数日前のA紙です。
教育「学校モノがたり」のタイトルで、「書道」とは「書の道」。と紹介されていました。
サブタイトルは「墨滴 時間の節約の声を受け誕生」です。
硯に向かって墨をすれば、そこはかとなく心が整います・・・。
墨メーカーの呉竹(奈良市)の会長さん(63歳)*同世代だぁ~。がそう言ってから、残念そうにつぶやいた。と書かれていました。
「学校の授業や街の書道教室で、墨をする光景はほとんど見かけなくなった」
墨の代わりに使われているのは墨滴だ。
「学校の現場で墨をする時間を惜しむ傾向がある」(昭和28年頃)*私が幼稚園の頃
当時は、まず水に溶かして使うチューブ状の「練り墨」でその後、液状の墨滴を売り出したとか・・・。
当初は「邪道だ」と返品されることもあったようだ。
墨をする機会は、学校以外でも減っていった。
現在の「書道セット」に墨が入っていない場合もあるという。
「墨は液体だと思っている子も多い」
私の経験でもキャンプなどをしても、火を起こせない子がほとんどである。
まして、マッチなどは使ったことが無い。
更に火を燃やし続けることも知らない。
当然と言えば当然で、今では電気釜のスイッチを入れればコメが炊ける。
すべて、便利な生活や道具に囲まれている。
私もほとんどが墨液を使っている。
半切を何枚も書くには、大量の墨をすらなければならなりません。
墨をするのは日記を書くときくらいになっています。
先輩の先生方は全て墨をすっているとも聞きます。
私にとって、やはり時間の節約も大きな要因なのでしょう。
現在の墨液もかなり研究されて、すった墨と同じような味わい?になっているのでしょう。
まだ、本物の味わいに浸っていない自分です。
今回の記事を読んで、「墨をすって、そこはかとなく心が整う」よう心がけて行きたい。
行きたい・・・。
萬 鶴