2012年。 今年初めての仕事。 冬季連休(9日間)でほとんど動かしていない体を一日中使うと、さすがにその疲れは隠せない。 明日も仕事。 これから少しずつ身体も慣れ、何時もどおりの身体に戻るんだろうけど。
今日は下の息子と喧嘩?。 今後の事。 将来のこと。 今やらなければならない事。
ほとんどなのも伝わらずに、結局はお互いに言いたいことを言っているだけ。
それでも、お互いの考え方、意識が少しで理解できたような気がした。
今日はもう遅いので、英語はちょっとパスして、明日・・・。
映画「ベンジャミン・フランクリン」ブラット・ビットを11時30分まで見ていたので、今日のE学習は明日に持ち越しです。
生まれたときは老人で年をとるにしたがって、若返っていく主人公とその周りの人々の話。
物語性はj確かに面白いし、娯楽映画としての作り方も悪くない。 でも、それ以上に内容が面白かった。 意外性だけの娯楽でもなく、現実的でもないし、ありえない話なんだけど。
それでも惹きつけられて最後まで見てしまったのは、そこにある種の真実があったからだろう・・・。
多くの文豪が書いている小説は、現在の人気作家にはない普遍的な真実が根底に流れていることを感じる。
僕は最近では読書をほとんどしなくなっている。 それは特にいえることは、今の作家達の小説には普遍的な真実を感じないからなんだろうと思う。
それは別段、作風だけの問題ではなく、所謂、作家自身の人生に対する感受性や掘り下げて底にぶつかるまで思い込んだ結果の信念や 自らの意志や正義や不実を踏まえて構築する人間を感じることが出来ないからだと思う。
例えば、夏目漱石、志賀直哉、武者小路実篤、谷崎潤一郎、森鴎外、三島由紀夫、太宰治などなど・・。阿部公房も好きだな~~。 所謂文豪の作家達の文脈から流れる感受性は今も色褪せることも無く、輝いて見える。
それは単なる物語性の面白さや奇抜な推理や、現代的な話術などでは表現することが出来ない人間の根底にある人間そのものを表現できていることなのではないか?
ショートショートの星新一も奇抜でSF的な題材ですら、その人間味は文豪に劣らず、人間の真実を感じさせることが出来る。
こうした意味でも、文学を読み解くことはそれ自体が多くの賢者と触れることが出来る最大の意義があるのではないかと感じる。 隣近所の話や友達や同友との会話では触れることがない多くの人生の基準となる(自分を確立することが出来る唯一の基盤)礎を築くことができるものだと思っている。 単なる読み物としての読書ならTVのお笑い番組を見ているほうがましだと思う。