青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

愛用歯磨き粉☆

2010年10月25日 23時24分17秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 〇〇人は歯が命。

 …というわけではないんですが、
 「長く使うものなんだから少し背伸びしよう」というコトで、歯磨き粉はアパガードを使っています。
 こういうのには極力お金を掛けたいのが、私の考えです。

 高額商品ともなると流石に効いているのか、
 磨くのが楽しくなります。
 ちなみに「造顔マッサージ」で有名な田中宥久子さんは、
 「口内がキタナいと病気になりやすい説」を提唱しています。
 思い当たる皆さん、じっくりと歯磨きするのをためされてみては!?

罪悪感が呼ぶ罪悪感。

2010年10月25日 11時31分36秒 | 青裸々日記。
サルビア(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 失敗をすると、自分が途方もなくダメな人間に思えてしまうものです。

 もちろん、自分を責めることは時に必要です。
 しかし、「失敗をして、自分をダメに思える」心理が、
 自分の行動にどんな影響を与えるかを知ることは大切です。
 なぜなら、「自分をダメに思う」心理は、
 連鎖していくと、誰も幸せにならないことがハッキリしているからです。


 ゴミをゴミ箱に入れることには、なんの疑問もありませんよね。
 しかし、人間をゴミ箱に入れることには、抵抗を感じるのが普通というものです。
 では、「ステキな人」と「ダメな人間」、
 このどちらを大切にしようかと言えば、
 間違いなく前者でしょう。
 ここに落とし穴があるのです。

 自分を「ダメな人間」と思えばこそ、
 ・幸せになってはいけない
 ・負い目を差し置いて自分だけ立ち直るなんて許せない
 ・幸せなんて抱え切れるハズがない
 こんな心理になってしまいがち。
 だからこそ、気持ちでは「ダメ人間を克服したい」と思いながら、
 実際に克服できるチャンスが訪れたり、
 救いの手が差し延べられたとしても、
 罪悪感が強いほど、「ダメな自分が幸せになってはいけないんだ」と、克服や幸せへの道を振り払ってしまうのです。
 ダメな人はダメなままでズタボロでいたほうが、
 自分の価値相応で、かえって筋が通るは通るのです。


 しかし、それは一時的なもの。
 「ダメな人はダメなままでよい」のかもしれませんが、
 ダメなままでいれば、当然、ダメな行為(=失敗)を繰り返し、
 その失敗がさらに罪悪感を生み、そしてまた「自分はダメなんだから…」という、
 無限の罪悪感に苛まれてしまう
のです。

 このことから、「結局、ダメなままでいて幸せになる人なんていない」という結論が導き出されるわけです。



 では、どうすればよいのでしょうか!?

 私は方法なんてないと思います。
 理屈で言えば「「自分はダメじゃない」と思って下さい」で済みますが、
 自分をダメと思わしめる過程や理由なんて、軽々しく断定出来るものではないからです。
 しいて言うならば「自分はダメじゃない」と思える根拠を探し、心の痛みを癒しつつ、
 罪の償いはしっかりやりましょう
位しかアドバイスは出来ません。
 そもそもの話、「自分はダメなんだから、もっとダメになることこそ正義だ」と信じ込んでいる人にとって、
 アドバイスは「こうなったらあなたはダメになれなくなる(=「幸せ」という不幸になるんですよ)」という餌を与えているようなものだからです。



 結局。


 「ダメなことがどれほどいけなくて、しっかりしていることの恩恵がどれほどか」ということを、
 一人ひとりが感じ、学んで、
 それぞれに出た結論を心に固く誓うしか、道はありません


 主観的にも客観的にも、
 自分と向き合うことが大切なのです。

久しぶり!?

2010年10月25日 08時57分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 先日、友達と男二人で飲んできました。
 私は弱くないながら、普段はお酒を飲むメリットをそんなに感じないので飲まないんです。
 が、こういう日は別。
 適度に飲んで、楽しんできました。


 学生時代からの付き合いなのですが、
 やはり壁がないような関係ってよいですね。
 もちろん、普通の男のコが集まればするような会話もしてきました(笑)
 (↑良い子のみんなは考えちゃダメだよ!)
 やはり本音で話すって大事です。

 話してスッキリしました。
 先行きに不安があるのは確かですが、
 出来るコトはしっかりやらないと。
 絶えず外に向かって、よい影響を与えられる人でありたいと思います。

300000PVの感謝!!

