しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

予定変更

2008年07月15日 15時27分25秒 | その他
 今日辺りから、ガタガタしそうで・・・。

 と言う訳でもありませんが、今度の連休の予定変更であります。

 海に行くつもりでしたが、海水温を気温から推測し、釣り物も考えて、中止にしました。チアノーゼ起こしそうなので。も少し先送りです。

 で、代替案として、山に行きます。

 矢祭山

 水郡線の棚倉の下、大子・袋田の上であります。

 この時期は、久慈川の鮎が美味しゅう御座います。
 カツ丼の美味しいお店も御座います。

 川で、水遊びを兼ねて、釣りも!
 此処は、川では珍しく五目釣りが出来るのであります。
 鮎、山女、岩魚、ウグイ、オイカワ、川ムツ、ナマズ。

 つり橋を渡り、奥の院には、陰のアレ、です。那智の滝のようなアレです。
 尤も、つり橋を渡る手前に、陽のアレがウワーっと言うくらいアレです。

 水郡線は景色もよく、シャモの駅弁とか地酒にも美味しいものがあるので、現着まえに出来上がってしまいそうでありますが。

 宜しければご一緒に如何でしょうか。

武士道と騎士道

2008年04月19日 16時42分08秒 | その他
 某ほにゃく犬ブログで、リヒトホーフェンの記事があって、それに触発されてしまいました。
 レッド・バロンですね。戦闘機乗りです。

 当時は、航空機が実用化されたばかりですから、新兵器のご多分に漏れず、使用法が確立されていなかった訳です。(ジェット機が実用化された時にも、同じ様な事がありましたね~。)

 プロイセン?ドイツ? 兎に角、貴族王族が存在していた訳です。
 当然、戦闘なり戦争にも、のんびりと言うか人道的というか、ある種の騎士道精神のようなものが、特に尤も最新の航空戦には、生きていたようです。(結構後の時代まで。)

 例えば、基本は一騎打ち。トーナメントの様な感じですかね。
 お互いに死力を尽くして巴戦。銃も撃ち続ければ弾が無くなります。すると、お互いの健闘を讃えながら敬礼や手を振って別れる。
 此処が武士道との違いで、矢尽き刀折れても命がけで、とはいかないスマートさがあったんですね~。
 ある時、敵のパイロットが身を乗り出して機銃を叩いている。
 「故障だな。」今なら是幸と襲い掛かる所でしょうが、射撃位置から追い越しながら敬礼して去って行ったとか。

 で、何ゆえ「赤男爵」なのか。
 愛機のフォッカーが赤かったからです。
 当時も、隠密性であるとか欺瞞効果など、考えない事は無かったようですが、其れは潔しとしない騎士道精神と、目立つ事によって自身の存在をアピール出来るということが大きかったようです。
 是は、戦国時代の旗指物と同じ効果をもたらしたようです。
 つまり、赤のフォッカーはエースちゅうのエースであるから出合ったら逃げた方がいい!と言うような事が拡がったようです。
 まあ、威嚇効果もあったわけです。

 が、最終的には、大空の騎士道は、ヤンキーの集団戦法に(寄って集って)潰された訳です。

 で、武士道については、当時の日本は連合国側であったため、駆逐艦戦隊が、遠く地中海方面にも進出しておりました。
 輸送船団の護衛任務でありましたが、当時からウンタシーボート?所謂Uボートの脅威はとんでもないもので、駆逐艦が潜望鏡を発見すると、魚雷よりも早く、輸送船を置き去りにホッポリ出して逃げ出したそうです。
 そんな中、輸送船団に一番信頼され歓迎されたのが、日本いや、大日本帝国海軍の駆逐艦戦隊でした。
 彼らは、武士道精神の塊の如く、海の狼を見つけては挑み、追い払い攻撃を掛け、先制攻撃されても、怯むことなく、標的となった船と魚雷の間に割り込み、我が身を盾として船団を守ったのです。

取り敢えず一段落

2008年03月14日 16時37分22秒 | その他
 目先の予定は、ほぼクリヤーであります。

 先日の釣りは、加美さんがカレイをゲット!粘り勝ちですな。

 さて、春のイベントを企画していく訳であります。が・・・。

 心算の予定だけを並べます。

 先ず、4月には家族が増えて、うちも、ず!になる予定。
 トモさん、が、つくばに引っ越してきます。ので、鹿島神宮に、ご挨拶の予定。
 春の薬師寺散策は、違う樹木(桜?)を目当てに!の予定。
 釣りは、GWに南方遠征の予定。

