■炎のクリエイター日記

美味しいもの・史跡が持つ歴史のご紹介。お料理はプロ・自作を問わず鮮明な画像で、どんな素材も関西仕立てにクリエイトします。

霞ヶ城と呼ばれる 「丸岡城」 は現存するお城?

2013年05月30日 05時18分55秒 | 史跡・歴史巡り
福井県坂井市丸岡町霞の、小高い独立した丘陵に築かれた平山城「丸岡城(まるおかじょう)」は、築城当時から現存している城と言うことで足を伸ばして見たが、どうやら福井地震の時に倒壊していたらしい。復元天守は倒壊材を元の通り組み直し修復された後、「国宝」に指定されていたが、現在は重要文化財の指定を受けている。





このお城は、別名「霞ヶ城」とも呼ばれ、その由来は合戦時の不利な状態になると、大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説に基づくもの。お城もこの時代まで残そうと思うと、何かしら幸運のようなものが無いと困難なのも納得出来るところ。その大蛇が出てくる井戸と竜神さまのお堂にお賽銭を入れ、一攫千金をお願いした。





現在の丸岡城は、天守閣のみが現存していて、大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古式の外観から、現存最古の天守とも呼ばれていたが、古さでは「犬山城天守閣」ではないか?との論争がある。柴田勝家の姉の子供である「柴田勝豊」の建造である場合は、1576年頃と推測出来るが、建築史の観点では慶長期の特徴を多く見られるので、1596年以降の築造もしくは、改修による姿ではないかと言う説もある。







安土桃山時代(1576年)に、織田信長の家臣で越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家。その甥にあたる柴田勝豊によって築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に移った。本能寺の変(1582年)後の清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に移されたので、代わって勝家は安井家清を城代に据えた。柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされる(1583年)と、この地は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝を置いたとある。
以後、安井家清→青山宗勝2代→青山忠元2代→今村盛次→本多成重4代→有馬清純8代となり明治維新を迎えた。・・・・・って、徳川家はこの間何代入れ替わったことか。血縁が続いているかは絶対に怪しい。天守閣最上階の突き上げ窓より東西南北と見渡す。





また、昭和23年の福井地震によって「丸岡城」は倒壊した。その後、昭和30年に現物部材を組みなおして修復再建されたとある。その際、最上階の窓の造りが引き戸から突き上げ窓に改変されている。独立式望楼型二重三階で、一階平面を天守台に余分を持たせて造られているため、天守台を被せるような腰屋根が掛けられている。屋根瓦には笏谷石製の石瓦で「寒冷地仕様」に葺かれていると言われる。ご覧の通り天守閣の階段は急なため、観光用の補助縄が取り付けられているが、カメラを持った状態での昇り降りはキツイものがあった。







石垣は、当時の野面積みがそのまま現存していると言うことなので、恒例の石垣補強作業を完璧に行った。しかし、この石垣悲しい伝説が残っている。それは「人柱お静の伝説」と言い、丸岡城を築城する際に、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかった。そこでこの時代の人達は人柱を立てる事となったのだが、城下に住む貧しい片目が不自由な未亡人「お静」が、息子を武士に取り立てる事を条件に、人柱となる事を申し出た。



その願いは受け入れられ、お静は人柱となって土中に埋められ、天守の工事は無事完了したのだったが、人柱を立てるとスムーズに事が運ぶのは、現代では不思議としか言いようが無い。柴田勝豊はほどなく豊臣秀吉に滅ぼされ、その約束は果たされなかったため、それを怨んだお静の怨霊は大蛇となって暴れたと伝わる。毎年4月に丸岡城は大雨に見舞われ、人々はそれを「お静の涙雨」と呼んだ。城内にはお静の慰霊碑が寂しげに建てられている。下の画像はお静の五輪塔アップ。





……………<切り取り線>……………


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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tomato)
2013-05-30 10:30:57
素晴らしい眺めにうっとりです。
この木造の建築も昔の人の知恵って凄いと驚かせられます。
石垣、やっぱり素晴らしいです。
今回も炎クリさんの石、参加させてきたのですか^^

怪我されたのですか?
大丈夫ですか・・・
酷くないといいですけど、お大事になさってください。

ポチです。

お疲れのところあろがとうです^^

返信する
Unknown (.しじみちゃん)
2013-05-30 14:16:05
こんにちは

わあ、このお城も素敵だすね

階段とお城が一緒に写ってる写真

なんか見ててワクワクしてくるだす

美味しそうなお酒だすね♪

クイズ分かりません^^;

