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Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
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今日は気持ち悪いのでPG12指定で。グロです(そもそも12歳未満の人は見てないと思いますが)

真善美という言葉がありますね。
哲学の方面ではよく出てきます。プラトンとかカントとそこそこ仲が良い。

ネットやメディアに出回る様々な「話」に関して、その真偽の判定ぐらいは自分でつけられるようにならないと一人前の大人とは言えないと。
事の善悪の判断も自分でつけられないとまともな人類とは言えないと。まあ、善悪というと何やらキリスト教っぽい(あるいは宗教っぽい)ので良し悪しの方がしっくりくる人もいると思いますが、それでもいいです。
たとえば、大阪府知事が良い仕事をしているか、という判断を自分でできるかということなんですよね。
テレビで吉本の芸人が「吉村さん、がんばってはる」といったら頑張っていることになってしまうようなことでは現代の人類としてはいかがなものかという話なわけです。

しかし、美について、美醜に関してはかなり感覚的なものなのであまり言及しないことにしていたのですが、やはり「美しい国ニッポソ」に関しては言わなければいけませんね。

その昔、某ヤフー板で、「掲示板などで激しく対立することがある(というかよくある)はなぜなのか」という問題に、不肖わたくしは「倫理観の問題ではないか」といったのですが、ある人は「美醜の問題ではないか」と言っていたんですね。
美醜の問題は割と相いれないことが多いのであり得るのですが、わたくし的には単に美醜の感覚の違いだけであれば対立はしない(基本かかわらない)ので倫理ということにしたわけです。

年末にNHKが五輪とそれをヨイショする河瀬直美をヨイショする番組を放送。
その中で、ある人があたかも反五輪デモに参加してお金をもらった(反五輪デモにカネが出てきたかのような言い方)と字幕を付けたわけですね。あたかもそれが事実であるかのように。
しかし、抗議の声が相次いで、その字幕は確認していない内容で不適切であったと番組を制作したNHKの大阪が謝罪。謝罪といっても視聴者やデモ参加者にではなくて河瀬直美にですけど(そこが日本仕草)。
抗議が相次いだのは見ればわかるレベルでデマだからで、NHKがすべきなのは検証なんですね。誰がいかなる意図で作ったのか。
そもそも河瀬直美の五輪礼賛番組で、河瀬自身があたかも日本人みんなが(招致段階から)五輪に賛成していたというファンタジーを抱いていて、それを騙るための番組なわけですから、わざわざ反五輪デモの「参加者」(実は参加したかどうかも未確認)を取り上げるのは、五輪に反対する人たちなど存在しない、仮ににいたとしても極めて少数の特殊な人である、そういった印象を作り出すことが目的であるわけですよね。

河瀬の美の感覚は非常にわたくしのそれとは異なるわけです。
賄賂で招致してロゴ利権のために湯水のごとく税金を使いロゴはパクリで競技場は新しくする必要がないのに史上空前の途方もない予算で無理やり新設(そして冷房も聖火台もなし。不便)、暑さ対策は間抜けなものばかり、開会式の参加メンバーは不祥事だらけ、コロナ感染者が爆発する中を強行したしたわけで、これ以上醜悪なものがあるのかというレベルのもので、非常に多くの人たちが反対していたわけですが、彼女にはそういうものが見えないどころか美しいものになっているわけですよ。
いくらなんでもこれで美しいと感じるのは異常なんですよね。倫理的にも五輪開催はあり得ないものですからね。

しかし、番組の後の反響に関して彼女はこうです。
河瀬直美 はい
はい
この「はい」は
めちゃくちゃ面白かった!自分達に都合が悪いとすぐBPOだの放送倫理違反だの言ってくる人たちの誹謗中傷に負けずこれからも頑張ってください
という残念なツイートに対する引用リプです。

