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賢治終焉についても特別扱いはせずに


 さて、ここまで『校本宮澤賢治全集』における杜撰について幾つか論じてきたが、かつての私であれば恐れ多くて触ることを避けてきた賢治終焉に関しても特別扱いすべきでない、とこの度覚悟した。それは、石井洋二郎氏の、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘に倣って、賢治に関して常識的におかしい事柄について検証してみると、ほぼおかしいということを痛感してきたからである。それを敷衍してみると、「賢治終焉に関しても」同じようにこの警鐘が鳴らされるはずだからだ。
 そこで、賢治終焉の前日や前々日について賢治研究者等はどう書き残しているかを調べ、下掲のような一覧表にしてみた。

  【宮澤賢治終焉前々日、前日の面談一覧#1~#4】








 すると見えてきたことがある。これらの一覧を見比べてみれば、どう考えても、これらから『校本年譜』の昭和8年9月20日の次の記載、
九月二〇日(水) 前夜の冷気がきつかったか、呼吸が苦しくなり、容態は急変した。花巻病院より来診があり、急性肺炎とのことである。…投稿者略…
 夜七時ころ、農家の人が肥料のことで相談にきた。どこの人か家の者にはわからなかったが、とにかく来客の旨を通じると、「そういう用ならばぜひあわなくては」といい、衣服を改めて二階からおりていった。玄関の板の間に正座し、その人のまわりくどい話をていねいに聞いていた。家人はみないらいらし、早く切りあげればよいのにと焦ったがなかなか話は終らず、政次郎は憤りの色をあらわし、イチははらはらして落ちつかなかった。話はおよそ一時間ばかりのことであったが何時間にも思われるほど長く感じられ、その人が帰るといそいで賢治を二階へ抱えあげた。
───★〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)714p~〉
がすんなりと導けるわけがないということがだ。つまり、この「定説★」は一度検証し直してみることが不可避だと気付いたのだった。
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