「おでかけたいむす」と変更しての再開となります。
![看板](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/27/3ce79105b0b553e9de2b071258278167.jpg)
五十銭紙幣の図案になった富士山の撮影場所が愛鷹山の越前岳・富士見台にあります。ここからの富士山が実際どのように見えるかというと。
![富士見台から](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/38/c1cbe897738037ab992a7f50298e2715.jpg)
あいにく雲がかかってしまいましたが、こんな感じで見えます。
![越前岳](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/06/5ff5647410614301615b06ebf652b2a1.jpg)
富士見台からちょっと登ると越前岳の山頂、愛鷹山連峰の中で一番高い山ですが、登り易いので人気のある山のようです。山頂からだと富士山や駿河湾も見えますが、すぐに雲で隠れてしまうので、気持ちのいい富士山を見るなら朝早く登らないとダメかも。