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350 賢治の俳句

               《↑〝宮澤賢治句稿〟石碑》(平成20年5月23日撮影)

 さて、以前掲げた昭和2年の年譜の中でまだ触れていないもので触れたいのは最後の次のことである。
<1928年(昭和2年)>
11月1日~3日 東北菊花展出品、審査、菊の句の短冊を書き入賞者に与える。


1.賢治の句作
 この東北菊花展(菊花品評会)について、原子朗氏が「宮澤賢治の俳句」の中で次のように述べている。
 つぎに並ぶ、しめて十六句は、まぎれもない賢治自作の、いずれも菊にちなむ句作。
  魚燈して霜夜の菊をめぐりけり
  灯に立ちて夏葉の菊のすさまじさ
  斑猫は二席の菊に眠りけり
  緑礬をさらにまゐらす旅の菊
  たそがれてなまめく菊のけはひかな
  魚燈してあしたの菊を陳べけり
  夜となりて他国の菊もかほりけり
  狼星をうかゞふ菊の夜更けかな
  その菊を探りに旅へ罷るなり
  たうたうとかげらふ涵す菊の丈
  秋田より菊の隠密はいり候
  花はみな四方に贈りて菊日和
  菊株の湯気を漂ふ羽虫かな
  水霜をたもちて菊の重さかな
  狼星をうかゞふ菊のあるじかな
  大管の一日ゆたかに旋りけり
 詩稿用紙に書かれた終二句をのぞいて、すべて「装景手記」と命名された賢治のノートから、推敲の跡をたどって、その最終形態を『校本全集』は採録している。いずれも菊を詠んでいるのは、これらが花巻で例年、催された菊花品評会に賢治が関係しており、その因縁による。昭和五、六年ごろのことである。「秋香会」という菊作りの会に賢治は肩入れしていた。品評会後、賢治に届けられた菊の切花の一本一本に俳句をつけて、親戚にくばった(それが「花はみな四方に贈りて菊日和」の句意であろう)という逸話、それを聞きつけた世話役が、つぎの品評会の副賞に賢治に自作自筆の俳句の短冊を依頼にくる話が、佐藤隆房著の『宮沢賢治』に見える。…(略)…特に秀抜の句はない。総じて個性に乏しい。

     <『「鑑賞日本現代文学」⑬ 宮沢賢治』(原子朗編、角川書店)より>

2.賢治の句碑
 そして、このときの句を刻した句碑が胡四王山には2基もある。その一つが南斜花壇の下の方にある次の
《2 句碑》(平成20年5月23日撮影)

である。
 ちなみに上の句の中から選ばれた次の5句が刻まれている。
  斑猫は二席の菊に眠りけり
  狼星をうかゞふ菊の夜更かな
  秋田より菊の隠密はいり候
  花はみな四方に贈りて菊日和
  水霜をたもちて菊の重さかな
                 風 耿

 なお、『風 耿』は〝ふうこう〟と読み、賢治の俳号である。

 また胡四王山には賢治の句碑がもう一基あり、それはイーハトーブ館の南西側にある本ブログの先頭ような〝宮澤賢治句稿〟石碑である。
 そこには次のような
《3 賢治の俳句》(平成20年5月23日撮影)

が十一句刻まれている。これらの句は主に前掲の十六句の中の句であるが、次の三句はその中には見当たらない。
  菊を案じ星に見とるる霜夜かな
  霜降らで屋形の菊も明けにけり
  客去りて湯気立つ菊の根もとかな


3.賢治の俳句の力量
 ところで『校本全集』に収められている賢治の俳句は全部で31句あるとのことであるとのことでが、原子朗氏によれば
 一言でいって、賢治の俳句は、<余技>の域を出ていないといえるだろう。
とのことである。

 う~ん、私も多少俳句をたしなんでいるので、賢治には申し訳ないがたしかに原氏の言う通りかな。たとえば、季重ねの句もいくつかある(もしかすると賢治が亡くなってから季語になったものもあるのかも知れないけど)し、説明的な句、報告的な句も多いので。したがって、少なくともこれらの句を作っていた時点での賢治の俳句の力量はそれほどのもではなかったであろう。

 ついいままでは、運動以外は賢治は何をやっても超一流かなと思っていたが、案外そうでなかった分野もあったのかも知れない。 俳句同様、セロとかオルガン演奏などもそれほど上手かったわけではないのかも知れない。
 したがって、あらゆる分野で賢治が秀でていたと思い込むことは却って真実の賢治を欺くことになる、もう少し賢治を冷静に見てゆかねばならぬということを、今回賢治の俳句を味わうことによって知った次第である。

4.少し寂しい
 なお『校本全集』の年譜を見てみても、昭和2年11月~年末の間にはこの他に目立った事柄はなさそうである。
 詩についても、12月21日に盛岡中学校の「校友雑誌」に「冬二篇」として<銀河鉄道の一月>と<奏鳴四一九>を発表はしていても、詩の創作の方は見当たらないのではなかろうか。まあ、俳句もジャンルは詩といえばいえるが、そこには賢治らしさがあまり見出せるものでもなっかったようだし、少し寂しい気がする。実際には賢治はこの時期だからあちこちの肥料相談所で精力的に肥料相談等にのってやっていたのだろうとは思うが。

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