人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

辛酸をなめた私の闘病日記全20章(第16章)

2017年06月01日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

第16章

兵庫医科大学病院での生死を掛けた大手術

その後、辛かった3度の3か月間に渡る抗がん剤治療も終わり、10月25日に京都ルネス病院でガン専用のペットCTを受診、翌日も豊岡病院でMRI、血液、尿の検査も受けた。

11月2日、7日、20日には地元は勿論、大阪から、17日には沖縄から大学の同級生も心配して駆けつけてくれ、久しぶりの再会に涙した。その後も徳島、岡山などの同級生も駆けつけてくれ感謝している。

何度目かの兵庫医科大学病院での外来検診で、3年前より始まった新しい手術方法の説明を長谷川教授より聞いた。

現在の標準治療は「胸膜肺全摘手術 EPP」と言う治療方法で、過去のデーターは、人生を諦めた時に聞いた肺を全摘出する手術方法だが、新しい手術方法は「治療実績としては期間も短く、症例も少ない為に効果も未知数です」と聞いた上で、「胸膜切除、肺剥皮手術 P/D」と言う肺を覆っている膜を剥ぎ、肺を温存させると言う手術で、手術の大きさは変わらないが、肺を温存する為に術後の辛さは少なく、回復も早いというもので、合併症も少なく日常生活も比較的穏やかであるが、生存率や転移、再発の危険性はデーターとしては現存しません」との事であった。

効果は未知数ながら、悪性中皮腫の第一人者でスペシャリストの長谷川教授に一度は諦めた私の人生を「背水の陣」の思いで、預け賭ける事を決断した。「この先生でダメなら、結果はどうでも諦めもつく」との心境であった。

肺ガンは肺の中に出来るガンである為に、部分的に肺を切除する事が可能らしいが、悪性中皮腫は肺全体を覆っている膜の中に出来るガンで、肺の部分的切除は出来ないと聞く。

4回目の手術は11月24日と決まり、21日より入院する運びとなった。

入院治療の期間は約45日間で、手術時間は約10時間の大手術だと聞かされ、昨年の膀胱、前立腺などの全摘出手術を思い出させる程の内容であり、気を失う程の恐怖を覚えた。

兵庫医科大学病院は、西宮にあり兵庫県内とは言え車で往復7時間もかかる。結果的には、17日間の入院であったが、家内は手術時には二日間泊まり込みで看病してくれ、その後は高齢の義母を自宅に残している関係で、ほとんど毎日、自宅と兵庫医大を7時間かけて往復し見守り続けてくれた。最高は4日連続で、日帰りの看病は延べ13日間にも及んだ。感謝 感謝であり、お陰で遠く離れた病院であるが、寂しさや不安を感じる事はなかった。

また、子供や孫、兄弟や従兄、叔父さん、叔母さん、そして大阪、京都、神戸などから大学の同級生、甥、姪、義兄弟などなど本当に毎日の様にお見舞いを受け、ありがたく感謝しても足りないくらいに嬉しかった。

  

 「手術直前のパーフォーマンス」 

特に兄は手術当日から退院する日まで、何度も駆けつけ見舞い励ましてくれた。兄は私より6歳も年齢が大きく持病もあり、往復7時間の距離は大変であるが、私に気遣いをさせまいと、いとも簡単に「大丈夫、大丈夫」と言ってのける。ありがたい事である。

私も今では、長男が後継で居て「昼行灯の暇人」だが、兄は早くからユラクの会長職にあり、私の甥である長男が社長として事業を継承している為に「昼行灯の暇人」としては大大先輩であるが、入院前日には兄と長男が西宮神社にお参りもしてくれ、手術の無事を祈願したお札を手渡してくれた。「何としても生き延びねば」との思いを強くした。

 

 「西宮神社に手術成功の祈願に」 

さて、手術当日は8時30分から始まり、終わったのは夜7時30分と聞いた。ICUと言う集中治療室で家内と再会を果たしたが、握ってくれる家内の手が何時になく、か細くゴツゴツと感じられた。この二年間、私と共に病と闘ってくれた苦悩からなのか、感謝で涙が頬を伝う。

もちろん兄の大きな顔も見える。息子や娘の顔も見える。ようやく麻酔も解け意識も次第にはっきりし自問自答する。一度は諦めた人生だったが「夢じゃない。生きている」「終わった」うつ病まで患った大手術が終わった事を知った瞬間である。

ICU集中治療室とは、術後の重篤患者を大きな病室で、24時間体制で医師が見守り続けてくれる病室の事である。当初の計画では3日から4日の入室であったが、経過が順調で、翌日には次の段階のHCU(機能回復室)に移された。ここも当初は3日から4日の入室予定であったが、翌日には退室し歩行訓練まで行い、その後は通常の個室の病室に移る事が出来き、娘の幼い孫も見舞いに来てくれ「じいしゃん、がんばったね」とねぎらってくれたが、何時もの様子ではない事は理解しているようだった。

昨年の全摘出手術の時と比べ、繋がれている管の多さに違いはないが、辛さや苦痛は格段に少なく、術前に想像していた苦しさは無い。快適とは言えないが体力や気力も衰えていない。

  

  「兵庫医大で孫と」

      

 

一番の違いは、前回の全摘出手術の時は、摘出と同時に腸を切り取り加工して、人工膀胱として再生させると言う手術であった為に、水分の補給に制約があったが、今回は翌日から水分の補給が許された事。 

「ダメで元々との無欲」が苦痛から解放された大きな要因でもある。また、熱も前回は40度を超えた日が数日間続いたが、今回は37.6度が最高で高熱に悩まされることも少なかった。 

背中から脇腹まで、これまでの過去3回の手術とは比べものにならない位の切り傷は、約50センチに及び最大級であった。

自分で手術痕が見えない為に、看護師さんに携帯で写真を取ってもらって見たが、その大きさに自分でも恐ろしく、大手術であった事は直ぐに想像出来た。正に「何か~ら何まぁ~でと傷だらけの人生」である。 

そんな中、主治医や看護師さんも驚くほどに、日に日に回復し5日目からは一人で歩けるまでになり、リハビリも開始された。リハビリ担当の医師からも「伊藤さんは体幹が強いですね。回復力が早く、手術前に計測した数値に近い数値に戻っています」との事で驚かれていた。気を良くして調子に乗り病院内をうろついて、けつまずき転倒した事もあるが、お愛嬌と言う事で。

当初の計画の半分の入院で、12月8日に家内と長男の迎えの車に早速乗り込み、無事に兵庫医科大学病院を退院する事になったが、「少し取り残したガン細胞があります。

取り切るには肺を切除する必要が有るので残しました。今後は抗がん剤治療で抑えましょう」と長谷川教授から聞かされ、年明けの平成29年1月より、豊岡病院で引き続き抗がん剤治療をする事となった。 

 

しかし、一度は諦めた人生だったが、この例えようのない満足感と解放感、嬉しさは生涯忘れる事は無いだろう。

数日間の自宅療養中には、大勢の同級生達もお見舞いに来てくれ、握手を交わしながら生きて居る喜びに浸った。

ご覧いただきありがとうございました。

次号第17~18章もご覧ください。

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