その昔に書いた話ですが、これが最近の笑えないポスト・トゥルースと繋がっている気がしましたので。
まだ20世紀だったころの話ですが、同僚の講師にある生徒が「先生って格好いいんだって?」と言ったのですね。
これがなかなか話題になりまして。
その生徒はわたくしにもですね「「先生って頭いいんだって?」と質問してきたのですが、あちらが「格好いい」だったら当然こちらは「顔が美しい」になるはずなのに、全く何を寝ぼけているのかとむかつきながら「あ~、顔は良いですよ」と言いましたが、まあ、おいらに対する質問のほうは「そりゃ自分では答えにくいだろ」というぐらいで済みますが、「格好いいんだって?」は済みませんね・
一般に「格好いい」かどうかというのは主観の問題ですね。これは誰でもそう思う筈という認識がわたくしたちにはあったわけです。
その生徒に関して予想できるのは、誰かが「あの先生格好いいよね」と言った話を聞いたということですが、
仮に誰かが「あの先生格好いいよね」と言っていたとすると、まあ、「そうかなあ」とか「あ、そうかもね(そうだね)」ぐらいですよね。いや、知らんけど。
そこから、本人に対して「先生って格好いいんだって?」まで行くのは、絶対あり得ない級のすごさなわけです。
主観の問題である事の他に、本人を目の前にしてそれは出てこないですよね。
これ以上ない「1次情報」を目の前にしているのですから。
そもそも普段から「目にしている」のですよね。
それで「格好いいんだって?」はどうやったって出てこない。
実際にたっぷり自分の目で見て格好いいかどうか判断できるからですね。
これ以上ない「1次情報」があるのにそこで判断しない。
これ、最近のポストトゥルースと同じじゃないですか。
まだ、辻元議員が侵入したとかアホなデマを本気にしているどうしようもないのとか、中にはデマかどうかは民進党が決めるのかなどといった脳がどこかに逝っているような話がありますが、アレの1次情報は籠池夫人のメールです。
そして本人が否定した。これで終了ですね。
こういった極めて当たり前の判断が出来ない、そういう判断をすることを放棄して生きている、そういう判断をすることみずからの(内部に)責任が生じることを回避して生きている、そういう人たちですね。
「先生って格好いいんだって?」は中学生だったけれども、のポストトゥルースは普通に大人がはまっているわけですね。
ニュースに出て来る国会の様子はもちろん編集がされています。しかし、編集が入っている事を抑えながら見ればある程度、本当の様子を見ることは出来るかと思います。
でもそうするのではなくて解説の話で判断する。
昼間は、田崎寿司郎や、山口敬之のような官邸代理人や宮根なんかの話を聞いてもしょうがないんですが、結構きいている人は多いのでしょうね。
つい先日書きましたが解説書ばかり読んでいる人は大丈夫ではないと思いますね。
可能な限り1次情報にあたるのではなくて、常に解説ばかりきくようになると、嫌韓本とか本気にしてしまうのではないかと。
楽なのだろうなとは思いますけど1ミリも理解できないです。
1980年ごろ
エイジア。
Asia - Heat Of The Moment
Asia - Only time will tell
当時、メドレーものも結構流行りますた。
Hooked on Classics 1,2


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