暗い部屋6 2006年12月13日 | Weblog 「記憶産業」と「象徴的貧困」の関係について、東京大学の石田英敬教授が作成した高校生向けのテキストがある。高校生向けだからといって馬鹿にしてはならない。ここにはとても重要なことが書かれている。とりわけ「計算可能な量」という言葉は無視できないものがある。たとえば東浩紀氏の『情報自由論』は、最後に「正義とは計算不可能なものである」というジャック・デリダの言葉を引いてその連載を終えている。ここでその「計算不可能なもの」を「アート」と呼んで何が悪い。それはとても「実行が難しいもの」なのだ。