そして番組によるねつ造が明らかになっても
河瀬直美 ポエム
写し鏡のよう

こちら側と
あちら側で
見える世界の違いを知ること。
知って、また受け入れること。
そして、自らの器にそそいだ
水が清らかであり続けること。

世界からの学びは
無限に

このポエム。まるで安倍昭恵。

悪いけどこれは気持ち悪いです。美醜の問題だけではなくて完全に倫理の問題が入っているんですよね。感性が異常と言わざるを得ません。
感性が御用仕様なんですよ。官制の感性なんですね。
悪い行政府と一致しているわけです。
とにかく
き も ち わ る い
です。
感性の全く違う人とは関わらないのが吉でしょうが、この場合は、積極的に否定しなければいけないですね。
きたないものをただ「うつくしい」といて言っているだけなんですよね。
その理由は「自分がそれで得をするから」以外にはないわけで、徹底的に追及しなければいけない類のものです。
他者をデマで中傷することが「うつくしい」とは一体何なのか、生きていて恥ずかしくならないのか、羞恥心はあるのか。


David Bowieのセカンドアルバム。
David Bowie - Space Oddity
プレイリストです。

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大晦日にアンダーマイニング効果をやりましたが、あれの酷いのが学校の道徳に時間ですね。
少し書こうと思いつつ時間がないので省いたんですが、よく考えたら本当にひどいのはあれであろうと。もちろんスパルタ「指導」とかいろいろありますけど。

しかし、今日は外的な理由から余りやる気がないので短めにします(キリッ

小学生のころを思い出してみると道徳に時間は本当に嫌でたまらなかったのですが、幸いないことに非常に少ない時間しかなかったのです。
あれで、毎週ぐらいのペースで「良い子はこうするんですよ」なんてことを学校でやっていたら、グレたかもしれないですね。
気持ち悪いですよね。

今の子供は大変ですよね。学校での「道徳」が評価の対象になるんですよ。
まあ、受験には影響しないということになってはいますが。それでも死ぬほどうざいと思います。

それに内容がひどいんですよね。
道徳の時間にやりがい詐欺
ごほうびをいただかなくてもしごとをつづけたい
ワタミの社員教育?
「自発的にやっていることに報酬を出すとやる気がなくなる」というアンダーマイニング効果を悪用してるやつですか。
なんでも自発的に行動する子どもなら、道徳の時間にいやらしく教える方がアンダーマイニング効果になりますけどね、圧倒的に。
そういうことは考えないのでしょうか。

道徳の教科書の話は以前にもやりましたが、まあ、とにかく「偉い人の言うことを聞くのが正しい」というもので、完全に洗脳。
「教師の言うことを聞くのが正しい」「ルールを守るのが正しい」「偉い人が正しい」という世界ですからね。
副読本ではその「偉い人」の例に曽野綾子というレイシストが出てくる始末。
いや、そんな学校に行ったらグレますよ。
グレたら学校に行かないで世界的な環活動家になるかもしれないですから、むしろ良いかも。
まあ、腐れた道徳の時間がそのように結果的によいことを生み出す可能性はあるかもしれませんが、余りにもものを考えない、自分で何も判断しない子どもを

現在のネトウヨに至っては「民主主義=選挙」「多数派(多数決の結果)=正しい」というレベルまで来ていますからね。
正しさと数は関係ないということが全く分からないのはかなり「すごい」です。
このままだと本当に薄気味悪い社会に住む薄気味悪い人たちの世界になりそうなんですが、これ大丈夫じゃないですよね。
全く非人道的な憲法や法律ができても別に抵抗もせず「法律を守れ」という一般臣民が多数派を占める国になりますよ。

これなんですけど
東京入管
1/4東京入管に再収容されているスリランカ人ジャヤンタさんに面会。かなり危険な状態と思われます
ウィシュマさんの件が表ざたになってかなり経っていますよね。
ウィシュマさんは名古屋入管でしたが、こちらは東京です。
いったいどんな組織なんですかね?
法務省って人を殺すことが仕事なんでしょうか。
死刑はポンポン執行しますよね。
これで、入管法を改悪しようとしているんですからどうにもなりません。

