SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

備忘録―ゲルハルト・リヒター

2006年12月23日 | Weblog
>すべてのイメージ行為は、現実の不可能な描写からもぎ取られるものである。とりわけ芸術家たちは、明白な経験として知っている――人間による人間の破壊に直面したことのある者なら誰でも――表象不可能性に屈服することを拒む。だから彼らは〈連作〉を、〈すべてに抗して〉のモンタージュを制作するのだ。彼らは災厄が無限に増殖しうるものであることも知っている。カロやゴヤ、ピカソ――のみならずミロやフォートリエ、スチシェミンスキやゲルハルト・リヒターも――は、あらゆる方向から表象不可能なものに挑みかかり、純粋な沈黙以上の何ものかを導き出そうとする。彼らの作品において歴史的世界は〈憑きもの〉に、すなわち〈想像するという熱病〉、同じひとつの時代の旋風を取り巻く様々な形象の――類似や相違の――氾濫になるのだ。(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』(平凡社)P161より抜粋)