あしがり郷瀬戸屋敷は江戸時代に名主を務めた瀬戸家の屋敷でです。
表門は「薬医門」と呼ばれる形式で普段は脇にある潜り戸を使っていたようです。
主屋には式台が付いており名主の屋敷らしく立派な造りなもの
囲炉裏のある茶の間なのど居住区は割と普通
式台のある南側の部屋は「公」の部分で幕府の役人や身分の高い人物を迎え入れる部屋で
床の間がある書院造りで「私的」な部屋に比べると豪華になっています。
渡り廊下で繋がっている土蔵も一見の価値ありです
土蔵は明治20年代に建てられたものと推定されています。
蔵の中は小さなライブなら出来そう
チョーク絵が常設で展示してあります。
この絵がほんわかしている良い感じとても素敵です。
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掛川城の竹の丸は城の北部にある郭で山内一豊が城を拡張したさいに付け加えたとされています。
明治時代に掛川城下で葛布問屋を営んでいた松屋がこの場所に本宅を建て、その後掛川市に寄贈されます。
建物は主屋と離れからなり、離れの二階部分には洋風のデザインもみられます。
主屋の一番の特徴は武家や格式の高い家柄に見られる式台玄関があることでしょう。
式台玄関の先は応接間になっているので、身分の高い客人が出入りしていたと思われます。
離れはかなり凝った造り
1階座敷は上段の間が付いた部屋で寺院で見られる花頭窓があります。
2階の座敷にも上段の間があります。
2階には貴賓室があり、寄木張りの床に窓にはステンドグラス、バルコニーがあるなど和洋折衷の造りになっています。