宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

2 「経埋ムベキ山」について(概論2)

2008年09月18日 | Weblog
 「経埋ムベキ山」に関しては
《Fig.2 復元版『雨ニモマケズ手帳』143~144p》(校本宮澤賢治全集 資料第五、筑摩書房)

のように、縦線で消した山が4座(松倉山、高倉山、草井山、臺山)、後で追加したのであろう山が3座(鬼越山、篠木峠、沼森)あるから、「経埋ムベキ山」の32座とは
 旧天山、胡四王、観音山、飯豊森、物見崎、早池峯山、鶏頭山、権現堂山、種山、岩手山、駒ヶ岳、姫神山、六角牛山、仙人峠、束稲山、駒形山、江釣子森山、堂ヶ沢山、大森山、八方山、松倉山、黒森山、上ン平、東根山、南昌山、毒ヶ森、鬼越山、岩山、愛宕山、蝶ヶ森、篠木峠、沼森
であることは前述したが、この中で同定しにくいのが赤色の字の山、つまり
     観音山、駒ヶ岳、束稲山、大森山、松倉山、黒森山、毒ヶ森
の7座ある。同じ名前の山のいくつかが岩手県内及びその近辺、中には花巻近辺にさえあるからである。

 このことに関して小倉 豊文氏は『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉 豊文著、東京創元社)で次のように述べている。
 「大森山」、花巻市内でも同名の山が二つある。(a)豊沢川の中流の鉛温泉東方にある標高五四三.六メートルの山、(b)その七~八キロ下流に西方から豊沢川に合流する三ツ沢川の約四キロ上流右岸にある四二〇メートルの山。この「大森山」なる山は県下にすこぶる多く、花巻市に比較的近くにも紫波郡紫波町の西部山地にも「大森山」があり、盛岡周辺にもいくつがあるが、恐らく上記(a)(b)の何れかであろう。
と。
 なお、花巻市内にはこの他にも「大森山」と呼ばれるものがあり、胡四王山の東方約2㎞のところにある177.1mの山もやはり「大森山」と呼ばれている。胡四王山に一番近い大森山である。
 小倉氏は続けて同著で、
 「松倉山」、(a)花巻市志度平温泉のすぐ東北にある約三八〇メートルの山、(b)前記「八方山」の北方七キロ余に聳える九六七.八メートルの山・・・(中略)・・・以上の(a)と(b)の何れかであろう。
 「黒森山」、(a)前述の「堂ヶ沢山」の北方約五キロ、稗貫郡石鳥谷町の西方山地、字黒森の背後の四一四.六メートルの山。(b)又は、その北方約六キロ、紫波郡紫波町の西部山地の山王海ダム北方の六四七.一メートルの山であろう。「黒森」という所と「黒森山」という山も県下に多い。・・・(中略)・・・確かな所は賢治にきかねばわからぬ。
 「毒ヶ森」、「山」がないが山である。(a)岩手県地方では山を「森」と呼ぶのが一般である。「南昌山」の西方約二キロ余、矢巾町の西部山地だが山頂は境を接する雫石町域になっている。標高七八二メートルの山。「毒ヶ森」も「黒森」・「大森山」と共に県下にその数が多い、前述「松倉山(b)の北方三キロ余にも九一九.二メートルの「毒ヶ森」。記入の順から(a)であろうが、(b)も賢治の行動圏内だから何れかは明らかにし難い。・・・(以下略)

と記している。
 というわけで、小倉氏はこの著書においては
   大森山、松倉山、黒森山、毒ヶ森
については同定できないと言っている(なお、この3つの山が現時点で私が頂上に達していない山である)。ただし、これ以外の山(観音山、駒ヶ岳、束稲山も含め)については小倉氏は全て同定している。

 その後、同氏は『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉 豊文著、筑摩書房、昭和58年10月1日初版)においてはこのことに関しては次のように述べている。
 「大森山」この名の山は県下に甚だ多いが、花巻市内の(a)豊沢川の中流の鉛温泉東方にある標高五四三.六メートルの山か、(b)その七~八キロ下流で西方から豊沢川に合流する三ツ沢川の約四キロ上流右岸にある四二〇メートルの山の何れかであろう。
 「松倉山」花巻市志度平温泉のすぐ東北にある約三八〇メートルの山(a)か、前述した「八方山」の北方七キロ余に聳える九六七.八メートルの山(b)の何れかであろう。
 「黒森山」「大森山」同様に「黒森」・「黒森山」という山も県下に多いが、前述の「堂ヶ沢山」の北方約五キロ、稗貫郡石鳥谷町の西方山地、字黒森の背後の四一四.六メートルの山(a)か、その北方約六キロ、紫波郡紫波町の西部山地の山王ダム北方の六四七.一メートルの山(b)かの何れかであろう。
 「毒ヶ森」「山」とないが山である。南昌山の西方約二キロ、矢巾町西部山地だが山頂は雫石町域になっている。標高七八二メートルの山。「毒ヶ森」も「黒森」「大森山」と並んで県下に少なからずある。


 というわけで、この著書を発行した時点では、小倉氏が同定していないのは
   大森山、松倉山、黒森山
の3座であり、毒ヶ森についてはこの著書で新たに同定した。また、同定していない山についても『「雨ニモマケズ手帳」新考』のときよりは、その候補がかなり絞られている。
 結局、小倉氏の同定している山は32座中の次の青色文字の29座である。
 旧天山(120m)、胡四王山(176.6m)、観音山(260.7m)、飯豊森(131.6m)、物見崎(120m)、早池峰山(1913.6m)、鶏頭山(1445.1m)、権現堂山(476.3m)、種山(870.6m)、岩手山(2038.2m)、駒ケ岳(男岳1623m)、姫神山(1123.8m)、六角牛山(1294.3m)、仙人峠(887m)、束稲山(595.7m)、駒形山(430.0m)、江釣子森山(379m)、堂ケ沢山(364.5m)、大森山、八方山(716.6m)、松倉山、黒森山、上ン平(560m)、東根山(928.4m)、南昌山(848.0m)、毒ケ森(782m)、岩山(340.5m)、愛宕山(196m)、蝶ケ森(224.9m)、鬼越山(438m)、篠木峠(420m)、沼森(581.8m)

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