こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
昨日、「水を飲んだらムズムズがなくなるよ!」って書いたじゃないですか。
で、もう嫌なので水をがぶ飲みしてたら、
なんだか微妙に苦しくなるまで頑張ってしまって(笑)
誰か笑ってやって下さい、エヘヘっ。
今日も皆さん、ありがとうございます。
昨日、「水を飲んだらムズムズがなくなるよ!」って書いたじゃないですか。
で、もう嫌なので水をがぶ飲みしてたら、
なんだか微妙に苦しくなるまで頑張ってしまって(笑)
誰か笑ってやって下さい、エヘヘっ。
ほおずき市から(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「身体の引き締めやダイエットに大切なものはなんですか!?」
こう聞かれたら、皆さんはどう答えるでしょうか。
定期的な運動。
栄養の管理。
間食をやめる。
あとは…
まあ、こんなところがメジャーな考えでしょうが、
私はあえて「スタイルをよくしたいという気持ちや試行錯誤」が一番大切だと考えています。
身体を引き締めるのですから、たいていは体重を量りますよね。
そうしないと、成果もなにもわかったものではない。
そこで、「ちょっと増えちゃった」とか「〇kgも減らせた!!」とか、
一喜一憂するわけです。
ただ、実はこの「一喜一憂」というのが曲者です。
なんでいけないのか、ちょっと考えてみましょう。
体重を量って、減っているうちはまだよいのです。
しかし、成果が出ていないと、やる気をなくしてしまうことが出てしまいます。
あるいは、成果が出たにしても、そこで節制をやめてしまったら、
結局は元の黙阿弥(もとのもくあみ)、体重は元に戻ってしまいます。
一方、成果に関係なく「痩せたい!」と思っていれば、
ある方法で失敗しても、別な方法を試すことができ、最終的には自分に一番合ったやり方を見つけられるのです。
あるいはまた、体型を整える大切さや素晴らしさがわかっていれば、
目標を超えてからも、長く続けられます。
おわかりになったでしょうか!?
「成果」ばかり求めていると、数字や他人に振り回されてしまうようになるのです。
成果を出すにしても、まずは前を向く姿勢を整えない限り、
まぐれ当たりしか引けません。
目指す姿勢があれば、結果にとらわれず前にすすんでいけるのです。
「結果を見たら努力しなくなる」というのは、とてももったいないこと。
結果を見るにしても、あくまで「達成感を味わいながら前に進め姿勢を維持するため」で、
結果が全てといった窮屈な考えでいては身が持ちません。
結果はあくまでも副次的なものです。
…とはいえ、いい結果、有り体に言えば「お金や地位」がないと、私達は生きていくことができません。
しかし、それもまた「姿勢が大事」なのです。
この話、綺麗事のようでいて実は結構、やってみると難しい話です。
まあ、それも含めて「やってみよう」という気持ちが大切なんですけどね(笑)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「身体の引き締めやダイエットに大切なものはなんですか!?」
こう聞かれたら、皆さんはどう答えるでしょうか。
定期的な運動。
栄養の管理。
間食をやめる。
あとは…
まあ、こんなところがメジャーな考えでしょうが、
私はあえて「スタイルをよくしたいという気持ちや試行錯誤」が一番大切だと考えています。
身体を引き締めるのですから、たいていは体重を量りますよね。
そうしないと、成果もなにもわかったものではない。
そこで、「ちょっと増えちゃった」とか「〇kgも減らせた!!」とか、
一喜一憂するわけです。
ただ、実はこの「一喜一憂」というのが曲者です。
なんでいけないのか、ちょっと考えてみましょう。
体重を量って、減っているうちはまだよいのです。
しかし、成果が出ていないと、やる気をなくしてしまうことが出てしまいます。
あるいは、成果が出たにしても、そこで節制をやめてしまったら、
結局は元の黙阿弥(もとのもくあみ)、体重は元に戻ってしまいます。
一方、成果に関係なく「痩せたい!」と思っていれば、
ある方法で失敗しても、別な方法を試すことができ、最終的には自分に一番合ったやり方を見つけられるのです。
あるいはまた、体型を整える大切さや素晴らしさがわかっていれば、
目標を超えてからも、長く続けられます。
おわかりになったでしょうか!?
