岩井神社への道から(千葉県南房総市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
人間関係における駆け引きは、
切磋琢磨する原動力になったり、
時に刺激的で、付き合いをより楽しくしてくれるものです。
こう聞いてしまうと、
「駆け引きは素晴らしいものじゃないか、どんどん技をつけよう」などと、
いわゆる「武装」を始めたくなるもの。
たしかに駆け引きは楽しいし素晴らしい。
しかし、どんな物事にも押しなべて二面性がある以上、
駆け引きにも、きちんとそれによる弊害が潜んでいるのです。
…その弊害とは!?
☆ ☆ ☆
私は高校時代、陸上競技部にいたのですが、
短距離競走でもない限り、必ず駆け引きがあったものです。
一例を挙げると、
・ペースをわざと落とし、疲れ果てたように見せてラスト1周で底力を出す。
・最初から飛ばせるだけ飛ばして、戦意を喪失させる。
・同じ学校から4人以上参加していたら、どちらかと言えば遅い2人で挟み込んで捨て石要員になり、
残りの者は上位を目指す。
さて。
いずれにも共通することは、一体なんでしょうか。
それは、「ホンネを読まれないこと」です。
「本当はこれこれこういうふうにしたい」という気持ちがいくらあれど、
手の内や本心がバレたら「対策」されてしまいます。
そこで、本心をさとられず、自分を実際以上に価値があるように見せ、
相手を刺激することで得をしたり有利に事をすすめるためにすること、
それが「駆け引き」なのです。
しかし、あまりに駆け引き重視に傾いてしまった関係というのは、
一体、本当に心から幸せなものだと言えるのかと、
疑いたくなることがあります。
駆け引きを楽しみ、刺激を味わうまではよい。
しかし、駆け引きの果てになにがしたいのか、
これもわからずに駆け引きばかりしているようでは、
いつまでたっても「幸せな関係」などおぼつかないのではないか!?と、
私は思うわけです。
別に大層な理念などは要りません。
駆け引きに勝って、そのあとでどういう関係を築き上げたいのか、
例えば信頼関係、互恵的関係、仲間意識、
おぼろげでもこんなものが先に見えていることが、
駆け引きをする前提条件なのです。
駆け引きを自体が楽しければよいのかもしれませんが、
それでお互いに疲れたり、自分のホンネすら見えなくなったり、
はたまた駆け引きをする目的すら見失ってしまうようであれば、
もはやその関係には、破綻しか待っていないように思えます。
駆け引きはたしかに楽しいし、前向きなトリックにはなりえます。
しかし、駆け引きをするあまり、自分の本音やビジョンが相手に伝わらなくなってしまったら、
それは本当に悲しいことだと思います。
こと人間関係においては、
最終的にお互いが本当の意味で幸せになる、
こんな信念を持っておくと、何倍ものリスクが減ることがあるのではないでしょうか。