酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

薄氷を踏む!(・・;)

2017-02-10 17:09:54 | 日記

 

今年初めて 店の中にお雛様を

 

3年ほど前まで富山の薬屋さん(Sさん)が我が家を定宿としていて、

2階の客間に飾りたくても飾れないし、茶の間は狭いし・・・

お酒を飲みながら冗談交じりに「早く出さないと、お嫁に行くのが遅くなるぞい」

なんてからかわれておりましたが、

今年は思い切って店内に飾ってみました

 お客様とお雛様談義で盛り上がります

 

2008年3月3日の記事はこちら雛(ひいな)の笑顔に会えるまち 

 


昨日は一日細かい雪が降ったり止んだりで、夕方からは本降りになり、

朝の通勤通学時間帯の道路状態を気にしながらの就寝でしたが、

しかし、心配したほどではなく、順調に通行できたようです。

 

すみません、↓は12月の画像です。

 

「薄氷を踏む」なんて言葉がありますが、本来の意味とは違った意味で使わせてもらいます。

小学校の頃、学校道には両側に田んぼが広がってました。

遠くの山並みを眺めながら歩いていると、

時折キラキラ光るものが目に入ります。

そう、小さな水たまりに薄氷が張っているのです。

すかさず、友達と競うようにまっしぐら。

長靴のつま先で突っつくと、その音の何と心地よいこと。

パリパリパリパリ・・・ 堪りません。そして、次のキラキラを目指します。

 

ブログ友の中には同じような経験をお持ちの方が多いのでは?

 

 

こんな広いとこは、珍しかったかも。

 子供時代を思い出し、ふと立ち止まっては見たものの、撮影だけで諦めましたよ


 この度、danntyu3月号に

地元 郡山市田村町「金寳酒造 仁井田本家」の特集記事が掲載されました。

福島県郡山市田村町で「自然酒」という酒を造り続ける、

創業306年「仁井田本家」が考えていることとは? (表紙中央)

 写真撮影は、郡山出身の鈴木心さん

 

加登屋酒店でも、仁井田本家から発売されるほとんどの日本酒を取り扱っております

「自然酒の古里 田村」「金寳自然酒」「穏」などのお問い合わせとご注文は、

加登屋酒店までお願い致します

 

 

 

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安積疏水 日本遺産認定 で思い出したこと

2017-02-04 21:18:28 | 家族

昨年の何月号だったか

JR東日本「大人の休日倶楽部」に特集記事が載ってましたし、

またこのブログでも簡単に紹介しましたが、

安積疏水はが 日本遺産に認定されました。

そのことに関して、思い出したことがあります。

 

極めて私的なと言うか、身内(母方の祖母)の話ですが、どうぞお付き合いの程をヽ`(~д~*)、ヽ`…(汗)

 

ここに、昭和53年2月14日の福島民報「大郡山版」の〝写し”があります。

見出しは、

「中条政恒邸跡 史跡公園に」〝安積開拓の父”永遠に 地権者、快く了解 と。


安積疏水(あさかそすい)と言えば、中条政恒とファンドールン、ですね。

 

旧米沢藩士 中条政恒は、 

安積疏水事業と安積平野開拓に情熱を注ぎ、郡山発展の道をひらいた。

作家の宮本百合子は、中条正恒の孫にあたり、

「貧しき人々の群れ」や「播州平野」は、郡山市を舞台にしている。 

(福島民報より抜粋)


この新聞報道から約2か月後の4月4日、

祖母(86歳)祖母の兄嫁(96歳)が、この史跡公園に、山桜の苗木4本の植樹をしました。

この史跡公園は、現在の開成郵便局の真ん前にあります。


この前年の4月から5月にかけて入院した義母。

病院に泊まり込みで看病したのは、私いっこんまでした。

 

これ ↓ は、身体が弱っていた祖母が、当時の市長高橋亮氏あてに書いたお礼状です。


『中條邸跡記念公園に植樹申し入れが、市長様のお許しを得て、

姉(スカ)と、市の木「山桜」四本植えさせて頂きました。

誠にありがとうございます。

歴史を大事にする市長様、地下の中條様と半右衛門と喜んで居る事と思います。

山桜の成長と百万都市の前途を祈願して止みません。

塩田様、忠花園の皆様にはお世話になりました。

今、旧邸跡に立ちて、

祖母(ウン)様に手を引かれて

帰桑毎に寄ってくれた子どもの頃(8、9才の頃)の百合子さんの色白な可愛い顔を思い起こしてゐます。

又、ウン様、開拓当時、政恒様と共に起居した裏の廃屋を見廻って、

当時のきびしさ、つらさを思い出してゐました。

私の13、4才の頃です。

七郎(甥)の嫁の背中で、ここは中條邸(サマ)の屋敷だなあ~と漏らし、

碑を読みだした姉の言葉には誠に驚きました。

皆の人が力を合わせて郡山の文化を守り続けますやう切に願い居ります。

姉共々長生きして、又山桜の節に必ずここをおとつれて来ます。

皆様ほんとうに有りがとうございました。

心より郡山の発展を祈って止みません。 

昭和五十三年四月四日

                  相楽 スカ(96才)

                  登梛 千代(86才)

植樹の日に記す』                (原文のまま)

 

 祖母の父は、大槻村最後の名主でした。

大槻村最後の名主 相楽半右衛門伝 矢部洋三

故に、上記民報新聞の「地権者」=相楽家となります。


上の手紙は何度読んでも私の胸にジンと来ます。

そして、気になること。

40年の時を経た今、google map  を開くと、この史跡公園は、開成緑地となってます。

史跡公園ではないのか?  4本の山桜はどうなっているのか?

山桜の咲く頃に、祖母に会いに行きます!



 <追記> 

この後、祖母の病気が悪化しました。

父の提案で、長女である母が引き取ることになり、4年間の自宅介護。

初め、お医者様が数回訪問してくださいましたが、

「このお歳ですから、もう薬は要らないでしょう」と。

母が殆ど一人で介護しておりました。

それでも寝たきりで4年間生き延びたのです。

毎日身体を拭いてあげたりと、献身的な介護が功を奏したのでしょう。

誤嚥も褥瘡もなく、見事な最後でした。

 

 

 

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