
ヤマノミ(東京都品川区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
人間の価値を、目に見えるものでことさら計りたがる人がいます。
学歴や年収、肩書、社会的地位、
こんな例が、わかりやすい最たるものでしょうか。
私は別に偏見を持つとか持たないとか、
そういう綺麗事の範疇を出ない話をしたいのではありません。
ぶっちゃけ、偏見なんて多少なりとも持っているのが普通だし、
「君子危うきに近寄らず」という言葉もあるように、
偏見あるがゆえ、ある程度「危ない傾向」のあるものに面と向かうリスクが省けたりもするわけです。
しかし。
「目に見えるもの」
「数値化できるもの」
人を見る上で、こんなものだけしか頼れないというなら、
それはかなり危険だと私は思います。
「人を数値化されたものでしか計れない、それならそれで構わないしまゃないか」という人がいるかもしれません。
しかし、そう言うのなら、
たとえどんなによい関係を結べていても、
そのグレードや数値を上回るものと出会ってしまった場合、
その関係は脆くも崩れ去るのみです。
それだけに留まりません。
人を数値化して見てばかりいると、
自分自身も数値化して見られているような気になってしまうものです。
そうすれば、結果は歴然としています。
「自分を上回るものが出たらどうしよう」等とおっかなびっくりな姿勢になり、
ゆくゆくは関係の破綻が待ち受けているわけです。
私達は人と付き合う中で喜怒哀楽を共にし、分かち合い、
その瞬間、瞬間が、かけがえのない人生を築き上げるのです。
そうであるならば、人生の価値、人間の価値というのは、
もはや数値化できるものではないハズです。
だいたい、人間の持っている魅力や価値、空気感や雰囲気なんて、
感じ方なんて本当は人によりけりです。
例えば同じ美人でも「キレイ」か「カワイイ」かで、
どちらを選ぶかはもはや個人の好き好きですよね。
こんなように、本当は誰もが「数字では計り得ないもの」を持っているハズです。
そんな考えを端から無視し、
人を「年収」や「肩書」などといった、人格という概念が必要ないもの「だけ」で判断したり付き合う、
こんな人たちはどうやったら人との付き合いに意義を見いだせるのか、はなはだ疑問だったり。
「よっぽど〇〇で苦労したから不安なのかなあ?」ぐらいしか、私には想像できません。
結局、人間は頭で繋がるのではなく、心で繋がるもの。
たとえ現実ではどんな障壁やバイアスがかかろうとも、
そう信じていたほうが救われます。
なぜなら、そんな考えこそが、
人との繋がりや付き合いに一筋の光を差し込み、
前向きで他人を幸せにできる言動に結び付くからです。