人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

日馬富士の引退に思う

2017年11月29日 | 日々の出来事

ようこそ

私は昔から大相撲が好きで毎場所楽しみにしています。今日は横綱 日馬富士の引退会見をテレビで見ました。暴力は当然許される事では有りませんが、難しいですね。

私は大学時代に体育会の拳法部に所属していた。当時は、「あぁ花の応援団」と言う映画は流行り、大学の体育会の武道系のクラブが、一番もてはやされた時代だった。

一回生は「奴隷」と呼ばれ、拳法の稽古より、先輩の世話に追われる日々である。自分のクラブの先輩には当然だが、他の応援団や武道系の先輩にも、学内外を問わずに顔が見えると「押忍」と挨拶し、行き違う時には立ち止まり横を向いて待つ。近づくと再び「押忍」と挨拶し、通り過ぎると、後ろ姿に対して「失礼します」と挨拶して、歩き出すと言うのが伝統ただっ。他の大学も多かれ少なかれ同じような伝統だった。

やはり、強い大学ほど厳しかったと思う。東のOO大学、西のOO大学と言われ、反社会団体の様な雰囲気で、週2回ほどは「焼き入れ」といって、部室内で暴力の「しつけ」を受ける。一回生、二回生は外で待ち、四回生が三回生「焼き入れ」をし、終わると一回生が四回生の道着の着替えを手伝い、部室に対して横一列に三回生、二回生、一回生と並び、二回生が「失礼します」と掛け声を掛け、続いて全員が復唱し、これを姿が見えなくなるまで何回となく続ける。四回生の帰りの車まで、後ろを連れ添って荷物を運ぶのは、一回生の仕事だ。

朝9時から一回生が、交代で部室の電話番や留守番をする習わしになっている。携帯電話の無い時代で、OBからの電話がよくかかる。 電話に出なかったり、挨拶の声が小さかったり、振る舞いが悪いと、直ぐに「焼き入れ」の対象となる。もちろん他の部から「焼き入れ」を受ける事は無いが、一人でも振る舞いが悪いと全員が対象で「焼き入れ」を受ける。当人一人だけと言うのは無く、三回生以下同じであるが、三回生になると「焼き入れ」も暴力は無くなる。二回生以下だけが、暴力の対象だ。

当時は、これらが特別な事とも思わなかった。それより「長いガクランに身を包み、高下駄を履いて梅田(大阪駅周辺)を闊歩する」のが憧れであった。昔の話である。良いか悪いかは別として、今でも固い絆で結ばれている。沖縄からわざわざ見舞いに来てくれた彼も絆で結ばれている一人である。

相撲も含め、武道系やボクシングなど、どこまでが稽古で、どこからが暴力か線引きが難しい競技である。

言える事は「正義の無い力は暴力であり、力の無い正義は無力である」と私は思うのだが・・・・貴方は、不良行為をしている人を見た時に、注意が出来る人かそれとも見て見ぬ振りをして、通り過ぎる人か

これは、約45年前の当時の大学の実録である。今では、これらの伝統も姿を消しつつあって、寂しい限りである。これも時代なのかなぁ また、会いましょう

では又ね

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知人のお悔やみ

2017年11月27日 | 日々闘病日記

ようこそ

兵庫医科大学病院での一年検査は、無事に合格して大変ありがたく喜んでいます。

さて、我社の仕入れ先の社長の奥さまが、56歳と言う若さで亡くなりました。お料理を注文していただいた関係でしりましたが、顔見知りでもあり夫である社長や専務も良く知っていて、私の病も気遣っていただいていたので、本当に残念です。

挨拶に伺うと、1年半前に体調を崩して病院で検査を受けた結果、「悪性のステルス性の胃癌」だったそうです。ステルスガンは進行が早く、見つかった時点では治療の難しいガンと聞く。会社では事務仕事をしていた様ですが、本当にお気の毒です。

我社の社長である長男が会社を代表して、葬儀に参列しましたが、「悲しそうだった」と話していました。告知から1年半で亡くなった事になります。数か月前には、銀行内で偶然会い、世間話をしていたのですが、こんな事になるとは・・・・・