まだ降っております。

2008年02月06日 21時07分54秒 | その他
 続編と言う訳では有りませんが・・・。

 まあ、「ほねつぎ」を本業とするならば、座長関係の仕事も、ある意味、バイトと割り切ってもよいかと思います。

 と言う事は、学生で国立に住んでいた頃は勿論、ほねつぎをやり始めてからも、所謂、「お呼び出し」が掛かった訳で・・・。

 学生時分、劇団の講師のような事もしておりまして、其処の新人の劇団員に女子大生がおりまして。
 偉そうに講釈をたれて、演技指導などとやっていたのですが・・・暫く振りに学校に顔を出すと、其処に居るではありませんか。
 其の新人が。しかも、同じ講義で先輩だったと言う・・・。
 口止めされた挙句、履修表の提出まで押し付けられてしまいました。

 ある日、其の劇団に出演の依頼が来たのですが、適当な人間が居らず、先輩は嫌がり頑なに拒否!自分に振られてしまいました。
 今思えば、あの嫌がり様は普通ではなかったのですが・・・其れが、あの!
 アレです。

 座長の、木馬亭での独演会も、照明を担当しておりました。

 今では考えられませんが、ミステリーツアーの始めは、座長の演出・脚本・プロデュースによる、お芝居でした。
 其処に、初めは効果、次に制作で参加しておりました。
 いつぞやは、マネージャー兼調整役で、役者さんにはプロデューサーさんと呼ばれながら、大阪と東京を行って来いしておりました。

 かと思うと、ネタ探しで某お屋敷に入り込み、無人かと思っていたら住んでる人が居て、差し詰め今なら不法侵入で・・・何てこともありました。

 当時は、よく座長の家で合宿のように稽古をしてまして、男四人で自炊です。
 で、料理が出来るのは、座長と自分だけだったりして、同じメニューにブーイングが起きました。其の時が、結婚式での寿舞。自分は火男でした。

 ひどい時には、場所も内容も何の説明も無く、時間と新宿西口交番前!と言う待ち合わせ場所だけ。
 連れて行かれたのは・・、運転させられて行ったのは信州。(其の頃、MFJのレース役員で信州にはよく行っていた。あれもいいバイトだったなー)
 座長の監督で造るVシネ。
 今でも言われますがね「怖い思いさせちゃったね」と。是も・・・アレです。

 結婚した(自分が)当初は、お声も掛からなかったのですが、ネタ探しに借り出される事となります。
 尚休バイト噺、本日はこの辺でお開きを。
 有り難う御座います。有り難う御座います。

 ドドン、ドンドンドンドン、デテケデテケデテケデテケ、カラカラカラカラ・・

雪が降っております

2008年02月06日 16時17分46秒 | その他
 未だ先日の雪が残っている上に、深々と降っております。

 こんな時には、昔話などを・・・。

 学生の頃は、色々なバイトをしたものである。
 家の仕事は、当然のように無資格では手伝いも出来なかった故、親戚の内装関係が、初めてのバイトであった。
 体育館やらホテルやらでカーテンを着けていた。
 次も、近所のインテリア屋さんのバイト。
 レストランやら何やら。ラブホ、当時はモーテル等にも連れていかれた。
 写真クラブなどに所属していたこともあり、写植のバイトもやったことがある。

 地元に居るのは、休みの間だけ。その間、季節労働者宜しく、珈琲専門店でバイト。御蔭でコーヒーの入れ方は煩くなった。
 四輪の免許を取ると、材木屋さんと運送屋さん。

 結構美味しかったのが、業界の仕事。
 まあ、最初の頃はキャラクター物。銀座の東映から、でかいトランク持って地方巡業である。
 所謂、戦隊ヒーロー物。の、悪役戦闘員である。
 テレビは、芸人枠。殆どが「とっぱらい」だったので、源泉10%を抜かれる。
 出演料の袋を貰った時に、チャリンと音がするかしないか。大台に乗ると中身全部が、お札!だったのである。
 対して、お芝居は、お金になりませんでした。ドラマも同じ。
 役者では喰っていけません。
 が、事務所に入っての裏方さんは、表には出られなくとも、顎足枕の心配無く、生活できました。
 尤も、肩書きは「プランナー」。やってる事は、現場の「マネージャー」。場合によっては「使い走り」ではありましたが。