2010年10月24日 18時06分46秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 昨日でついに、この「青裸々日記」の累計閲覧ページ数が、
 30万ページになりました。
 まあ、自分で見ている分も含まれるので、
 正確には今日で達成したことになるのかもしれません。


 ちょっと小難しい話もするし、
 下手をしたら少し振り回してしまったんじゃ!?という投稿も、
 正直ありました。
 それでもじわじわと、見て下さっている方が増えている、
 こんなありがたい話はありません。
 たまに物凄い勢いで読んでいただいている方もいらっしゃるようで、
 本当にもう、そんな方には感謝しか出て来ません。


 私は弱い人間です。
 それを支えて下さっているのは、友達や仲間、
 そして読者の皆さんです。

 これからもよろしくお願いします。

大國魂神社

2010年10月24日 17時57分56秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 今日の東京は雨。
 私は写真が撮れないとツマンナイので、
 天気が悪い日は、「ひきこもり」を決め込む、
 格好のターゲットになったりします。


 しかし。

 なんか嫌なんですよね、外の空気を吸えないと。
 …というコトで、行こう行こうと思っていながらなかなか行けなかった、
 自宅からほど近い大國魂神社に行ってきました。
 最近、なんだか「とりつかれた」ように、
 いろんな神社に参拝しているものだと、われながら思います。


 過去ログにもあるように、
 私は高校時代、陸上部にいたんですが、
 大会に行く待ち合わせが府中本町駅でよく目の前を通っていました。
 ちょっとまあ、その「高校時代」というのに引っ掛かるものを感じたコトもあり…。


 しっかり身をたださなきゃです(笑)

営業嫌い。

2010年10月24日 17時43分10秒 | 青裸々日記。
コスモス(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「頼まれてもいないのにいい人ぶる」人、いるじゃないですか。
 笑顔で視線を合わせてくるとか、
 こちらが負い目を感じる位、親切にしてくれるとか。

 「せっかくの人の好意をなじるなんて、酷い奴じゃないか」と思われてしまいそうですが、
 皆さんの中にも、必要以上に「お節介」を焼かれて困った経験がある方、
 いらっしゃると思うんです。


 「営業」というのは、すなわち「自然体」と大きく掛け離れた姿勢と言えます。
 「自然体」という言葉それ自体が抽象的なものであることが、この「営業嫌い」の問題を難しくしてしまうのですが、
 少し法律っぽく言うと、
 「前後の言動と比べて、明らかに妥当性や連続性がなかったり、あるいは飛躍している」のが「営業」、
 その反対が「自然体」と言えます。
 ちょっと難しい言葉を羅列してしまったので、
 読み飛ばした方のためにわかりやすい例で説明します。

 普段から、人に対して不誠実な人がいたとします。
 挨拶はしない、言葉を選ばない、表情に無頓着、人の気持ちを読もうともしない。
 ところが、この人が急に態度を変え、
 いきなりニコニコとして「お役に立たせてください」と来たら、
 皆さんはなんらかの「意図」を感じずにはいられないと思うんですね。
 逆に、普段から善意を大切に生きている人であれば、
 同じく「お役に立たせてください」という申し出があっても、
 どちらかと言えば、気持ちを受け取るのに躊躇しないと思うんです。


 「自然体です」
 「なんの意図もありません」
 こう言ってしまうのが、私達人間というものです。
 表に出す態度、そして言葉は、どうしても飾りたくなるもの。
 しかし、どんなにその場で踏ん張ったかにかかわらず、
 本当に気持ちを受け取ってもらえるかは、
 最終的に普段からの行動がモノを言う
のです。

 「だから営業的な行為はやめたほうがよい」、
 こんな結論に持っていくのは簡単ですが、
 もう少し話を続けさせて下さい。


 わざわざこんな文章を読まずとも、
 「営業的になることに取り立ててメリットはない」こと位、
 頭の切れる皆さんなら、わかると思うんですよ。
 それでもなぜデメリット満点の「営業的」なことをしてくる人が後を絶たないのか!?というところに、
 目を向けていただきたいのです


