SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

インランド・エンパイア12

2009年06月02日 | Weblog
>ニーチェは、いたるところで検証できる明らかなことだが、懐妊の思想家である。この懐妊をニーチェは女のうちに劣らず男のうちにも同様に称讃している。そしてニーチェはたやすく涙を流していたがゆえに、懐妊した女が自分の(まだ生まれていない)子供について話すように自分の思想について語るということがたまたまあったがゆえに、私はニーチェが自分の腹の上に涙を注ぐ姿をしばしば想像するのである。(ジャック・デリダ著『尖筆とエクリチュール』88ページより抜粋)

『インランド・エンパイア』に設定された「裏切りの気配」について、この「懐妊」という脱構築不可能な問題点からこそ考えてみるべきだろう。東浩紀はジャック・デリダのテキスト「送付」に設定された「裏切り行為(浮気)」について、「はっきりした根拠がないので結局は深読みの域を出ない」としながらも、たいへん興味深い推測をおこなっている。大事な話だ。

>意図しない妊娠、およびその結果生まれた子は、正確に、誤配された。つまり誤って「発送=射精」された手紙とその再来のアレゴリーになっている。父にとって子(幽霊)の起源はもはや定かではないが、それは容赦なく「責任」を要求する。そもそも70年代のデリダの理論的中心をなす「散種」自体が、彼自身述べるようにきわめて生殖的含意の強い隠喩だった。したがって彼の考える「性」は一貫して、フーコー的な性的欲望(セクシユアリテ・主体の構成)の問題系よりも、むしろ生殖や妊娠(コミュニケーション)の問題系へと連なっているように思われる。(『存在論的、郵便的』167ページ)