忘れないうちに

2007年08月23日 00時04分47秒 | その他
 ネタは、よく考える。と言うか、思いつく。
 以前は、ネタ帖を置いて書き込んでいたが・・・・・。
 字が・・・・・読めなかったりする。

 まあ、瞬間に思い浮かぶものだし、場所も決まっていない。何時でも何処でも書き込める訳ではない。のではあるが。
 それは、是までも是からも、変わりあるまい。
 以前は、トイレの中にもネタ帖を仕込んでおいたものだ。

 では、ネタが浮かぶのは何時かと言うと、寝始めだったり、酒飲みの途中だったり、トイレの中で一人物思いだったり。

 意外と多いのが、何かに触発されると言うヤツである。
 大概は、不愉快な感覚の中で反対意見を言いたくなり(そりゃ違うだろー!)真実(と自分が思う意見)が出てくるパターンが多い。

 ネタも、お笑いから真相、創作までと幅広いのだが、真実は一つ!
 儂が創造したと言うことである。
 極端に言えば、著作権なり特許権なりで、先に発表することによって、己の正当性、権利の主張、を担保しているわけである。

 又、此処に書いておくことで、忘備録代わりにもなるということである。

 基本的に、完成したネタを書いて居ったのだが、ネタのネタ、ヒントも忘れてしまうので、書き込むことにした次第である。

 その1:細くなりたいは×、太いから細くなりたい?太くなった時点で×
 その2:英語に訳した時点で×なやばい言葉を使い日本語の作品を書く。

 あ、因みに、此処のネタで触発されて新たな作品を創作した等との言い訳は、
    聴かない!利かない!効かない!聞かない!!!

    今日の箴言
<事実と真実は別物である。史実と現実が別であるように。>

私説日本史

2007年07月06日 15時38分54秒 | その他
 以前にも、何処かで書いたかもしれないが。

 日本・・・と言うより、国と言った場合に、其の対象となるものは、多岐に渡っている。

 例えば、
 1、政治の一形態としての政府のある国家。
 2、地政学的な物言いでの国。
 3、地理的な領土、国境をもっての国。
 4、文化的、民族的な意味での国。
 5、歴史的な意味での国。

 このどれをとっても、時間軸で見た場合の同一性は、殆ど無い。

 ある時期は、国家と呼ぶほど大きくは無く、また、分裂細分化していたであろうし、国家の携帯を為した後であっても、連続するものではなく入れ替わりが当然であったり。
 
 国を表す呼び名、国名にしても、騙られたり奪われたり。

 現代の視点で全てを理解しようとすると、とんでもない事になる。

 倭や大和や扶桑や日の本や日本が、同じ国だとは限らないのである。

          今日の箴言
<真実が歴史と成っているとは限らない。ましてや通説などもってのほかである。>

長編です。

2007年04月20日 17時13分54秒 | その他


    尚休 箴言詩集
                
             
      成功
物事は、反省し、改善し、努力できれば、失敗とはならない。

      恥
 無知は恥ではない。
恥を知らない事こそ恥である。

      今時の
 褒めりゃのぼせて、怒ればいじけ、甘えさせれば付け上がる。
鬼にもなれないお莫迦者。

      真の文化
文化の発祥地と、唯の通過点では、意味が全く違う。
 
      人の常
思いつきで行動するのは粗忽者。
それを忘れるのは愚か者。
思い出して慌てて行動するのも、やっぱり粗忽者。

      成育
愛情だけではモノは育たない。
しかし、愛情が無くても育たない。

      自分
何か事があると、人は自分のせいにはしたがらないものだ。
但し、それを認める事が自分にとって有益な時は、大声で自分の手柄にする。

     自己評価
人の評価がどんなに良くても、自分が気に入らなければ、失敗だと考えた方が次に繋がる

     気
気は、気より出で気に還る。
気に病んで、気にするよりは、気楽に陽気に気を長く。

     己
本性を知らずとも今生を全う出来れば幸せかもしれない。
しかし、本性を知っていた方が今生を全う出来る確立は高くなり、尚且つ、より幸せになれるだろう。

     誇り
人の欲を満たせる事が出来たなら、
その欲が何であれ、自分を誇りに思っていい。

      評判
自分で考えている“つもり”ほど、当てにならないものは無い。
自分の評価は、人に任せるが良い。

     頼る
触らぬ神に祟りなし。
障らぬ神も祟りなし。
障るほど、祟れるほどに力あれ。
されば崇めん、奉らん。
我に御力遣わしたまえ。

     移植
我が身をもって救うべき命など、更々無し。ならば、新たに誕生し救うべし。
その復活を邪魔せしモノ、呪い祟りて障るべし。

     感覚
モノをみる時は、目で見るだけでは情報が足りない事を自覚すべきである。
往々にして人は自分の目で見たものが全てであるかのような錯覚を起す。
物事は、あらゆる感覚を持って観れば、見えない筈のモノも観得る。