同じガンの闘病者としては、他人事ではありません。私は「3箇所のガンを患いながら、転移や再発も無く、このようにお元気なケースは稀です」と主治医の先生から言われたように、本当に運が良かったとしか言いようが有りません。

「回復力が凄い」と先生や看護師に言われたが、大学時代に4年間「拳法部」には所属していたが、それ以後はスポーツや運動とは無関係の生活をしてきた。これも生まれ持っての身体で、両親に感謝すると同時に、運が味方してくれていると思う。ありがたい事である。

私の好きな「大相撲」も白鵬の40回の優勝で、千秋楽を終えた。角界では色々と有る様だが、私は今後も大相撲を楽しみにしている。

また、次回に会いましょう。

では又ね

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兵庫医科大学病院の結果

2017年11月26日 | 日々闘病日記

ようこそ

私の診察の順番が来て、妻と二人で恐る恐る診察室に入った。3カ月ぶりに見る主治医の先生だが、何時もの様ににこやかに、穏やかに迎え入れてくれた。

昨年の11月の手術前のペットCTと今日のペットCTの画像を並べて、分かりやすい結果の説明が始まった。私たちは、食い入るように画像を見た。

ペットCTは、ガン専用のCTで、ガンの部位だけが、ピカピカと光る映像となっている。右側に前回、左側に今回の画像を並べて、「このように、以前は肺の胸膜に光が沢山見えます。特に大きい光は、右鎖骨のあたりのガン腫瘍です。今回は、一部取り残したガン腫瘍以外に腫瘍は認められません」との事。「ヤッター大丈夫だった。嬉しい」今回は、全身のペットCTを受けたが「他の臓器にも転移や再発は認められません」

これほど嬉しい事はない。妻と二人で喜びを分かち合った瞬間だ。悪性胸膜中皮腫の宣告された時に、一時は生きる事を諦めた時もあったが、今では嘘のように元気に日々を送っている。

「3箇所もガンになって、転移や再発も無く、数少ない症例です。それと回復力が旺盛でビックリしています」との事であった。

何はともあれ、取り残したガン腫瘍にも変化はなく、無事に一年の生存に合格した。本当にありがたく嬉しい。「肺活量も少しですが、前回より回復していますが、血糖値が少し高いように思います」と説明が有った。

「人生晴れたり、くもったり」でも書いたが、日本の名医と言われる主治医の先生は、専門用語を使わず、穏やかに笑顔で説明してくれるので、私達にも本当に分かりやすい。医療技術もさる事ながら、こうしたソフト面でも患者に寄り添うように説明してくれる。本当に名医だ。次回の検査は3か月後の来年2月と決まった。「雪は大丈夫ですか?」と聞かれて、診療時間を遅めに取っていただく配慮もしていただいた。

精算を済ませ駐車場に向かう道中に、私が入院していた病室の窓から、新しい兵庫医科大学の建設が始まっていて、大きなクレーンが何台も屋上で作業しているのを眺めていたが、すっかり完成し立派な大きな大学が完成しているのに気付いた。「懐かしいなぁ」 また、会いましょう

では又ね

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兵庫医科大学病院を受診(3)

2017年11月25日 | 日々闘病日記

ようこそ

血液検査の後に向かったのは、心臓超音波の検査であった。これも過去には何度も受けていた検査なので、慣れたものである。

引き続き、肺機能の検査を受けたが、担当の技師の方も良く覚えていてくれて、懐かしそうに話してくれた。この検査は、肺活量を測る検査であるが、これが結構しんどいのである。力いっぱい息を吸い込んで、これ以上に吸い込めない状態で、一気に吐き出すのであるが、タイミングが少しずれるだけで、大きくデーターは変化する。「伊藤さんの手術前のデーターは、人より肺活量が大きいですね」と言われたが、当然今は人より肺活量は小さくなっているが、前回のデーターと比べても見劣りしない。