「成果」ばかり求めていると、数字や他人に振り回されてしまうようになるのです。
成果を出すにしても、まずは前を向く姿勢を整えない限り、
まぐれ当たりしか引けません。
目指す姿勢があれば、結果にとらわれず前にすすんでいけるのです。
「結果を見たら努力しなくなる」というのは、とてももったいないこと。
結果を見るにしても、あくまで「達成感を味わいながら前に進め姿勢を維持するため」で、
結果が全てといった窮屈な考えでいては身が持ちません。
結果はあくまでも副次的なものです。
…とはいえ、いい結果、有り体に言えば「お金や地位」がないと、私達は生きていくことができません。
しかし、それもまた「姿勢が大事」なのです。
この話、綺麗事のようでいて実は結構、やってみると難しい話です。
まあ、それも含めて「やってみよう」という気持ちが大切なんですけどね(笑)
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
こないだ外食に行って、お魚の隣にあったほうれん草にポン酢がかかっていました。
実はこれがすっごくおいしかったんですね。
口に入るくらいの大きさに切って、
あとは茹でてポン酢をかけて口に入れるだけ(←「口に入れるだけ」って、当たり前すぎるか(笑))。
健康に良さそうだし、早くも新しい夕食の定番メニューになりそうです。
今日も皆さん、ありがとうございます。
こないだ外食に行って、お魚の隣にあったほうれん草にポン酢がかかっていました。
実はこれがすっごくおいしかったんですね。
口に入るくらいの大きさに切って、
あとは茹でてポン酢をかけて口に入れるだけ(←「口に入れるだけ」って、当たり前すぎるか(笑))。
健康に良さそうだし、早くも新しい夕食の定番メニューになりそうです。
プレーリードッグ(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
気の合わない人、機嫌の悪い人、嫌なことをしてくる人は、
そこら中にあふれています。
もちろん、そんな人たちと関わらなければ楽なことこの上ありませんが、
現実には、なかなかそうも言っていられません。
好きと嫌いとに関わらず、まず人と関わらないことには、人はなかなか生活ができないからです。
仕事はもちろんのこと、買い物にしたって遊びにしたって、
全員が全員、こちらの思うようには動いてはくれない。
なぜなら、みんな自分のペースや都合、それぞれの環境があって生きているからです。
さて。
ここまでの話を逆に考えてみましょう。
どんな人も自分のペースでいる以上、気に入らないことをする人だって、同じく自分の世界で生きているわけです。
そうであれば、いちいち相手のペースに付き合う必要もなければ、
一挙手一投足にいちいち意識を向けることだってないと思いませんか!?
相手が嫌ーな顔をしていたって、それは相手の世界の中でやっていることです。
もちろん、そういう人に思いやりを持って接してあげるのはいいこと。
しかし、自分は自分、相手は相手の世界で生きている以上、
こちらから「嫌な顔をする世界」に足を踏み入れることは、自分自身も嫌ーな顔をするリストを背負うことにもなります。
あるいは、こちらがなんにもしていないのに不躾(ぶしつけ)な態度を取ってきたところで、
そんなものは相手の世界から勝手に出たものですから、
いちいち気に病む必要もないわけです。
まあ、こんなのは理屈上の話で、
現実にはそこまで「相手様」と言って、人の言動を気にかけないような真似をするのは不可能でしょう。
人とペースを合わせなければ人間関係も崩れてしまうのですから、
合わないと感じる人とでも、上手くやり合えなければいけません。
しかし、この話を知っておけばこそ、
人のことを気に病んでどうしようもなくなることが減る代わりに、
「せめて自分だけは、人を傷つけるようなことはしないでおこう」と思えるようになります。
たとえ人を助ける場合でも、相手のペースに巻き込まれると、共倒れになりかねません。
自分の心身の元気を大切にすること、
それが人を幸せにする第一歩なのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
気の合わない人、機嫌の悪い人、嫌なことをしてくる人は、
そこら中にあふれています。
もちろん、そんな人たちと関わらなければ楽なことこの上ありませんが、
現実には、なかなかそうも言っていられません。
好きと嫌いとに関わらず、まず人と関わらないことには、人はなかなか生活ができないからです。
仕事はもちろんのこと、買い物にしたって遊びにしたって、
全員が全員、こちらの思うようには動いてはくれない。
なぜなら、みんな自分のペースや都合、それぞれの環境があって生きているからです。
さて。
ここまでの話を逆に考えてみましょう。
どんな人も自分のペースでいる以上、気に入らないことをする人だって、同じく自分の世界で生きているわけです。
そうであれば、いちいち相手のペースに付き合う必要もなければ、
一挙手一投足にいちいち意識を向けることだってないと思いませんか!?
