8月12日、11日目最終日。午後までベルリン市内を見学の後、ブリュッセル(ベルギー)乗継で帰国する。現地最後の朝食は贅沢して、宿泊ホテルのレストランにて。天井の装飾が素晴らしかった。高雄MRTの美麗島駅を思い出す。(写真上左)
(番外)
"https://www.gdw-berlin.de/en/home/">ドイツ抵抗記念館(無料)
旅程検討段階では気付かなかったが、ホテルから近い場所にも興味深い博物館があって寄ってみた。と思ったら建物の前の慰霊碑には前回の友人との訪問時に行っており、どうやらその後に開館したらしい。
文字通り、主としてナチズムに抵抗した人々を称え追悼する施設。個人名と仕事が並ぶ。どちらかと言えば縁者向きの施設かもしれない。ただ、民衆ではなく個人のクローズアップ写真を見ると、大勢で括られた中の一人ひとりが浮き上がってくるようだった。
(16)
"https://www.berlinstory.de/">歴史防空壕博物館
本日のメインであり、この旅最後の訪問先。灰色の巨大な塊であるコンクリート製の防空壕の内部を整備し、第二次世界大戦当時の戦況の推移や人々の生活、防空壕の使われ方に留まらずベルリンの都市としての歴史など40以上の小部屋(コーナー)に分けて解説、予想以上のボリュームに圧倒された。場所は違うが、ヒトラーが自決した地下防空壕の自室の再現や、自決直後の壕内の写真などもあった。
(番外)
https://technikmuseum.berlin/en/”>ドイツ技術博物館
上記で見学は終わりと思っていたのだが、前に行った博物館で、Fw200「コンドル」航空機のレストアが進展したのだけ観たいとの友人の希望により、短時間立ち寄り。他を見直す時間の余裕はないため自分は入館せず。首尾はと言えば、残念なことにレストアされたFw200は別の施設に運ばれて展示中とのことだった。残り僅かな滞在時間を割いて行ったのに無念の敗退。
Uberでホテルに戻ってシャワーを浴び、スッキリして身支度する。レイトチェックアウトでこれができるため、最後はこのホテルに泊まったのだ。あらかた括っておいた荷物を仕上げ、さて帰国。今回は薄手の夏物ばかりだからか、中型(65cm)スーツケースに半分ちょっとしかスペースを使わず我ながら驚いた。それでもワイン3本を買ったので、重さは20kg近い。リミットギリギリの16時5分前にチェックアウト、駅まで引っ張っていくのは面倒なので、空港まで一気にUberで行く。今春にオープンしたばかりというルフトハンザ(LH)セネターラウンジは人も殆どおらずノンビリ、軽く腹ごしらえ。帰りは行きとは別の航空会社で、SN2588便(OO-SSX:A319)までブリュッセルまで1時間ちょっと。機内でCAから「ショートコネクションなのでコレを使って乗り継いで」と、イミグレの優先レーン通行カードを頂き、座席も直ぐ降機できるよう荷物を持って最前部へと指示された。これは有難い。
おかげでシェンゲンエリア出国は素早く行え、やはりパスポートにスタンプを捺され嬉しい。NH232便(JA880A:787-9)搭乗ゲートには、搭乗開始前に到着できた。JALとは異なり、ANA欧州便の日本行きルートは南回り。ヨーロッパからトルコ、西アジアから少し北上してヒマラヤ山脈の北側を通って北京に至り、日本に向かう。幸い機内食は口に合い、少なくとも今回はJALより美味しく感じた。一方で横配置がJALより一席多い座席はやはり窮屈、まともに正面を向くと隣人と肩が触れ合ってしまい、避けるため常に身体を捻っているとそのうちに腰や肩が痛くなってきた。改めて書いておこう、選択の余地があるのであれば、機材が787(-8/-9どちらも)のフライトではANAよりJALをお選びなさい!そう言えば今回は、アフリカ出張シリーズで効果を感じた腿の下に敷くエアクッションを持参し使用したのだが、往復ともさほど効果を感じなかった。降りても特に脚が痛くならなかったのが、効果なのかもしれないが。(写真上左以外の3枚)
ブリュッセル便は毎日運航ではないこともあってか、発着は成田。12時間39分かかって到着すると、雨だった。幸いスーツケースも中のワインも無事、京成スカイライナーで日暮里に出て帰宅。ラッキーなことに最寄駅からの道は雨が上がっており、傘を差さずに帰宅できた。
前回のドタキャン騒ぎから10年。友人はようやく念願の各所への訪問ができ、自分も消化できなかった部分にケリをつけることができた。さらに追加で、第一次大戦以降のドイツの動きやナチ、冷戦と言った負の遺産に触れることもできた。訪問した博物館などを数え直す必要ないほど、充実感に溢れた旅の終わり。それは単に数をこなしただけでなく、5年ぶりの友人との旅と言うことも大きかったのだと思う。(おわり)