     ツキ
ついてるやつはなにをやってもつきまくる!
その分周りは安心できる

     あらかじめ
予言や予知は、其れを必要とするモノが存在するゆえに存在が必要とされる。

     生き方
要は気の持ちようである。
己を知り、己を導き、操る事が肝心である。

     そこにある危機
怖いだけならまだいいが、不安が恐怖に変わり経験が危険に変わる事もある。

     空元気も
落ち込んだ時は、出来そうに無くても、楽しかった事を思い出して、其れの実現に向けて、兎に角、動き出す事だ。
不思議と気合が入って元気が出てくる。

     我
我は我、汝に在らざるも、汝らとは呼ばず。
我らの内に我あり。

     指針
善の善なるは善に非ず、悪の悪なるも悪に非ず。
ならば、我は我として我を裁き我を讃えん。

     野生
人も動物を見習う事が有っても良い。
本能の領域が大きいものは尚更。

     身体
実際の年齢に関係なく、使わなければ使えなくなる。
身体を動かす時は、意識を持って動かす事。何も考えずに動かしても運動にはならない。仕事も、どんなに疲れても、運動にはならない。

     一時の恥
健康管理は自己責任。
解らなければ解る人に聞いてみるべき。
但し、解る人に簡単に出会えるとは限らない。

     けじめ
仕事の前の飲酒は控えるべし。
たどり着くまで時間がかかり過ぎる。
気分は悪くはないが。

     自己責任
二度手間は、倍の体力とその倍の気力を消耗する。

     ・・・・・
言い訳をする時は、人のせいにしないこと。さもないと、・・・・・ね! 

