令和6年8日~10日まで、富士周辺五名城(山中城、小田原城、石垣山一夜城、甲府城、武田氏館)と諏訪を廻ってきました。
20回にわたって紹介しています。
今回は、甲府城1 です。
石垣山城からのルートです。
甲府城周辺を見ると・・・・
JR甲府駅の南西に、舞鶴城公園として整備されています。
山梨に入ると、葡萄畑が一杯。
公園駐車場に着きました。
堀端にあったお稲荷さんにお参りし、遊亀橋を渡ると・・・・
いきなり巨大な石垣が見えました。東日本最大の石垣です。
ここで、パンフレットより、甲府城の歴史を確認しましょう。
1582年に平岩親吉が城代になった後、一度豊臣の手に渡りましたが、関ヶ原の後は「将軍の師弟が城主」と書かれています。実は、1603年には、後の尾張藩主、徳川義直が2歳で城主(城代は平岩親吉)になっているのです。義直が尾張藩主になると、その附家老は平岩親吉。つながりますね。このように、甲府城は尾張と関係があるのです。
その後も甲府は幕府の直轄地。そして綱吉の側用人、柳沢吉保が城主となります。
中山道が通る交通の要地であり、金山もあることから、重要な土地だったのです。
登りましょう。
発掘調査によって見つかった水だめ跡。お城は、水の確保は最重要ポイントです。
富士山が見えますが、部分的です。
稲荷曲輪門です。
稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門で、高麗門形式です。
発掘調査によって、柱の跡などが見つかりました。享保の火災でも焼けず、明治初年まで残っていたものを、平成11年に再建しました。
稲荷櫓の説明です。
起こしてみましょう。
稲荷櫓
城内の鬼門 (北東) に位置することから櫓ともよばれ、江戸時代には武具蔵として使われていた建物です。 明治初年まで残っていたことが古写真などでわかっており、発掘調査
でも2度にわたり建物を建築した痕跡 (遺構)と、 土地の平安を祈るための輪宝 (地鎖具)6点見つかりました。
今の建物は、この遺構や残っていた絵図や史料などをもとに、できるだけ当時の姿に復元したもの、 平成16年に建築しました。
現在は資料館になっています。
展示資料を紹介します。
「城内の石垣と石積技術」
「稲荷櫓の復元」
「甲府城 Q&A」
これはおもしろい!
Q 甲府城下に住んでいた人口は?
A. 1万2~3千人。柳沢時代には2万人以上。
Q 甲斐国の石高は?
A. 浅野親子が配置された1593年ごろには、23万石。加藤清正(熊本)や福島正則(尾張)と同じくらいです。
Q 甲府から江戸まで何日かかる?
A. 藩士で3泊4日、急ぎの旅人で2泊3日
など、興味深いですね。
「甲府城と城下町の名残を求めて」
「滴水瓦」
「軒丸瓦・軒平瓦」
「江戸時代の甲府城」
「甲府城下町絵図」
「甲府城の歴史」
「年表」
「歴代甲府の拝領者」
「甲府の2つの城下町」
「今も残る近世城下町の町割り」
「扇状地と城下町②」
「城下とお城に湧く『温泉』」
「甲州道中のクランク」
「扇状地と城下町①」
模型です。
これ以降は、発掘調査や復元時の様子です。
「愛宕山石切場」
「木組みの伝統技術」
勉強になります。
動画で紹介しましょう。
【日本100名城】【山梨】甲府駅から徒歩3分!甲府城を超高速攻略せよ 2022.08.27
【城めぐり】築城期の石垣が遺る 甲府城 山梨県【攻略ルート】
【歴史解説】武田一族が夢を叶えた城【甲府城】
明日に続きます。次は甲府城2です。富士周辺五名城と諏訪の旅-14-へ
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