 もしかしたら、自分の存在理由が見えなくなっているのかもしれない。
 認められたい気持ちが、爆発しているのかもしれない。
 なんとか落ち度をなくしたいのかもしれない。

 慈しみの目を向ければ、きっと鼻につく言動の裏の「痛み」が見えるハズです。
 「認められよう精神」の強い人を、いくら嫌っても構わない。
 ただ、少しだけ洞察を加えて見てみると、
 「どんな人も本当は善意の人だけどそれがねじ曲がっている場合がある」、
 こういう視点に立つことが、もしかしたら出来るのかもしれません。

「ひとこと」始めます

2010年10月24日 00時31分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私事ですが、基本的にスケジュールがランダム気味なので、
 どうしても睡眠時間が不安定になりがちだったりします。

 そこで、きちんと睡眠を管理するために、
 「ひとこと」機能を使って、睡眠時間を記録するためだけに使おうと思います。


 基本的に返信はしませんので、
 あしからず。

☆ルックス向上委員会 その43☆やはり基本は筋トレ!!

2010年10月24日 00時00分00秒 | ルックス向上委員会
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 迷った時は、シンプルに基本に戻れ。

 深みにはまってしまったトキの鉄則ですよね。
 引き締めやダイエット、シェイプアップにもそれが言えると思います。

 1日15分だって、習慣のない人には負担になるものです。
 そこで、1分ならいかがですか!?というコトで、
 私からこの本のご紹介。

 1分くらい…なら、踏み出すのは簡単なハズです。
 こういう努力が実を結びやすい、自分の裁量でどうにかなるものの場合、
 問題は「やるかやらないか」の差でしかないので、
 アクセルさえ踏んでしまえばこっちのもの。
 あとは楽しんで体型や体質を変えていけば、
 奇跡は目の前です。

 これまで沢山、ルックスに関する話題を提供させていただきました。
 これまでの投稿が少し高い壁に感じた皆さん、
 再チャレンジ、始めませんか!?!?


たった1分で人生が変わる 筋トレの習慣
大西 仁美
中経出版

伊勢神宮展

2010年10月23日 20時14分13秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 今日は日本橋の三越でやっている、
 伊勢神宮展を見てきました。
 東京大神宮でパンフレットを配っていてそれで知ったのですが、
 神社好きの私としては、ゼヒ行っておきたくて。

 やはり歴史の重みはただものではありませんね。
 先祖代々、多くの人達が育み、伝承してきた文化って、
 見るたびに神々しい魅力を感じます。


 いつかは伊勢神宮と熱田神宮には行ってみたくて、
 その雰囲気だけでも味わえてよかったです。
 本当に参拝できる日を、切に楽しみにしています。

蒲田八幡神社

2010年10月23日 16時12分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 どん底からの、生還。

 実は8月中頃、私は「社会的な生死」の境目にいたんです。
 その最中に、羽田空港に行く横でふと見かけた、
 この蒲田八幡神社。
 すがるようにお参りしたことが偲ばれます。
 多くの暖かい眼差しで、
 なんとか立ち直れたことに感謝です。


 私はこのまま終わらないんだから。

「気持ち良さ」には素直に。

2010年10月23日 15時25分27秒 | 青裸々日記。
JR内房線(千葉県鋸南町)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 電車で席を譲ると、時に座っているよりも気分がよくなることがあるものです。
 このように、人に親切にすると、なぜ気持ちがよいのでしょうか!?

