ガーベラ(撮影:2014.3.26)
タイトルの「33年間ありがとう!!」は、義母の棺の中に入れたメッセージの一部です。
納棺当日に咲いた一輪のガーベラも、沢山の花とともに胸元にそっと入れました。
ご無沙汰してました。
3月20日午前9時43分、義母は家族に見守られながら静かに息を引き取り、
安らかな眠りにつきました。
朝方の4時半ごろ、
「何か飲む?」と聞くと、こっくりと頷いたので、
義妹と二人でとろみをつけたポカリスエットをひと匙、口に含ませました。
しかし、もう飲み込む力がありません。
ぐったりうなだれて、それでも瞼を開いてまん丸の大きな目で私の声をたどるかのように
私の方を見ました。
義妹が「お姉さんここにいるよ」と言うと、
再び私の方を見て、何か言いたげでしたが言葉を発することもできず、
このあと間もなく昏睡状態となったのです。
畑仕事が大好きな義母でした。
東日本大震災後に畑から遠ざかり、そのために急激に足が弱り・・・
なので、あの事故がなければもっと長生き出来たんではないかな、なんて思ったりしてます。
告別式の中でエレクトーンの生演奏をしてもらった「知床旅情」は、
義母の大好きな歌でした。
亡くなる数日前にもベッドの傍で歌うと、義母も調子よく首を振り、
一緒に歌っているようでした。
だから、葬儀が終わった今もこの歌を口ずさむと涙が溢れます。
今日は4月1日、エイプリルフールです。
この記事は明日UPすればいいのかもしれませんが、
どうしても区切りのよい今日から再開したいと思いますので…
相変わらず気まぐれでマイペースな更新となりますが、
またどうぞよろしくお願いします。
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ご遺族のみなさまの故人への思いは計り知れないものがおありでしょう。
お察しいたします。
家庭内で看取ることの少なくなった昨今です。
その意味では、お義母様はお幸せだったと思います。
いっこんまさんをはじめ、お身内の方々の献身的なご介護。きっと喜ばれての旅立ちだったでしょう。
お疲れになったことと存じます。
これからは、心身の疲労を回復され、元気に過ごされることこそ亡き義母上様が望まれることでしょう。
介護の間はできなかったこと、どうぞゆっくりと初めてください。
ご自宅でご家族に見守られてお義母様もお喜びだったと思います。
父を思い出しました。
誤嚥性肺炎で何も口にすることを禁止されて、内緒で一口ってなんど思ったことでしょう。
今でも後悔しています。
家庭での看取りができなくなったご家族が多いのも現実。
お義母様はお幸せに旅立たれたとおもいます。
お疲れが出ないようにすこしゆっくりされてください。
これから疲れがどっと出てきますよ。
少しは落ち着かれたでしょうか。
亡くなった当時はすることも多く人の対応にも追われ、悲しむ暇がない時もありますけど、徐々にいなくなられたことが身に染みてきてより悲しくなります。
そうですね、家で最期を迎えられたのは本当に良かったです。
苦しむこともなかったみたいで、それが一番良かったですね。
皆さんがおっしゃられてるようにしばらくは自分の心身の回復に努めてくださいね。
いっこんまさんが元気にお仕事に地域活動に楽しまれることがお義母さんも喜ばれると思います。
旅たちお義母さまも喜んでいられるのでは無いでしょうか?
まだ落ち着くことも出来ない状態かも知れませんが、
どうぞ皆様お体にお気をつけ下さいます様に。
お幸せだったと思います、
うちの義母も2月4日101歳で逝きました、
病院でなくホームでの最後でよかったのではないかと思います、
今後しばらくご自愛くださるようお願いします。
ご家族皆さま、お疲れがでませんように。
義父が元気だった頃、「病院で死ぬということ」の著者山崎章郎さんの講演を聞いて、人生の最期をどのように迎えるかについて考えたり、また延命治療については疑問に思ってました。
義父も義母も自宅で看取れて満足しております。
山崎先生と同じ考えの根本先生のお陰です。
因みに、山崎先生は根本先生の高校の後輩です。
↓山崎章郎さんです http://caretownkodaira.net/clinic/hajimeni/hajimeni.html
一昨日、店内の模様替えをしました。
お客様とお茶が出来るスペースを作りましたよ。
「茶カフェかとや」で早速楽しんでます。
実家の父がなくなった時、あの頃は水さえ飲ませることを禁じられてました。
挙句の果て、もう死が近づいているのを知りながら、背中にブルブルというマッサージ機をあてさせられて・・・
母がくも膜下出血で意識がなくなった時には、心臓を動かす機械の音が病院の廊下にまで響いてました。
そんなこともあり、在宅介護を選んだのです。
お医者様(夫の同級生)や看護士さんには本当に感謝してます。
3月1日から26日の納棺まで、ずっと傍で寝てましたが、
膝の痛み以外は大丈夫ですよ。
「おばぁちゃんは省エネしてるの」と娘が言ったように、徐々に弱って行ったのです。
出来得る限りのことをして上げたし、覚悟もできていましたしたので、急に逝ってしまった義父の時と比べて悔いはないし、それほど悲しくないように思います。
49日法要の準備もあるのでまだまだのんびり出来ませんが、今まで介護にかかわっていた分、店の方に目を向けなければと思ってます。
私って結構大丈夫みたいですよ。若さかな?
危険な時は何度かあったのですが、それを乗り越えながら、しかし少しずつ弱って行きました。
亡くなる2、3日前まで「おわりなごや・・・」を言ってたんですよ。
義妹も義弟もいてくれたので助かりました。
私一人でいたらオロオロしてたでしょうね。