     気遣い
人に気を使うばかりでなく、自分にも気を使うべきである。
結局自分を守るのは自分だけだから。

     頸部
首は身体の中心をなす頭を支えるもの。
首が据わらなければ腰も据わらない。

     保障
障りが在るのが解っていても、原因を解決することが出来ないのならば、防御するに越した事は無い。

     時々
お墓参りで幽に親しみ、食で顕を振り返る。酒と団子で甘辛両党を嗜み、顕幽の狭間を実感する。
これも、たまーにだから好いので、しょっちゅうでは辛い。

     動き方
義務感を持って強制しても効果は期待したほどではない。
ならば、気楽にのんびりゆったり、ゆとりの中で行動した方が、余程ましである。

     最善
戦いは攻撃と防御のバランスが取れている事が必要。
だが、「百戦百勝は善の善に非ず」戦う必要のないのが一番。

     プロも人の子
自分の手に負えない時、専門家を頼るのは、恥ずかしい事ではない。
たとえ自分が其の専門家であったとしても。

     命
生あるもの滅せざる無。
されど、生きる力、尊く強し。
生き様にて、力与えたもう。

     お笑い
本人が、真面目であればあるほど、その失敗は・・・ネタになる。

     親切
良かれと思う事でも、余計な事はしない方がいい。
裏目に出て最悪の結果と成った時の覚悟があれば別だが。

     真実
存在するのは事実、たとえ不思議を不思議と思わなくても。

     釣り
釣りは、魚との真剣勝負である。
が、魚を釣る事が重要なのではなく、釣りによって己を弁え、人間も自然の一部である事実を確認する事に意味がある。

     首
この時期、首を痛めることが多そう。
痛めた時は、先ず冷やす事。
お風呂も控えて動かさない事。
自分の場合、違う意味で、首が回りません。

     ジェンダー?
男だ女だ言う前に、人間であり、人類として地球の一員で在る事を認識せよ。

      極限
技術だけでは限界がある。
チューニングアップしてパワーが上がっても、耐久性や、稼働率が下がったのでは意味が無い。

     治水
大きな流れには逆らわず、受け流した方がいい。
激流を止める事は困難でも、流れを分け、細かくして行けば、水は治まる。

     悟り
前世の業を背負い尚且つ来世の責任を負う。
其れが出来れば来世は輪廻の輪から外れて仏陀に成っている事だろう。
出来ればだがね。

     注意
旅に出て開放されると、押さえ込まれていた意識も開放される事がある。
気を付けないと、とんでもない事に発展する事もある。

     生き方
今日出来る事は、今日のうちに。
明日出来る事は明日に。
しかし、出来ない事を彼是するなら、己のリフレッシュでも考えた方がマシである。

     他人の視線
自分が思っているほど、人は気にしていないし思ってもいない。
其れは、善い事も悪いことも同じである。

     故に
例え真実であっても、言ってはいけない事もある。

     妥協
協調性は必要である。
が、其れは自分の信念を棄てる事ではない。

     実際問題
気力だけでは、どうしようもない事もある。
しかし、体力だけでは、話に成らない。

     趣味
若いうちからの趣味は、なかなか止められない。
が、一度休むと、復活は難しい。体力的にも、精神的にも。

     甘え
希望的観測に基づいた作戦は、何も考えずに行動した場合より、結果的に失敗した場合のダメージが大きい。

     自分の生き方
本来の自分を誤魔化してまで生きる意味は無い。
尤も、大概の人は、自分の本性を知らないか、若しくは、勘違い、思い込みで生きている。

      自我
自分にとって自分は絶対である。
故に、自分の真理を、其の導く所への道標とすることが出来るのである。

      見せ方
自慢は嫌味だが、謙遜も美徳ではない。
在るものを隠す事は、無いものを在ると言うより、場合によっては始末に悪い。

     冒険
知らない土地へ出かけるには、ある種の勇気を必要とする。
なぜなら、その土地では、常に受けている大地からの庇護を受けられるとは限らないから。

     産土
 日本の大地の精霊は寛大、寛容であり、拒絶したり妨害したりはしない。
 排除も殲滅もしない。
 穢れは祓うが消滅させる事は無い。

      知る者の責務
無知であることは幸せなのかも知れない。しかしワタシは知ってしまった。
そして知っている以上憐れむしかできない。
私に救いを求めるには資格がいるのだから。

慈悲
或る時は観音様のように慈愛の心で。
また或る時は不動明王の如く憤怒の炎で、相手に当たる。
是を慈悲の心で救うという。

     事実
確実な証人がいない場合、自分の感覚を証明できない場合が在る。
あっち系なら、なおさらであるが、在るものは在る!

     好奇心
真実は知らない方が良い場合もある。
その現実を受け入れる勇気が無ければ、興味本位で覗き込むものではない。
往々にして、それは残酷なものだったりするから。

     苦楽
楽して楽しみは得られない。
が、しかし其の分、得られるものは大きい。

     四季
気枯れの後にハレがくる。
季節に同調するのも程々に。

     表現
殊更、非難めいたことを声高に叫ぶ時、内心は逆に喜んでいたりする場合が在る。
油断すると、本人が気付かない所で、本心を曝け出している場合が多い。

     理由
服に合わせて身体を作るなど本末転倒。
身体に服を合わせ、自己のセンスで昇華させるべきである。
しかし、健康のためならば瘠せるもやむなし。

     心と身体
帽子を被れば暑さが応える。
しかし、被らなければ、体温が上昇して危ない。
そんな時は、外出しなければ良いものを、そういうときの方が、楽しかったりする。
なんて我儘なんだろう。なんて儘成らないんだろう。

     怪妖
在る事実が必然で正しいものであったとしても、理解できない人間からみれば、怪しく映るだけである。
同じ怪しさならば、全てを晒すことなく秘め措くのも、妖しくて良い。

