人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

初めての体験

2018年06月23日 | 日々闘病日記

ようこそ

今日は、取引先である葬儀社のイベントがあり、招待を受けていたので、参加してみた。その為に今日は、葬儀社は休業して、全社員が対応に当たっている。

最近は、小売業ばかりでなく、葬儀社のイベントも頻繁に行われる。一昔前なら「縁起でもない」となっていただろうが、時代は変わって「死」と言うものを現実に考えるようになったのであろう

葬儀の事は勿論だが、関連する「お墓」「相続」「遺言」「墓じまい」など多くの業者も参加している。考えてみると人ひとりが亡くなる事は、大変大きな出来事だ。それどころか、配偶者が亡くなって親族関係に終止符を打つ人も居ると言う。要するに死後離婚である。家族制度が大きく変わろうとしている。家族単位ではなく、個人単位に変わろうとしているのだ。

参加して、まず勧められたのが、納棺の体験だ。私も闘病日記「人生晴れたり曇ったり」のブログでも綴ったように、ガンと言う難病を患い、3年に渡る闘病生活の中で、何度も「死」の恐怖や「死にたい」と思える辛さを経験した。今となっては、他人より「死」に対する恐怖心は少ないかも知れない。現在も定期健診を受けている身であるし、取り残したガン腫瘍も体内に残存する状態で、日々の生活を過ごしている。

勧められるがままに棺に入って思った事は、Lサイズの棺であったが以外に居心地は良い。前後のサイズは良いのだが、やはり左右の幅が少なく、締め付けられる感じである。考えてみると当然だが、そうでないと遺体が動いて、静止した状態が確保されなくゴロゴロしてしまう。いよいよ蓋を閉めてもらい、体験も本番さながらだ。最初は顔の部分も蓋が閉じられていたが、その後は蓋が空き本番で言う「最後のお別れ」のシーンだ

 

そんな時間の中で、当時の術後の最高に辛かった瞬間に想いを馳せた。「あの時、こうなっていたかも知れないなぁ」と。従って、何の不快感も感じる事なく、数分の時間で有ったが、初体験をむしろ楽しむ自身が居たように思う。

さて次は、進められるように遺影の写真撮影だ。上手く笑顔が作れなかったが、撮影も終了し祭壇の種類や価格、棺の種類や価格などの説明も受けた。棺だけでも軽自動車が買える位の高価なものもある。

毎日の様に料理の納品には来ていたが、大体の事しか興味が無かった。しかし、考えてみると私には85歳の義母が同居していて、私とどちらが先になるか分からないが、心構えだけは必要だと実感した。

一時は、私の方が先だと思って過ごした事もあったが、今は穏やかに小さな幸せではあるが、元気に日々を過ごしている。本当に改めて感謝の思いを強くした。

日本人は、文化なのか習慣なのか「お金」と「死」の話は慎む傾向があるが、「死」は確実に平等に必ずやってくる。病の場合もある。事故の場合もある。事件の場合もある。何が起こるか分からないが、一般的には平均寿命に示されるように、大体の余命時間はそれとなく決まっているが、確定でないから生きられる。私は自分勝手に余命を想像した時期もあったが、その心境に慣れるまでの恐怖心は、今思い出しても恐ろしい。うつ病になったくらいだから。

人は色々な欲を持って生きている事を実感した。うつ病から解放されたのは、欲が無くなったからだと回想する。高齢者の方が穏やかなのは、欲の思いが少なくなるからではないだろうか。同居している義母も毎日安定して穏やかである。その代わり欲もない。何かを要求される事も無い。毎日、毎日、平凡な穏やかな日々を淡々と過ごしている。本人は「それが幸せだ」と言っている。

今日は、そんな珍しい初体験をした日であった。

では又ね

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