青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「気持ち良さ」には素直に。

2010年10月23日 15時25分27秒 | 青裸々日記。
JR内房線(千葉県鋸南町)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 電車で席を譲ると、時に座っているよりも気分がよくなることがあるものです。
 このように、人に親切にすると、なぜ気持ちがよいのでしょうか!?

 理由は様々ですが、
 私はその一つに、「自分の居場所が得られるから」というものがあるのだと思います。
 自分の力を出すことで、
 誰かが助かったり、安息を得られたりする、
 あるいは、力を合わせることで、ステキなものを築いていけるのであれば、
 親切にしたい気持ちに従わない理由なんて、どこにもないと思うんですよ。

 ちなみに私は去年、「「優しいですね」という言葉は時に毒になるんですよ」という投稿をしたんですが、
 根本的な理由は同じです。
 どうせ人と接するなら優しくしておくほうがお互いに気持ち良いわけで、
 「優しくする」ことは、別段そんなに褒められたことでもないのです。
 人に優しくするのは、呼吸をするのと同じレベルの話。
 つまりは「褒める所がないか、優しくすることの気持ち良さがわかっていないか」のどちらかの意味合いになりかねず、
 場合によってそれは失礼なんじゃないの!?と警鐘を鳴らしておきたかったからです。


 さて。

 余計な話をしてしまいましたが、
 人のために力になれることがあれば、
 それを惜しむことはありません。
 ただし、「人のため」と言っても様々です。

 身を削って血を流し、それで誰かを助ける。
 単純に気分がよくなるから、やってみる。
 自分に酔いたいから、ちょっと腕を捲ってやる。

 いずれも「人を助ける」ことには変わりがありません。
 私が言いたいのは、「なるべく犠牲をせず、無理なく人のためになることをしましょう」ということ。
 人に素直にして気持ち良さを感じるなら、
 それをどんどんやっていけば、
 文字通り「互恵的な関係」になれるわけです。

 もちろん、善意や感動の押し売りは厳に慎む必要があります。
 しかし、自分の善意が相手に通じているかどうかがわかれば、
 きっとより良い善意の投げ方がわかると思うんです。



 相手がどう出ようと、自分は善意に生き、従っていく。
 本当はすごく厳しく難しい話です。
 やってみればすぐにわかります。

 しかし、それを1mmでも乗り越えられた時、
 精神的な収穫が得られるのではないでしょうか。

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