     結果
予定と妄想は別物である。
が、実現できなくても実現しても、其の時点で両者は同じものとみなされる。

     祭りの前
予定を立てているときが楽しいのは当然。
予定は未定であるから決定までの夢が膨らみ希望に燃える。
潰れた時には尚更楽しく思い出される。筈である。

     自業自得
日ごろの行いが良いのか悪いのか、結果を見ても分からない時も在る。

ギャンブル
 時間の感覚が、人とずれてる様な奴に企画を立てさせる時は、楽しみも大きいかもしれないが、それなりの覚悟をしておくべきである。かもしれない。

     センサー
気付かなければ、何でも無い事も、事実の確認が成された時点で、感覚に訴えてくる。
驚愕や感動、感激や恐怖として。


人は其の拠って立つ所を弁えるべし。

     習慣性
自分でどうゆう行動をすればどういう結果になるか分かっていながらやるやつは御莫迦と言われても仕方ない。

     不確実
人の感覚などは当てにならないものだ。
特に視覚や聴覚など五感に属する物は

     呪
たかが呼び名、されど呼び名。
よくよく考えれば、無責任な呼び方は出来ない筈である。
呼び名ひとつにも大いなる意思が働いているのだから。

     金剛
ダイヤモンドを磨くには、ダイヤモンドを用いるべきである。
他の宝石で磨こうとしても、ダイヤモンドの輝きを引き出す事が出来ないばかりか、下手すると宝石自身に傷を付ける事にもなりかねない。
其の分、ダイヤならば他の宝石を輝かせる事も出来るのである。
人付き合いは斯くありたいものだ。

     人生
過去に栄光が在るかどうかは別にして、現在は、過去からの連続である。

     友人
どんなに自信が有り、順調であったとしても、時には、鏡で自分を見つめるべきである。
 そこに写っている自分を見るが良い。
自分で思っているものと、目に見えるものの差に、驚愕さえ覚えるかもしれない。
出来れば、意見を言ってくれる生きた鏡を身近に置いて覗くのが望ましい。

     他人に対して
何事も、当てにしすぎ、頼りすぎ、自信過剰は、戒められて然るべきである。

     人間性
普段無意識に行っていることでも、改まって形にしようとすると、忘れたり、抜けたりすることがある。
が、其れも愛嬌、洒落になる。
だって・・・・だから。

     探求心
たとえ、自分の無知を曝け出すことになろうとも、不思議の正体が解明できるのであれば、恥とはならない。

     対策
どうせデンパと言われるのであれば、超越するようなデンパを放って煙に巻くのも、手では在る。

     意義
「人はパンによって生きるのみならず。」
そうだろう、が、その遥か以前に人の心を耕すと言った方も居られたのである。
しかし、虎でない身は皮も残せず何をなす。

     慣れ
滅多に口にしない高級品を口にする時は、時間を掛けて、じっくり味わいながら頂くべきである。
さもないと、己の身体が、吃驚したり、驚愕したりで、拒否反応を起こしかねない。

     お気持ちで
経済原理に支配された心では、本来の力は出す事が出来ない。
が、しかし、人で在る身なれば、霞を喰っては存在出来ない。
奉仕の心に則って「顎、足、気持ち」で、如何かな。

     性
酒呑みは、なんのかんのと良い訳付けては呑みたがる。
当然の事ながら、何も無くても酒を呑む。

     人情
権利には義務が付きものである。
しかし、義務を果たしても、場合によっては、権利の行使がし辛い事も在る。

     きつい
たとえ本人が洒落の心算であったとしても、洒落にならない場合には、自己防衛を心がけるべきである。
本人から警告・忠告が為されていれば尚更である。
しかし、回避ばかりしていては、本当の楽しみは味わえないのも真実である。

     命運説?
己の選択が間違っていた場合。
 修正するかしないか。
 それ以前に、間違いを正すのが良いか悪いか。 
 又、間違いではなく、勘違いであればやり直そうと考えたりする。
 所詮、迷えるものの行動である。
 間違いでも、勘違いでもなく、必然であると考えれば、これまでの己の愚かな行動も説明されようし、これからの指針も見えてこようというものである。

自我
 己に自信をもてなければ、己を知らなければ、本来の己に還る事は出来ない!
 修行とは、己自信を確認することに他ならない!

     感謝
普段、当然のように思っている物の有難味が身に沁みる事が在る。
それが、常に無いものであれば尚更である。

     祭りの後
何事であれ、楽しみ事は、本体に到るまでの過程、道程が最も楽しいものである。
いざ事が始まれば、後は終わるしか無いのだから。

     勉強
本当に理解したければ、自分で考えて答えを出すべきである。
人から教えてもらったものは、労力に応じてしか、身に付かないものだから。

     防衛
攻撃は最大の防御である!かもしれないが、殆どは、攻撃されて初めて敵の存在を知るのである。
尤も、攻撃に晒されているにも拘らず、其れと気付かない、能天気のお花畑が居る事も、現実である。
そんな者に拘ると、こっちの身が危ない。
敢て撤退する戦術も、戦略的に考えて然るべきである。