一応の検査は一通り終わり、後は主治医の診断を聞くだけである。この時すでに15時になっていた。当日の朝から絶食をしていたので、遅くなったが昼食を取る事にした。妻も私を気遣い朝から何も口にしていないので、お腹が空いているはずである。早速、病院内のレストランで昼食を摂った。

その後、急いで主治医の待つ呼吸器外科の診療室に向かった。予定されていた15時40分には到着し、順番を待つ事約1時間。ついに私の入室案内の番号が掲示板に示された。

少しドキドキしながら診察結果を聞く事となった。やはり、術後の一年と言う節目は、経過を見る上では最初の関門である。最近の自分自身の体調から、ある程度は自信はあったが、身体の中の事。やはり少しの不安が有った。

改めて、あの大手術から一年が経ったかと思うと、なんだか懐かしく、長かったような短かったような心境だ。おそらく妻も同じ思いでいてくれているに違いない。

また、会いましょう

では又ね

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兵庫医科大学病院を受診(2)

2017年11月24日 | 日々闘病日記

 ようこそ 

私は、膀胱ガンと前立腺ガンは、豊岡病院。そして、悪性胸膜中皮腫は兵庫医科大学病院で、それぞれ手術を施術したために、3か月ことにそれぞれの病院を受診している。

さて、この悪性胸膜中皮腫と言うガンは、昔は建築材料としてよく使用されたアスベスト(石綿)を吸い込んで発病する人が7割から8割らしいが、私は残りの2割から3割のアスベスト以外の発病らしい。当時は、鉄骨の建物は、ほとんどがアスベストを使っていたと思われる。安くて保温にも適しているらしい。

この病は、潜伏期間が30年から40年と聞く。症状も出にくく自覚症状も少ない為に発見が遅れ、自覚症状が出る頃は、すでに余命を宣告されるくらいに死亡率の極めて高い厄介なガンであると言う。今後は、徐々に当時のアスベストの環境で生活や仕事をしていた人の患者が増えると予測されていて、現に兵庫医科大学病院でも年々この病の患者が増えていると言う。

話を戻すが、いよいよ私のペットCTの順番が回ってきた。「伊藤さん、どうぞ、お待たせしました」との呼び声に従って診察室に入り、体重と身長を計った。体重72キロ。4月の抗がん剤治療中は76キロだったので、4キロ痩せた事になるが、今の方が動きやすく私にはピッタリだ。身長174センチこれは変わらない。そう言えば少しお腹がへこんで来た様に感じるが、大体は闘病前の体重だ。心配する事はない。そして、血糖値の検査も受けた。

その後、ペットCTを撮影する為の点滴を受けた後、約90分間は左右仕切りのある半個室のリンライニングするイスで点滴が体内に行き渡るのをまった。少し疲れていたのか、その間はぐっすり眠ってしまい、あっと言う間に時間が来て、再び呼び出しを受けた。いよいよ検査の開始だ。

専用の長いベットに指示されるがままに横たわる。頭上には大きな長いトンネルの様な装置が見て取れる。これがガン腫瘍を撮影するカメラらしい。通常のCT検査と大差はない。が、違うのは身体を固定するためにベルトで体を縛る事だ。結構窮屈だが、辛抱できる範囲の事である。この状態で撮影時間の30分を過ごす事になる。私は、またしても眠ってしまい知らぬ間に撮影時間が終わってしまった。

その後、撮影映像の確認の為に約30分ほど、先ほどの半個室で待機する事になる。映像が悪いと再度やり直しになると言う事だが、私の場合は1度でOKが出た。これも経験の賜物か

次に向かったのが、採血である。最近では血液検査でガン腫瘍が部位まで分かるまでに医療技術が進んでいると言う。ありがたい事である。時間はすでに13時30分を回っていた為に待たずに順番が回ってきた。この病院では、一度に15人くらいの採血が可能な設備が備わっている。この2年半で、何度の採血を受けた事だろう数えきれないくらいの血液検査を受けたように思う。

続きは次回で。また、会いましょう

では又ね

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