日々雑感

残りの人生 こころの趣くままに

むかし話

2017-08-13 | きいてきいて
連日遠慮なく気温は上がる。が珍しく
昨日は風があり、扇風機さえ不要だった

        

間もなく72回目の終戦記念日がやって来る。

実家の古いアルバムに
叔父達の出征時の記念写真や叔母たちの
女子挺身隊の写真、国防婦人会の
タスキを掛けた祖母、戦艦大和や武蔵の絵葉書が
貼ってあり、子どもの頃 時折見たものだった

復員したその叔父達が後に遊びに来ると
戦地での体験を話してくれるのだが
目が点になるような話、キャーと叫ぶ話など
それでいて来宅するとまた姉妹で叔父を
囲むのである。

叔父の一人は10年間消息不明。すでに
陰膳され、諦めムードの中での帰還に
〈幽霊叔父さん〉とよんだりもした。

勿論 その写真の人たちは既に亡く、
話をせがんだ我われもこの歳。
そろそろ戦争も「むかし話」に分類されるね。








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4 コメント

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Unknown (オールドレディー)
2017-08-13 10:14:56
大東亜戦争勃発の年に生まれた私の戦争体験は、母からの聞き伝えか自分の記憶かも定かではありません。
母の弟が戦死したそうですが、叔父の顔すらまったく記憶にありません。
呉市と岡山で大空襲に遭ったそうですが、おかげでみんな無事で、それぞれ寿命を全うしました。運が良かったのでしょう。ただ、疎開先の生活は覚えています。

貴重な資料の数々は後世に残すべきですね。
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戦争体験の語り部 (sirousagi gamanoho)
2017-08-13 16:43:46
真珠湾攻撃の10日前に誕生して、大阪の大空襲も知らず、出征兵の苦労話も聞かずに田舎で育ったsirousagi には、壮絶悲惨な戦争体験の語り部にただただ頭を下げるのみ。
語り継がねば失われる残酷な歴史、悪も正義も真実を明らかにする道は一つ
今若い人たちが、高齢の当事者たちに代わって発信する姿が大きな希望を齎せてくれます。
孫たちに直接話せる経験は無いけれど、あの愚かな戦争への道のりを伝えるのはやはり吾々でしょう。
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オールレディさま (suri-riba)
2017-08-15 20:58:07
終戦時4歳でしたが、孫を見ていると果たしてどこまで真実の記憶か・・と思いますが強烈な出来事はやはり残るものとも聞きました。近所にも復員兵が沢山おられました。
団塊の世代まで、あとは「物語り」としての大戦記になるでしょうね。
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sirousagigamanohoさま (suri-riba)
2017-08-15 21:16:50
大阪も郡部は平穏だったのですね。終戦間際には我家も「枚方の香里園」に疎開しました。
環状線の京橋駅前は小学生の頃でも爆弾跡が池の様になって水が溜まっていました。
環状線の森の宮(工兵廠)を通ると母はいつも「つわもの共が夢のあと」と呟いていました。
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