ぷっちんだす
返信する
凄いですね・・・・ (炎クリ)
2013-05-31 00:40:02
>>tomatoさん
こんばんは。(*⌒ー⌒*)

凄いですね?
我々の祖先の武将や建築技師たちは。
こんなにも次世代に残すような頑丈な建て方をしていた訳ですから。
頭が下がりますよ。

この反りと言うかフォルムふるえて来ますよ。
ご安心ください・・・・いつもより大きめの石を突っ込んできましたよ。
これで次世代まで安泰です。

応援(^_-)-☆ありがとうです。


>>しじみちゃん
こんばんは。(*⌒ー⌒*)

ワシもそこんとこ好きですよ。
石段を上り詰めるとお城の玄関・・・・昔は司令塔だったんでしょうね。
お城の上で軍杯を持って再拝する姿が見えてきそうです。
いえいえ、ここは霞ヶ城・・・・天守閣が見えないんでしたね?
お静さんの大蛇が城の危機を救っていたとは考えられないんでしょうかね?
クイズ、難しかったですか・・・。

応援(^_-)-☆ありがとうです!
返信する
Unknown (tomato)
2013-05-31 10:31:29
忙しい中、コメントありがとうです。

足の具合はいかがでしょうか。
無理されませんように。

クイズ・・・・わかりませーん。
鬼・・・ん-Bでお願いしますー^^

ポチです。
返信する
こんにちは^_^ (はーい♪にゃん太のママ)
2013-05-31 13:13:48
足のお怪我は大丈夫ですか?
お城の階段から落ちたとか。。。
人柱だなんて
縄文時代で終わって
弥生時代でハニワになったんじゃないんですか~
興味深いお城ですね!
返信する
Unknown (.しじみちゃん)
2013-05-31 14:27:50
こんにちは

あんよ怪我?ええっ?

どうしたんだすか?

人柱ってすごいだすね

お静さんがやっぱり、守ってくれただすよね

あんよお大事に♪

お大事にぷっちん♪
返信する
考えようですね・・・・ (炎クリ)
2013-05-31 23:10:28
>>tomatoさん
こんばんは。(*⌒ー⌒*)

足を怪我したまんま山登りをしたら、
その足をかばって歩いたので、
腰に負担が来て、今は足の怪我よりも腰が痛いです。
物事は考えようで、足をかばわなけりゃ良かったと後悔します。

柴田勝家も、豪傑で知られた武将ですからね。
応援(^_-)-☆ありがとうです!


>>にゃん太♪ママさん
こんばんは。(*⌒ー⌒*)
尖った岩を踏み抜いたんですよ。
気が付けば足にベットリ血がついていました。

人柱も地方によっては、未通女でしか駄目なんて、
酷い仕打ちの場所もあったそうですよ。
残酷な考えより、考えようによっては、
自分たちの技術向上に何故向けられなかったんでしょうね。
いつも(^_-)-☆ありがとうです。


>>しじみちゃん
こんばんは。(*⌒ー⌒*)
黒薙の山奥をクロックスで歩いていたら、
尖った岩を踏み抜きました。

・・・・ですよね?
考えようによっては、お静がお城の危機も救ったと、
ワシは思うんですが、恨みを前面に出そう出そうとしているようで、
大蛇、竜繋がりを想像して欲しいですね。
応援ぷっちん(^_-)-☆ありがとうです。
返信する
Unknown (まさむら)
2013-06-01 21:10:15
 こんばんは。

 国宝から重要文化財に・・・
 そんなことってあるんですか?
 何か原因があったんでしょうか。
 修復したのがばれてってことはないですよね。
 でも、不謹慎かもしれませんが・・・
 天守閣だけというのは、なんか不格好ですね。
 トレーラーの運転席だけで走っているような・・・
 
返信する
何かね違うようです。 (炎クリ)
2013-06-01 23:25:32
>>まさむらさん
こんばんは。(*⌒ー⌒*)

それね、何か違って「国宝」と「重文」は異質なものだそうで、
格下げなどでは断じてないって書いてましたが、
格下げじゃんね?
まさむらさんは、良く読んでおられますね?

そうそう、天守閣は山城なら山があってこそで、
平城ならお堀ですよね。
トレーラーの表現は良く解かります。
返信する
Unknown (SHOMI)
2013-06-01 23:55:09
立派な天守閣ですね☆
本当に昔の匠はすごいものを
造ったんですね(*^^*)
でも悲しい伝説ですね…(;_;)
お身体お大事に☆

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