青裸々日記 Aorara Diary

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同音異義。

2010年10月23日 14時07分58秒 | 青裸々日記。
岩井神社への道から(千葉県南房総市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 同じ花の写真を見るのでも、
 全体を俯瞰した写真か、細部を拡大した写真かで変わってくるものですよね。
 また、「咲き始めか散り際か」でも、表情は違います。
 さらに、上からか下からか、はたまたどんな角度から見るかで、
 やはり同じ花には見えない位、違うものと感じることがあるものです。


 これと同じことが、言葉にも言えるのではないでしょうか。


 ☆ ☆ ☆

 同じ言葉を言っているようでも、
 受け手の環境や感じ方、受け止め方で、
 意味合いが全然違ってくる場合があります。

 「自分に優しくしましょう」
 「人よりまず自分が大切です」
 こういう「甘い言葉」がその代表例です。
 たとえ罪のない言葉であっても、
 相手を間違えると、図に乗ったり勘違いする危険性があります
 本当に涙が出る位、努力をしている人に投げ掛けるのと、
 普段から横柄や無礼を働く人に言うのでは、
 どちらが「甘い言葉」を掛けるに相応しいかといえば、
 明らかに前者ですよね。
 あるいはまた、自分だけ「悟り」を開いてしまった人の言葉もそうです。
 いくら心地好い気分で「真理」を知ったと喧伝したところで、
 「苦しんでいる渦中にいる人」にいくら同じ言葉を言っても、
 必ずしも同じ感覚になって「悟って」くれるかは、また別の問題だったり。


 だいたい人間、自分に優しくしていても、いつもいつも気持ちがよいとは限らないものです。
 向上心があればこそ、自分にビシバシと「しつけ」をして、
 さらに上を目指せるわけです。
 そういう努力って、自発的にやっているものであれば、
 きっと楽しいハズなんですよ。
 反対に、「水は低きに流れる」と言うように、
 なあなあにしているうちに、さらにダラける方法を探してしまう。
 そうすれば、最終的には完璧に依存できる人を探す以外、道がなくなってしまいます。
 なにより、それで本人が幸せになるとは思えません。



 つまり、
 「一人ひとりに、掛けるべき言葉は違う」
 「言葉の持つ威力を軽視すると、とんでもない誤解をする人が出て来る」

 こう言いたいのです。



 他人にどんな言葉を掛けられようが、
 それを最終的にどう受け取るかは、自分の責任です

 もちろん、言われのない理不尽には、対処をする必要はあるでしょう。
 しかし、「発する/受け止める」のコントロール出来るのは自分の側でしかありません

 だからこそ、誰もが」言葉を受け止める」とはどういうことか、
 いつかは考えておく必要があるのです。

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