相手が嫌ーな顔をしていたって、それは相手の世界の中でやっていることです。
もちろん、そういう人に思いやりを持って接してあげるのはいいこと。
しかし、自分は自分、相手は相手の世界で生きている以上、
こちらから「嫌な顔をする世界」に足を踏み入れることは、自分自身も嫌ーな顔をするリストを背負うことにもなります。
あるいは、こちらがなんにもしていないのに不躾(ぶしつけ)な態度を取ってきたところで、
そんなものは相手の世界から勝手に出たものですから、
いちいち気に病む必要もないわけです。
まあ、こんなのは理屈上の話で、
現実にはそこまで「相手様」と言って、人の言動を気にかけないような真似をするのは不可能でしょう。
人とペースを合わせなければ人間関係も崩れてしまうのですから、
合わないと感じる人とでも、上手くやり合えなければいけません。
しかし、この話を知っておけばこそ、
人のことを気に病んでどうしようもなくなることが減る代わりに、
「せめて自分だけは、人を傷つけるようなことはしないでおこう」と思えるようになります。
たとえ人を助ける場合でも、相手のペースに巻き込まれると、共倒れになりかねません。
自分の心身の元気を大切にすること、
それが人を幸せにする第一歩なのです。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
2週間ぶりに、パソコンがネットに繋がりました。
うわあい!!
友達が力を貸してくれて、すごく助かりました。
パソコンがないなんて、なんて心細いんだと思いました。
見守っていただき、ありがとうございます。
ホントに心ある温かい目に感謝です!
今日も皆さん、ありがとうございます。
2週間ぶりに、パソコンがネットに繋がりました。
うわあい!!
友達が力を貸してくれて、すごく助かりました。
パソコンがないなんて、なんて心細いんだと思いました。
見守っていただき、ありがとうございます。
ホントに心ある温かい目に感謝です!
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
ここんとこ主に就寝前、よく上半身や内臓がムズムズくすぐったい感じになります。
いやー、寝ようかというところに水を差される感じで、
こういう言い方は嫌ですが、一日の疲れに任せて寝ていたんです。
それで、昨日もまたムズムズとしてきたんですけど、
ケータイで調べてみたら「水分が不足するとなりやすい」というアドバイスがあったので、
早速1リットル、水を飲んでみたんです。
そしたら違和感もそんなにはなくなり、
スッと眠りに入れました。
同じ症状の方がどれくらいいらっしゃるかはなんとも言えませんが、
参考になる場面があれば幸いです。
今日も皆さん、ありがとうございます。
ここんとこ主に就寝前、よく上半身や内臓がムズムズくすぐったい感じになります。
いやー、寝ようかというところに水を差される感じで、
こういう言い方は嫌ですが、一日の疲れに任せて寝ていたんです。
それで、昨日もまたムズムズとしてきたんですけど、
ケータイで調べてみたら「水分が不足するとなりやすい」というアドバイスがあったので、
早速1リットル、水を飲んでみたんです。
そしたら違和感もそんなにはなくなり、
スッと眠りに入れました。
同じ症状の方がどれくらいいらっしゃるかはなんとも言えませんが、
参考になる場面があれば幸いです。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
頭痛が激しくならないうちに、冷凍庫から助っ人を呼んできました。
我らがアイスノンです。
これを項(うなじ)後頭部に当てるとラクになるんですねえ。
節電がらみでずいぶんと重宝されていますが、
今日は二重に役に立っています。
アイスノンがあってよかった!!
今日も皆さん、ありがとうございます。
頭痛が激しくならないうちに、冷凍庫から助っ人を呼んできました。
我らがアイスノンです。
これを項(うなじ)後頭部に当てるとラクになるんですねえ。
節電がらみでずいぶんと重宝されていますが、
今日は二重に役に立っています。
アイスノンがあってよかった!!