     忘れ物
どんなに優秀な装備をし、周到な準備をしていたとしても、それが確実に手元に無ければ、意味は無い。

     健康第一
身体のみ、精神・心の呪縛から解き放って開放すべきである。
身体が強さを取り戻せば、問題解決の道も、自ずと開けてくる。

     ハレの日
自分がどう思おうと、周りが御目出度ければ、それに乗るのも良い。
自分でそれだけの目出度い場を創り上げるのは難しいのだから。

     観測
シミュレーションする事によって見えなかったものに気付くことがある。
それは、間違いであったり、希望であったり。
だが、現実はそう上手くは行かない。

     恐怖
思い込みは恐ろしいものである。気付かなければ平穏、気付いた時は地獄にも・・・。

     真の力
継続は力である。
が、其れだけでは意味が無い。
中身を伴い尚且つ継続する事こそが力と成り得る。

     メタボリック
己の自己管理の悪さを年齢や環境のせいにするべきではない。
私の場合は言たがえで対応したい。
貫禄が付いたと。

     レーダーサーチ
人に言うほど自分が解っている訳ではない。往々にして、人に映る自分を見ながら確認したり修正したりしているものだ。

     自己主張
自分の意見を言う場合に、其れがどこで役に立つかなど、考えている訳ではない。
しかし、結果的に、それで感謝される事は、気恥ずかしいが満更でもない。

     認識
己が理解できないものは存在しない!と考えるのは、傲慢この上ない。
万能であるはずの科学でさえ、現実に追い付けづ、解明されていることは、真実の中のほんの一部でしかない。

     取り敢えず
無闇に寝た子を起こして怪我する必要は無い。
また、溢れる泉の恩恵を受けずに素通りするような事をするのも勿体無い。
 目には見えずとも、其処にある大いなる恵みを戴き、災いを避け、守護を受けてみるのも、一興。

歴史
産土の歴史を振り返る事は、自分の歴史を考える上でも、有効である。
しかし、未来を考えると、憂鬱になるのは、何故であろうか。

     楽しみ方
どんなにつまらない事でも、自分なりの意義付けで楽しめるのならば、それもある種の才能である。

     常識?
己の判断基準が、世間一般の常識と異なる時がある。
その場合、修正するかしないかは、その人の良心に委ねられる。
尤も、敢て非常識を貫く事で個性が際立つ場合もある。

     名人
いくら腕に自信があっても、それなりの時間を用意しないと、納得のいく結果は出せない。
ましてや、やっつけ仕事で出来る!というような事は考えない方が賢明である。

      懐古
過去を懐かしむ。
この言葉の中には、現状を把握するという意味合いがある。
「思い知らされる」「愕然とする」「寂しくなる」等のニュアンスをも含んで。


ん~ん

2006年11月29日 17時00分36秒 | その他
 今日は、日の入りが早い?昼間の時間が、最短?のようである。
 其のせいでもなかろうが、いまいちはっきりしない。落ち着かない。

 な~んてね。明後日からは、もう師走なので、走らねばならん。
 明日は晦日。と言う事で、来月の大晦日の予習である。

 暮から正月にかけては、なんだかんだ言っても、一大イベントなのである。
 本来、旧暦に沿うならば関係無いので在るが、世を挙げての流れが出来上がっている。故に、儂も其れに乗るのである。
 国中の寿ぎのパワーに便乗するのである。

 大晦日と言えば、大掃除である。が、是は、大袈裟に掃除をするものではない。
 元日に掃除するのを避けるため、その二日分である。
(折角いらした福神様を掃きださない様に掃除は控える。箒は「ハハキ」で神様のよりしろにも通じるので。)
 この時点で、前日までに、お飾り、門松は据え付けてある。はずである。

 お次は、御節の準備である。尤も、手作りは殆ど無い。何故か!
 儂が作るからである。ご存知のように、駄目な食材もある上、面倒なものは嫌いだからである。であるから、買出しが重要な仕事になる。
 蒲鉾、酢蛸、鳴門巻、伊達巻等を買ってきて切るだけである。勿論、飾り切り。
 あとは、出来合いのセットである。と、雑煮用の鶏を拵えて、気が向けば焼き豚なんぞを。以上を、お重に仕込んでおわり。

 さて、御節の用意もそうだが、お風呂の掃除と焚きつけも、男の仕事である。
(正月は、女は働かないものである。)故に、お風呂を汲んで入浴である。

 清めが終わると、今年一年、お世話になった御札、お守り等を持って神社に。
 御焚き上げと、最後のイベント。大祓えである。
 のであるが、なかなか出かけられないのである。

