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譜面台・・・自作・・。

2023年11月12日 | Weblog
 電子ピアノを購入してから、ピアノを弾く事は毎日継続している。 譜面は初心者向けの教本で、高齢の私には嬉しい文字、譜面が大きな教本を選ぶ。 電子ピアノは机の上に設置して使用するタイプで、鍵盤と本体もコンパクトに出来ている。 譜面台も一応はあるが、かなりサイズは小さい。 なので、教本などを立てかけるにはあまりにも不安定で、本の両端もタレて来るような事である。 通常のアップライトやグランドピアノなどなら、大型の譜面台が設置されて居るので、譜面台が必要ではないだろう。 
一昨日に、その譜面台を自作する予定で木材を購入して、昨日はデザインも決めて、木材をカット、加工もしていた。 昨日はある程度材料は切り終えて、加工したが、はやりかなり難しい。 さらに、無駄なスペース的な物もあり、いろいろと検討して、ネットで検索。 電子ピアノの後ろ側に設置出来て、高さも適正の場所に置ける物を探していた。 Amazonで高さ調整が出来て、譜面を置く面積もまっ、満足という大きさには満たないが、それでも、縦28Cm、横幅38Cmの木製のしっかりとした譜面台を見つけて、これならほぼ満足出来る物だろうと思って、今日はバイトから帰宅してから早々に購入した。 
もっと早くこうした物を探せば良かったと後悔している。 材木も2000円程度したので、この材料の使い方は本立てを作る事に決めた。 
教本などを入れる本立ては、先日100円ショップで購入したのであるが、やはり、安定感が無いし、机の上に電子ピアノを前面に設置しているので、その後ろに置く状態だと、どうしても電子ピアノの高さが邪魔になる。 もちろん、出仕入れする余裕は十分にあるが、出来るなら、そのまま座った状態で手を伸ばして出し入れ出来る位置にあることが望ましい。 
さらに、仮に2~3冊程度で、本立てに隙間があっても、加重が偏って、倒れたりする事が多々あるので、教本が仮に1冊程度でも傾いたり、倒れたりしない安定性が欲しい。 
材木はまだ本立てを作る程度なら十分に余裕があるので、電子ピアノの高さに合わせて、作ることにしようと思う。
本立て程度なら簡単にカットして組み付ける程度なので、難しい加工なども入らないし、1時間もあれば出来てしまうだろう。 
丁度、購入した譜面台も木目の綺麗な材で出来ているし、その横に木材の同じ色目で本棚を作ると統一感もあり、見た目も綺麗だろう。 
木材は他にも多少は持って居るので、幅20Cm程度、仕切り板1枚、背面もそれほどの高さは入らないし、電子ピアノの高さも10Cm程度なので、その高さに合わせてもそれほどの材料は必要は無いだろう。 
さて、結果的に譜面台は欲しい形の物が完成品として販売されていたので、自作する必要も無いし、価格的にも自作する費用とはそれほどの差異は無い。 
ただし、材料を購入した費用は全くの無駄になる事になった。 (これは本棚を作る事にするので、全くの無駄とは言えないが)
ピアノは確かに楽しい。 楽しい・・と言える程にも弾いて居ないし、当然だが、まだ手を動かす程度の練習である。 
これから本格的にハノンなどの練習曲を熟す事になるのだが、先は長く遠いと実感している。 
ギターももちろんピアノの為に練習する時間を削る事は考えて居ないし、ギターに支障があるような事も考えにくい。 ただし、ピアノも手首を使うので、ギアーもピアノもあまり長時間の練習は禁物である。 
何事もほどほどにである。 人は欲張りな動物なので、どうしても多くを求める意識が自然に働く。 多くを・・と言うのは、より良い物、より素敵な物、より上手い事、より綺麗な事など。 これは向上心や、意欲的とか、野心的とか、いろいろな言い方もあるが、要するに、理想を求める人間の嵯峨でもある。 こうした理想、嵯峨、欲望が人間社会の発展の原動力でもあり、ほぼ全ての分野が向上(向上と言えるかどうかは別として)してきた。 数々の発明は人間の文化を形成して、より楽に、より早く、より簡単に・・。 より綺麗に、より魅力的な形や色、快適な暮らしをもたらしてくれた。
こうした人間の飽く無き欲望や探究心、さらに社会生活を向上するため、より命を長らえるため、生命維持として医療や科学の発展を遂げて、今なお、新しい発明が続けられている。 
これは人間の根源的な意識だろう。 ギターやピアノを上手くなりたいと願う事も、人間の欲望や願望、社会への貢献など、人によってその原点は違うかもしれないが、少なくとも、人が今より上の階段を目指して生きている事には変わりはないだろう。 私生活でも、今より、明日、未来が素敵でありたいと願うのは当然の思いである。
そうした強い思いが強ければ、より期待は高く成るし、より努力する。 
その努力が報われない時に人は絶望したり、後悔したり、憔悴したり、諦めたり、又は、誰かを恨んだりする輩もいる。 
自分自身に自信を無くして、自己肯定が出来なくなる人も居る。 失敗を恐れて、先の進めなくなったり、自分の力を信じる事が出来なくなったり。 

さて、何事もほどほどに・・・である。 もちろん、期待して、夢を見る事や、未来の景色を想像したり、努力する事は大切だ。 しかし、やり過ぎは逆に意味が無い以上に害となる事も少なくない。 少なくとも、惰性で時間を費やす事は害になる。 自分では多くの努力をしているはずだが、実際には意欲を失う要素になったり、集中力を無くしたり、怪我をしたり、精神的なストレスとなり、精神性の疾患の原因にもなる。 
私もギターを弾き始めた当初は、出来る限り早く上達したいと願う気持ちが先走り、自分の実力以上の難しい曲を練習していた事に気づいた。 
時間も長時間弾いたりしていたが、実際には思考する事が無く、ただ指を動かして居るだけの練習だったりする。 指が覚えるだろう・・。 動かして居る以上は指は動くだろう・・・。 なので、多くの時間を動かす事に費やす事にしていた。 がしかし、今はそうした練習の多くは無駄な時間だと言うことも分かってきた。 さらには、背伸びして難しい曲を選曲して練習する事もあまり上達するには良いとも言えない事。 
弾く早さや、テンポ、複雑なメロディーや伴奏なども同じで、自分の身の丈を超えた練習は逆に害であること。 
常に同じフレーズの箇所で、同じ運指の箇所でつまずいたりする練習は害でしか無い。 今はゆっくりと、丁寧に、1音を確実に、間違った運指や、爪弾きを最小限にする練習。 1音から1音、1和音から1和音に移動する時の指全体の動き、身体の動き、音の違い、音色を確認して、音を記憶して、譜面を読み解き、ギターの指板の位置や、音の関係性なども意識して、練習の時間では無く、どれほど音に対する意識を集中出来るのか。 なので、1時間程度で休憩を入れるのは当然で、人間の集中力は1時間程度が限界だと言われて居るので、1時間と決めて、休憩を最低でも10分以上入れる。 
一番重要な事は、ギターを弾いていて楽しいと思えること。 ギターを弾きたいと思う気持ち、ギターの音が心地よいと思うこと。 上達したいと思う気持ち以上に重要な要素は、ギターを弾いている事が何よりも好きだと言うこと。 









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