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
久しぶりに偏頭痛が出ました。
午前中の早い段階で兆候をキャッチしたので、即座に薬を飲んで事なきを得ました。
ただまあ、完全には治らず、痛み止め程度でしかないので、
ゆっくり過ごしています。
…というか、早く寝ます(笑)
パソコンも早く復旧させないと!
今日も皆さん、ありがとうございます。
久しぶりに偏頭痛が出ました。
午前中の早い段階で兆候をキャッチしたので、即座に薬を飲んで事なきを得ました。
ただまあ、完全には治らず、痛み止め程度でしかないので、
ゆっくり過ごしています。
…というか、早く寝ます(笑)
パソコンも早く復旧させないと!
とんぼ(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
子供が一生懸命に描いた絵というのは、多くの人の心を打つものがあります。
決して上手いとは言えない中にも、「伝えたい気持ち」がたくさん詰まっている。
そんな形跡が、色づかいや筆圧、そして全体から手に取るように伝わってくるからです。
それが、成長して大人になると、
作品に籠められた心よりも、技量や出来栄えで語られてしまうことが多くなります。
感動をするにはするのですが、そのあとに出てくる言葉が「上手い」とか「綺麗だ」というものになってしまう。
しかし、文書でも作品でも、肝心なのは「いかに上手く書いたか」ではなく「いかに自分の気持ちを伝えたり、心を動かせたか」です。
人を犠牲にするのは嫌なので自分の例を出しますが、
たとえば、私は写真が大好きで、時間が許す限り一眼レフのデジカメを持って、撮影をしています。
それを人に見せるわけですが、
感想が「綺麗」だけだと、肌感覚としては少し淋しいものを覚えるのが正直なところなんですね。
これだけ言うとかなり図々しい話に思えるかもしれませんが、ちょっと考えてみて下さい。
「ただの綺麗な写真」だけだったら、それなりのカメラや機材を揃えれば撮れるわけです。
つまり、見方によっては自分が伝えたいものではなく、機材の性能を褒めてもらっているかのようにも聞こえるわけです。
本当は作者なりの心があって作品ができるのに、
言われる側からすると、「上手い」で終わってしまうというのは「気持ちではなく機材や技量を褒められただけで、自分の心はなんにも伝わってないのかな」と感じにもなるです。
なんだってそうです。
別に、(御託(ごたく)を垂れ流したほうがいい」とか、「素直に感動してはいけない」と言っているのではありません。
そもそも人を褒めるというのは相手の存在を肯定することになりますから、
感動したことがあったら、素直に口に出して言ってあげたほうがいいに決まっています。
ただ、「上手い」とか「綺麗」、「おいしい」だけでは、心を動かしたかどうかはわからない、と言いたいだけなのです。
そこで、です。
冒頭に子供の絵の話をしましたが、
これも、一生懸命描いたから感動を引き起こすんですよね。
ということは、「技量」ではなく「一生懸命に伝えたかったこと」を、ほんの少しでも指摘してあげると、
相手をより喜ばせ、いい気分にできるわけです。
そのために、具体的にどこが良かったとか、こだわり方を見てあげるとか、
有り体に言えば「オンリーワン」の部分を見るのです。
一生懸命に作ったものは、一生懸命に味わう。
そうすれば、褒め言葉なんていくらでも出てきます。
社交辞令や礼儀として「そんなことはないですよ」と返す人は多いものですが、
具体的に褒めてあげればこそ、本当に「謙遜」で済むのです。
中には「結局、誰がやっても同じじゃないか」と、本心で言う人だっているのです。
どんな場面でも、「褒めればなんでもいい」とか「持ち上げれば100%喜んでくれる」ということはないのです。
差し出す時こそ、相手の立場に立つことが実は大切なのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
子供が一生懸命に描いた絵というのは、多くの人の心を打つものがあります。
決して上手いとは言えない中にも、「伝えたい気持ち」がたくさん詰まっている。
そんな形跡が、色づかいや筆圧、そして全体から手に取るように伝わってくるからです。
それが、成長して大人になると、
作品に籠められた心よりも、技量や出来栄えで語られてしまうことが多くなります。
感動をするにはするのですが、そのあとに出てくる言葉が「上手い」とか「綺麗だ」というものになってしまう。
