会津八一 1595 2018-09-15 00:02:19 | Weblog 会津八一に関するブログ 803 南京余唱・第36首(会津八一) 2018・9・14(金) 東伏見宮大妃殿下も来り観たまふ(第2首) 解説 まつ たかき みくら の には に おり たたす ひがしふしみのみや の けごろも 皇室への深い尊敬をもって詠う。
会津八一 1594 2018-09-13 18:58:03 | Weblog 会津八一に関するブログ 802 南京余唱・第35首(会津八一) 2018・9・13(木) 東伏見宮大妃殿下も来り観たまふ(第1首) 解説 あさ さむき みくら の には の しば に ゐて みや を むかふる よきひと の とも 東伏見宮大妃とは加山雄三の大伯母で美しい人だったという。
会津八一 1593 2018-09-12 19:03:19 | Weblog 会津八一に関するブログ 801 植田重雄先生6(完) 2018・9・12(水) SURUMEのペンネームでネット上に会津八一の解説を始めたのは2002年、2014年12月9日に全886首の解説を終えた。ネームは途中で素空に変更した。 すべては植田先生の導きだったが、ネットでの解説のことは先生には言わなかった。何時かはと思っていたら、2006年にお亡くなりになった。 上京してお別れ会(日本キリスト教団早稲田教会)に参加した時、八一の解説の件を内緒にしたことを悔やんだ。 威厳があって近づきにくい面もあったが、手紙やお会いした時のやさしさはとても素晴らしかった。 植田 重雄(うえだ しげお、1922年ー2006年5月14日)は、日本の宗教学者、早稲田大学名誉教授。 静岡県生まれ。早大文学部卒。1976年、「宗教現象における人格性・非人格性の研究」で文学博士(早大)。早大商学部助教授を経て、教授。1983年に定年退任、名誉教授。 ヨーロッパの宗教民俗学や、キリスト教神秘主義を研究した他、師事した会津八一の著作の編纂・多くの評伝研究を著した。 植田重雄1~6へ
会津八一 1592 2018-09-11 19:38:42 | Weblog 会津八一に関するブログ 800 南京余唱・第34首(会津八一) 2018・9・11(火) 正倉院の曝涼に参じて 解説 とほ つ よ の みくら いで きて くるる ひ を まつ の こぬれ に うちあふぐ かな 曝涼(ばくりょう)は毎年11月に行われる正倉院の虫干しのこと。
会津八一 1591 2018-09-10 22:28:12 | Weblog 会津八一に関するブログ 799 南京余唱・第33首(会津八一) 2018・9・10(月) 法隆寺東院にて(第2首) 解説 ぎそ の ふで たまたま おきて ゆふかげ に おり たたし けむ これ の ふるには ぎそとは三経義疏(さんぎょうぎしょ)のこと。聖徳太子が著した経典注釈書。
会津八一 1590 2018-09-09 19:05:15 | Weblog 会津八一に関するブログ 798 南京余唱・第32首(会津八一) 2018・9・9(日) 法隆寺東院にて(第1首) 解説 ゆめどの は しづか なる かな ものもひ に こもりて いま も まします が ごと 法隆寺の夢殿に今も聖徳太子がおられるようだと尊敬する太子のことを詠む。
会津八一 1589 2018-09-08 19:09:19 | Weblog 会津八一に関するブログ 798 南京余唱・第31首(会津八一) 2018・9・8(土) 三笠山にて 解説 やま ゆけば もず なき さわぎ むさしの の にはべ の あした おもひ いでつ も 三笠山は若草山の事、百舌が鳴くのを見て武蔵野にある自宅・秋艸堂の朝の情景を思って詠む。
会津八一 1588 2018-09-07 19:04:51 | Weblog 会津八一に関するブログ 796 南京余唱・第30首(会津八一) 2018・9・7(金) 春日神社にて 解説 みかぐら の まひ の いとま を たち いでて もみじ に あそぶ わかみや の こら 奈良の友人に案内されて若宮の巫女の舞いを見た。この時の八一を追体験したような気分になった。
会津八一 1587 2018-09-06 18:55:37 | Weblog 会津八一に関するブログ 795 南京余唱・第29首(会津八一) 2018・9・6(木) 奈良に向かふ汽車の中にて(第2首) 解説 あさひ さす いなだ の はて の しろかべ に ひとむら もみぢ もえ まさる みゆ 明るい朝日のもとで黄色に色づく稲田、白い壁そして赤く燃え上がる紅葉を絵画的に詠う。
会津八一 1586 2018-09-05 18:59:24 | Weblog 会津八一に関するブログ 794 南京余唱・第28首(会津八一) 2018・9・5(水) 奈良に向かふ汽車の中にて(第1首) 解説 かたむきて うちねむり ゆく あき の よ の ゆめ にも たたす わが ほとけ たち 奈良に向かう車中の仮眠の夢の中にも仏たちが現れる。奈良と奈良の仏は八一の歌とともに訪れたい。
会津八一 1585 2018-09-04 19:22:52 | Weblog 会津八一に関するブログ 793 南京余唱・第27首(会津八一) 2018・9・4(火) 笠置山にのぼりて 解説 のびやかに みち に より ふす この いは の ひと なら まし を われ をろがまむ 1331年、討幕運動を目指した後醍醐天皇は三種の神器を保持して笠置山で挙兵、篭城した。元弘の乱の発端となり、鎌倉幕府は終わる。(建武の新政)
会津八一 1584 2018-09-03 18:46:54 | Weblog 会津八一に関するブログ 792 植田重雄先生5 2018・9・3(月) 先生は恒文社から八一の三部作を出版した。 ・「秋艸道人会津八一の生涯」(1988年) ・「秋艸道人会津八一書簡集」(1991年) ・「秋艸道人会津八一の芸術」(1994年) 「秋艸道人会津八一の生涯」を購入したが、難しかった。しかし、尊敬する先生の著書だと思い時間をかけて読んでいくうちに没頭するようになった。この本が会津八一との出会いである。植田先生の本、会津八一の本、その他の解説書を手に入れてさらに読み込んでいった。 八一の分骨されている東京練馬の法融寺にお参りし、植田先生宅をお伺いしたこと。関東在住の友人Yと上野公園で先生とご一緒したのは1999年だった。国立博物館を訪れ、伊豆栄でうなぎを御馳走になった。 「大兄とY君と博物館、伊豆栄と楽しい一日でした。もっとゆっくりすればとも思いました。・・・」と手紙をいただいたが、その時別れを残念がられた先生のことはよく覚えているし、とても嬉しかった。
会津八一 1583 2018-09-02 18:54:20 | Weblog 会津八一に関するブログ 791 南京余唱・第26首(会津八一) 2018・9・2(日) 木津川の岸に立ちて 解説 み わたせば きづ の かはら の しろたへ に かがやく まで に はる たけ に けり 木津川の春の景色を詠んだ。
会津八一 1582 2018-09-01 19:01:50 | Weblog 会津八一に関するブログ 790 南京余唱・第25首(会津八一) 2018・9・1(土) たはむれに東京の友に送る 解説 あをによし なら の かしうま たかければ まだ のらず けり うま は よけれど 中国大陸の旅行を考えていた八一は乗馬の練習をしていた。奈良にも乗馬服をもってきていた。