宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

10 (4)飯豊森

2008年09月26日 | Weblog
 「経埋ムベキ山」の4番目に書かれた飯豊森に出掛けてみた。
 花巻市街から国道4号線を南下する。”花巻市山の神”付近の国道沿い西側に花巻市公設地方卸売市場がある。そこをやり過ごしてさらに南下すると同じく西側に生物工学研究所がある。さらに南下した次の信号のある交差点を曲がり、西方向に進路をとる。
 やがて北上市の飯豊に達し、東北自動車道の西側に小高い丘を発見出来るはず。そこが飯豊森である。
《1 飯豊森の全景》(平成20年4月21日撮影)
 写真中央の水平方向柵部分が東北自動車道である。

 この辺りの地名は一般には”飯豊(いいとよ)”と云われているが、”飯豊森”については”イデモリ”とか”エンデモリ”と呼ぶらしい。そういえば、東北のアルプス”飯豊連峰”も”イイデ連峰”と呼ばれるから、同根なのかも知れない。
《2 飯豊森入口》(平成20年4月21日撮影)

《3 入口の石碑》(平成20年4月21日撮影)
 入口の左側には石碑があり、
   『千代かけて飯豊森の峯高く 里の守り神ぞまします』
と刻まれたいた。おそらく、ここは里山の守り神、”鎮守の杜”なのであろう。

《4 森の案内図》(平成20年4月21日撮影)

 ここにはいろいろなスミレ等が咲いていた。
《5 タチツボスミレ》(平成20年4月21日撮影)

《6 〃 》(平成20年4月21日撮影)

《7 ニョイスミレ》(平成20年4月21日撮影)

《8 〃 》(平成20年4月21日撮影)

《9 アオイスミレ》(平成20年4月21日撮影)
 側弁が開ききらないのでアオイスミレだと思う。

《10 〃 》(平成20年4月21日撮影)

《11 参道からの高速道路方面》(平成20年4月21日撮影)
 桜が満開であった。

《12 間もなく頂上》(平成20年9月24日撮影)

 飯豊森の頂上には
《13 十一面観音堂》(平成20年9月24日撮影)

があり、
《14 境内》(平成20年4月21日撮影)

では、里人達が楽しそうに語らっていた。
 さて、三角点はどこだろうか
《15 これが飯豊森の三角点?》(平成20年9月24日撮影)

《16 杉の木の根元の周りを探してみても?》(平成20年9月24日撮影)

 諦めかけたとき上の写真の左のところにあれっ?
《17 三角点発見》(平成20年9月24日撮影)

 頂上から東南方向に下りていくと
《18 山の神の石碑》(平成20年4月21日撮影)

があった。また、麓を廻ってみると
《19 水芭蕉》(平成20年4月21日撮影)

が咲いていた。水芭蕉の側には
《20 龍神宮》(平成20年4月21日撮影)
 
というこんな小さな宮があった。
《21 タンポポとスジグロシロチョウ》(平成20年4月21日撮影)

《22 戯れる蝶》(平成20年4月21日撮影)

 この飯豊森の東側はかつては採石場だったようで、大きな
《23 採石岩穴》(平成20年4月21日撮影)

があって森の東面はかなり削り取られていた。
 その採石岩穴付近には
《24 タチツボスミレ》(平成20年4月21日撮影)

が一面に咲いていた。

 さて、「経埋ムベキ山」としての飯豊森であるが、賢治の詩篇「疾中」 の(今宵南の風吹けば)の中に”飯豊の丘”が出てくる。
   今宵南の風吹けば
   みぞれとなりて窓うてる
   その黒暗のかなたより
   あやしき鐘の聲すなり

   雪をのせたる屋根屋根や
   黒き林のかなたより
   かつては聞かぬその鐘の
   いとあざけくもひびきくる

   そはかの松の並木なる
   圓通寺より鳴るらんか
   はた飯豊の丘かげの
   東光寺よりひびけるや

   とむらふごとくあるときは
   醒ますがごとくその鐘の
   汗となやみに硬ばりし
   わがうつそみをうち過ぐる

    <『宮澤賢治全集 五』(筑摩書房)>
 この詩の中の”飯豊の丘”は「経埋ムベキ山」の飯豊森のことであろう。
 この詩篇「疾中」は賢治が肺疾患で自宅療養中、病と闘いながらも詠んだ30篇の詩の中の一つであり、「経埋ムベキ山」が書かれたのも同じ時期であるからである。 また、圓通寺は飯豊に近い花巻市十二丁目にあるからであり、下根子桜から見れば東光寺(花巻市北笹間)は飯豊森の陰にあるからである。
 因みに
《25 圓通寺》(平成20年9月24日撮影)

《26 圓通寺の鐘》(平成20年9月24日撮影)
 
《27 東光寺》(平成20年9月24日撮影)

《28 東光寺の鐘》(平成20年9月24日撮影)


 というわけで、飯豊森(131.6m)は「経埋ムベキ山」としてはとても相応しい典型的な山だと思った。
 というのは、里人から崇められ慕われていて、頂上には神社等があり、三角点のある山だからである。
 
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぱこ)
2021-08-13 11:54:18
はじめまして、コメント失礼します。
飯豊森の、龍神宮は、何処にありましたか?覚えておりますでしょうか。

案内図の辺りを、必死に探しましたが、どうしても見つけれませんでした

もしかして、もう無くなってしまったのかと、観光協会に聞いてみたら、わかりませんと言われ、もやもやしております。もし覚えておりましたら、どの辺りにあったか教えていただけるととても嬉しいです
宜しくお願い致します
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 返信が遅れてしまい申し訳ございません (ぱこ 様へ)
2021-10-16 19:18:07
ぱこ 様
 返信が遅れてしまい申し訳ございません。
 このブログ、すみません最近すっかりほっぽりだしており、本日(10/16)暫くぶりに見て、慌てております。
 しかも、龍神宮の場所ですが、大分前のことなので思い出せずにおります。
 重ね重ねお詫び申し上げます。
          鈴木 守
返信する
Unknown (ぱこ)
2021-11-25 20:42:20
お忙しいなか、ご返信頂きまして有り難うございましたm(__)m
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