しかし、文書でも作品でも、肝心なのは「いかに上手く書いたか」ではなく「いかに自分の気持ちを伝えたり、心を動かせたか」です。
人を犠牲にするのは嫌なので自分の例を出しますが、
たとえば、私は写真が大好きで、時間が許す限り一眼レフのデジカメを持って、撮影をしています。
それを人に見せるわけですが、
感想が「綺麗」だけだと、肌感覚としては少し淋しいものを覚えるのが正直なところなんですね。
これだけ言うとかなり図々しい話に思えるかもしれませんが、ちょっと考えてみて下さい。
「ただの綺麗な写真」だけだったら、それなりのカメラや機材を揃えれば撮れるわけです。
つまり、見方によっては自分が伝えたいものではなく、機材の性能を褒めてもらっているかのようにも聞こえるわけです。
本当は作者なりの心があって作品ができるのに、
言われる側からすると、「上手い」で終わってしまうというのは「気持ちではなく機材や技量を褒められただけで、自分の心はなんにも伝わってないのかな」と感じにもなるです。
なんだってそうです。
別に、(御託(ごたく)を垂れ流したほうがいい」とか、「素直に感動してはいけない」と言っているのではありません。
そもそも人を褒めるというのは相手の存在を肯定することになりますから、
感動したことがあったら、素直に口に出して言ってあげたほうがいいに決まっています。
ただ、「上手い」とか「綺麗」、「おいしい」だけでは、心を動かしたかどうかはわからない、と言いたいだけなのです。
そこで、です。
冒頭に子供の絵の話をしましたが、
これも、一生懸命描いたから感動を引き起こすんですよね。
ということは、「技量」ではなく「一生懸命に伝えたかったこと」を、ほんの少しでも指摘してあげると、
相手をより喜ばせ、いい気分にできるわけです。
そのために、具体的にどこが良かったとか、こだわり方を見てあげるとか、
有り体に言えば「オンリーワン」の部分を見るのです。
一生懸命に作ったものは、一生懸命に味わう。
そうすれば、褒め言葉なんていくらでも出てきます。
社交辞令や礼儀として「そんなことはないですよ」と返す人は多いものですが、
具体的に褒めてあげればこそ、本当に「謙遜」で済むのです。
中には「結局、誰がやっても同じじゃないか」と、本心で言う人だっているのです。
どんな場面でも、「褒めればなんでもいい」とか「持ち上げれば100%喜んでくれる」ということはないのです。
差し出す時こそ、相手の立場に立つことが実は大切なのです。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
世間では地デジ化とか言われてますが…なんと、私の自宅にはテレビがなく、ワンセグも使わないので、
全くなんの話をしているやら!?でした。
テレビは大切なメディアですし、良さもすっごくわかるんですが、風評被害とか偏向とかを目の当たりにしちゃうと、
テレビを持つことでかえって振り回されちゃうかもなあ…なんて思ってたり(笑)
これから日本におけるテレビがどんな位置付けになるか見極めてから、
テレビを見るか見ないか決めようと思います。
今日も皆さん、ありがとうございます。
世間では地デジ化とか言われてますが…なんと、私の自宅にはテレビがなく、ワンセグも使わないので、
全くなんの話をしているやら!?でした。
テレビは大切なメディアですし、良さもすっごくわかるんですが、風評被害とか偏向とかを目の当たりにしちゃうと、
テレビを持つことでかえって振り回されちゃうかもなあ…なんて思ってたり(笑)
これから日本におけるテレビがどんな位置付けになるか見極めてから、
テレビを見るか見ないか決めようと思います。
撫子の花(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「いい人ぶる」という言葉、ありますよね。
いい人に見られたいがために、本来の性格や欲求を押し殺して人と接することを言いますが、
もちろん、本心ではなく損得感情でやっているのなら、あまり褒められたものではありません。
それでも、人と接している以上、演じなければならない立場にあったり、
醜いとわかりつつわざわざよく見られようと必死になったりするのは、
結局、他人の目が持つ影響力が、いかに大きいかということを物語っているのではないでしょうか。
ということは、です。
他人の目の持つ影響力を考えたとき、「悪意を働く」ということは、
実は大変なリスクを背負うことにもなる、ということが言えると思うんです。
たとえば、一生懸命しゃべっている人に、真面目な話が苦手だからと茶化す人がいます。