 なぜか!前日が忘年会なので、多分朝までになる。で、帰りついでに、お札を納めてくるのである。通り道だから。と言う事は、運転手さんが居れば、夜に出だせるが・・・と言う事である。一寸離れているのである。

 行けないときは自宅で大祓えの祝詞でも挙げて除夜の鐘を待つ。
 敢て鐘撞きには行かない。関係者と勘違いされるのである。

          今日の箴言
<自分がどう思おうと、周りが御目出度ければ、それに乗るのも良い。自分でそれだけの目出度い場を創り上げるのは難しいのだから。>

 

情報の取り扱い

2006年09月03日 15時59分50秒 | その他
 何事を起こすにしても、情報は必要であり大事である。

 しかし、何処かの国のように、最新の情報をよその国の提供に頼っていながら、集める量は多くとも、其の正確な分析が出来ない!のではなかろうかと疑わせるような所もあるので、個人の収集分析能力に、とやかく口出しすることは本意ではない。

 ではない!のではあるが、どうしたらそういう解釈が出来るの?と、頸を傾げざるを得ないような答えが出される時がある。
 質問に対する答えならば、それもアリかもしれないが、人の書いた文章を、勝手に自己判断分析して思い込み独自の解釈を施した上で、儂に対する非難のよりどころとするのはやめて欲しいのである。
 
 このての場合、殆どは、自分(反撃非難しようとしている側)にとって、都合の良い文言だけを無意識に取捨選択して、独自の理論体系を構築してしまうのだろうが、其の判断自体が間違って、又は恣意的に捻じ曲げられたものであれば、どこぞの隣国と呼ぶもおぞましい国と一緒である。

 普通に、平常心で読むならば。きちんと前後を把握し、一つの連続した文章として読むことが出来るならば、素直に読めると思うのだが。

 始めから、或いは途中からでも、思い込みに支配されると「疑心暗鬼」正常な判断は出来なくなってしまうのは、自明の理である。

 たかが私のブログである、そこに書いてあることを、丸呑みするなとは言わないが、勝手な裏読みで真に受けて、文句を言われても、何も言えないし出来ません。


  今日の箴言
<疑心、暗鬼を生ず> 「疑心生暗鬼」by「列子」

つらつらと

2006年08月04日 16時49分23秒 | その他
 扇風機のコードに足を引っ掛けて転びそうになった。
 歳かも。 あちこち痛いぞ。

 煙草の税金が上がった。
 そんな時、外国の例が引き合いに出される。
 やれ、どこそこはもっと高いだのなんのと。

 外国の例を引き合いに出すのなら、軍隊の無い国なんぞ見当たらない。
 バチカンにもプロの兵士が居るのだ。(スイスガードは本物のプロである。)
 あのスイスは、当然のように徴兵制が敷かれて居り、民間防衛も充実している。

 自分を守ることも出来ずに、人様を守ることなぞ出来はしない。
 「ボクがキミを守ってあげる」だと~!ぬかしてくれるよ。

 自己防衛は当然であるが、守るべき中身を持たない奴も多い。
 持たざることに、気付かないなら未だしも、在ると勘違いしている場合も多い。

 中身があっても、唯の石ころでは話にならない。
 瓦はどんなに磨いても鏡にはならないが、ダイヤの原石も、磨かなければ、文字通り「宝の持ち腐れ」である。
 
    今日の箴言
<ダイヤモンドを磨くには、ダイヤモンドを用いるべきである。他の宝石で磨こうとしても、ダイヤモンドの輝きを引き出す事が出来ないばかりか、下手すると宝石自身に傷を付ける事にもなりかねない。其の分、ダイヤならば他の宝石を輝かせる事も出来るのである。人付き合いは斯くありたいものだ。>

どしたかな

2006年01月07日 21時09分10秒 | その他
 うーむ・・・とりあえず最初だし、時間も暇もせっつかれてるし。こんな物か。
 明日は、久しぶりに釣りである。狙いは「鰈」であるが、寒そうなので、暖かいところでまったりと・・・。どちらかというと、攻めの釣りの人なので、待ちの釣りはどうかなーと。私よりも加美さんの方がよりアグレッシブなので、「カレイは寝て待て」と行くかどうか、鮎魚女を掘りに行っちゃいそうだな。
 後は、ご指導を仰ぐことにしよう。