 理由は様々ですが、
 私はその一つに、「自分の居場所が得られるから」というものがあるのだと思います。
 自分の力を出すことで、
 誰かが助かったり、安息を得られたりする、
 あるいは、力を合わせることで、ステキなものを築いていけるのであれば、
 親切にしたい気持ちに従わない理由なんて、どこにもないと思うんですよ。

 ちなみに私は去年、「「優しいですね」という言葉は時に毒になるんですよ」という投稿をしたんですが、
 根本的な理由は同じです。
 どうせ人と接するなら優しくしておくほうがお互いに気持ち良いわけで、
 「優しくする」ことは、別段そんなに褒められたことでもないのです。
 人に優しくするのは、呼吸をするのと同じレベルの話。
 つまりは「褒める所がないか、優しくすることの気持ち良さがわかっていないか」のどちらかの意味合いになりかねず、
 場合によってそれは失礼なんじゃないの!?と警鐘を鳴らしておきたかったからです。


 さて。

 余計な話をしてしまいましたが、
 人のために力になれることがあれば、
 それを惜しむことはありません。
 ただし、「人のため」と言っても様々です。

 身を削って血を流し、それで誰かを助ける。
 単純に気分がよくなるから、やってみる。
 自分に酔いたいから、ちょっと腕を捲ってやる。

 いずれも「人を助ける」ことには変わりがありません。
 私が言いたいのは、「なるべく犠牲をせず、無理なく人のためになることをしましょう」ということ。
 人に素直にして気持ち良さを感じるなら、
 それをどんどんやっていけば、
 文字通り「互恵的な関係」になれるわけです。

 もちろん、善意や感動の押し売りは厳に慎む必要があります。
 しかし、自分の善意が相手に通じているかどうかがわかれば、
 きっとより良い善意の投げ方がわかると思うんです。



 相手がどう出ようと、自分は善意に生き、従っていく。
 本当はすごく厳しく難しい話です。
 やってみればすぐにわかります。

 しかし、それを1mmでも乗り越えられた時、
 精神的な収穫が得られるのではないでしょうか。

同音異義。

2010年10月23日 14時07分58秒 | 青裸々日記。
岩井神社への道から(千葉県南房総市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 同じ花の写真を見るのでも、
 全体を俯瞰した写真か、細部を拡大した写真かで変わってくるものですよね。
 また、「咲き始めか散り際か」でも、表情は違います。
 さらに、上からか下からか、はたまたどんな角度から見るかで、
 やはり同じ花には見えない位、違うものと感じることがあるものです。


 これと同じことが、言葉にも言えるのではないでしょうか。


 ☆ ☆ ☆

 同じ言葉を言っているようでも、
 受け手の環境や感じ方、受け止め方で、
 意味合いが全然違ってくる場合があります。

 「自分に優しくしましょう」
 「人よりまず自分が大切です」
 こういう「甘い言葉」がその代表例です。
 たとえ罪のない言葉であっても、
 相手を間違えると、図に乗ったり勘違いする危険性があります
 本当に涙が出る位、努力をしている人に投げ掛けるのと、
 普段から横柄や無礼を働く人に言うのでは、
 どちらが「甘い言葉」を掛けるに相応しいかといえば、
 明らかに前者ですよね。
 あるいはまた、自分だけ「悟り」を開いてしまった人の言葉もそうです。
 いくら心地好い気分で「真理」を知ったと喧伝したところで、
 「苦しんでいる渦中にいる人」にいくら同じ言葉を言っても、
 必ずしも同じ感覚になって「悟って」くれるかは、また別の問題だったり。


 だいたい人間、自分に優しくしていても、いつもいつも気持ちがよいとは限らないものです。
 向上心があればこそ、自分にビシバシと「しつけ」をして、
 さらに上を目指せるわけです。
 そういう努力って、自発的にやっているものであれば、
 きっと楽しいハズなんですよ。
 反対に、「水は低きに流れる」と言うように、
 なあなあにしているうちに、さらにダラける方法を探してしまう。
 そうすれば、最終的には完璧に依存できる人を探す以外、道がなくなってしまいます。
 なにより、それで本人が幸せになるとは思えません。



 つまり、
 「一人ひとりに、掛けるべき言葉は違う」
 「言葉の持つ威力を軽視すると、とんでもない誤解をする人が出て来る」

 こう言いたいのです。



 他人にどんな言葉を掛けられようが、
 それを最終的にどう受け取るかは、自分の責任です

 もちろん、言われのない理不尽には、対処をする必要はあるでしょう。
 しかし、「発する/受け止める」のコントロール出来るのは自分の側でしかありません

 だからこそ、誰もが」言葉を受け止める」とはどういうことか、
 いつかは考えておく必要があるのです。

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