この時、自分を悪く思うのが「茶化した相手だけ」だったらまだ耐えられるかもしれない。
しかし、その現場を見た人、そしてその様子を伝えられた人みんなから、
「そういう嫌な奴だ」と思われることを考えれば、
「ちょっかいを出して楽しむのもいいけど、せめて真面目モードじゃない時にしようかな」ぐらいの判断力も働くもの。
つまり、人に悪いことをすると何倍にもなって跳ね返ることを考えれば、
そう簡単に、人を傷つけるようなこともできないハズなんですね。
愛のないことは言わない、しない。
嫌な表情はしない。
簡単なようで、すごく難しいことです。
誰だってムッとすることはあるし、嫌なことをされて仕返しをしたくなることだってある。
それに、毎日機嫌がいい人もいません。
せいぜいプラス思考を心がけるのがやっと、という人がほとんどでしょう。
しかし、たまたまやったことが裏目に出るのならまだしも、明らかに人に悪い影響が及ぶようなことぐらいは、
自制するようにしたほうがいい。
感情は出し所なんです。
わざわざ人を狙って悪さを働かなくても、好きなことをして気を紛らわせるとか、ゆっくりリラックスするとか、
いくらでも方法はあるハズです。
「人を傷つけない」というのは、人のためのようでいて、実は自分のためにもなるのです。
人を傷つけなければ評価が下がることもないし、まして悪評が立つこともなく、
自分の周りが幸せになっていく。
これがわかっていれば、簡単に人に嫌な思いはさせられません。
人の目を気にするばかりでも、気にしないのもダメなのです。
つまり、「人を傷つけなければ、あとは気にしなくていい」ということですが、
これもまた、ケースバイケースではあります。
結局、「どのくらい人を大切に、幸せにしようとしたか」が問題なのです。
皆さんは大丈夫ですか!?
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「いい人ぶる」という言葉、ありますよね。
いい人に見られたいがために、本来の性格や欲求を押し殺して人と接することを言いますが、
もちろん、本心ではなく損得感情でやっているのなら、あまり褒められたものではありません。
それでも、人と接している以上、演じなければならない立場にあったり、
醜いとわかりつつわざわざよく見られようと必死になったりするのは、
結局、他人の目が持つ影響力が、いかに大きいかということを物語っているのではないでしょうか。
ということは、です。
他人の目の持つ影響力を考えたとき、「悪意を働く」ということは、
実は大変なリスクを背負うことにもなる、ということが言えると思うんです。
たとえば、一生懸命しゃべっている人に、真面目な話が苦手だからと茶化す人がいます。
この時、自分を悪く思うのが「茶化した相手だけ」だったらまだ耐えられるかもしれない。
しかし、その現場を見た人、そしてその様子を伝えられた人みんなから、
「そういう嫌な奴だ」と思われることを考えれば、
「ちょっかいを出して楽しむのもいいけど、せめて真面目モードじゃない時にしようかな」ぐらいの判断力も働くもの。
つまり、人に悪いことをすると何倍にもなって跳ね返ることを考えれば、
そう簡単に、人を傷つけるようなこともできないハズなんですね。
愛のないことは言わない、しない。
嫌な表情はしない。
簡単なようで、すごく難しいことです。
誰だってムッとすることはあるし、嫌なことをされて仕返しをしたくなることだってある。
それに、毎日機嫌がいい人もいません。
せいぜいプラス思考を心がけるのがやっと、という人がほとんどでしょう。
しかし、たまたまやったことが裏目に出るのならまだしも、明らかに人に悪い影響が及ぶようなことぐらいは、
自制するようにしたほうがいい。
感情は出し所なんです。
わざわざ人を狙って悪さを働かなくても、好きなことをして気を紛らわせるとか、ゆっくりリラックスするとか、
いくらでも方法はあるハズです。
「人を傷つけない」というのは、人のためのようでいて、実は自分のためにもなるのです。
人を傷つけなければ評価が下がることもないし、まして悪評が立つこともなく、
自分の周りが幸せになっていく。
これがわかっていれば、簡単に人に嫌な思いはさせられません。
人の目を気にするばかりでも、気にしないのもダメなのです。
つまり、「人を傷つけなければ、あとは気にしなくていい」ということですが、
これもまた、ケースバイケースではあります。
結局、「どのくらい人を大切に、幸せにしようとしたか」が問題なのです。
皆さんは大丈夫ですか!?