オクサーナ・リニフさん。
Tschaikowsky - Kosaken Tanz

Mozart - Requiem

こちらはクリスマスの企画のようです
LvivMozArt Christmas concert
1、モーツァルト、大ミサ曲から「キリエ」
2、ベートーベン、ロマンス第2番
3、サン=サーンス、クリスマス・オラトリオから第3曲から第10曲(最後)まで。これはいい曲です。
4、Maria Oliynykという作曲家の"The New Joy (Has Come)曲。初演のようです。
5、Ivan Nebesnyiという人の曲(よくわかりません)。
6、Shchedryk、これクリスマスの時にやったウクライナ民謡ですね。"Carol of the Bells"の原曲。というかむしろ"Carol of the Bells"

去年のバイロイトで振った
Wagner - Der fliegende Hollander
「さまよえるオランダ人」(音だけ)のようです。

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ちょっとタイトルがわかりにくいのですが、基本的にアンダーマイニング効果の話で、それを(表面的に)利用したやりがい搾取野郎の話も少しします、という感じです。

しかし、今年も終わろうというのに脚がちゃんとならなかったのがきついです。
たくさん歩くとももやふくらはぎなどがばりばりに張るんですよね。
三里(足三里)のあたりがきつし、膝のすぐ下あたりに激しい違和感が。
それはそうと本題に。

学校や会社などで非常によく起きる(起きている)であろうアンダーマイニング効果。
こちらのサイトではこんな説明が。
アンダーマイニング効果 その1
アンダーマイニング効果とは、過正当化効果ともよばれます。 「役に立ちたい」「達成したい」という内発的動機付けにより行動したことに対して、「報酬を与えられる」「圧力をかけられる」などの外発的動機付けにより、やる気が削がれてしまう心理現象です。

物質的な報酬ではなく、言語的な報酬を与える
やる気のない従業員に対しては、まず成績が伸びたらボーナスを支給する、というような外発的動機付けは非常に有効な手法です。しかし、反対にやる気のある従業員に対しては、期待や、賞賛の言葉といった言語的な報酬を与えるほうが、自己決定感や有能感を低下させず、内発的な意欲を向上できます。


こちらも、おおよそ同じような故tが書いてありますかね。
アンダーマイニング効果 その2
心理学者リチャード・ドシャーム氏の「自己原因性」という概念によると「人は自分で自分の行動を決めていると知覚している時には内発的に動機づけられるが、他者から統制されていると知覚している時には外発的に動機づけられる」とあります。行動に対して他者から報酬をもらうことで、行動の目的が「報酬をもらうこと」に変わってしまい、報酬なしではやる気が出なくなってしまうのです。

しかし、資本主義社会において会社などで仕事をしているのに報酬が嫌だということはないのですよね。
その場合、資本主義を否定しなければならなくなります。とりあえず政治家に適用してみてはどうでしょうか。
いや実際、報酬自体でモチベーションが低下するということはあまりないと思いますよ。
会社で良いことをして、評価されたと。報酬が上がったと。それで嫌な人っていますかね?
問題はそれに関して余分なものがついていることだと思います。
下世話なバカがいるんですよ。「いっぱい金が稼げるぞ。そうすればきれいなお姉ちゃんがよりどり(以下自粛」とかそういう話を始めるバカが。
あるいは、「駄目なら減俸」とか言ってみたり。不必要なことを言ったりやったりするのが駄目なんですよ。

一応ですけど、報酬の件はわからないでもないんですよ。
たとえば、「公務員は頑張っても頑張らなくても給料は変わらない」と言ってその仕組みを非難する人がいるんですよ。
その仕組みが事実なのか同課は知りませんが、そうだとしてもモチベーションが落ちる理由にはならないでしょう。
多少でも「自分は良いことをしているという」意識を持っているなら、まさに内発的動機づけになるわけですからね。
もちろん全く誰からも(言葉で)評価されないと続かないだろうとは思いますが。

でも民間は違うでしょ。
たとえば(旧)ワタミのような会社に入って仕事するのはおカネのためですよね。
そこに、社長が勝手に「ありがとう」の方が大事だなどと騙ることこそモチベーションを下げることに他ならないです。

人には「自分の行動は自分で決めたい」と望む自己決定の欲求や「できないことをできるようになりたい」と望む有能への欲求があります。アンダーマイニング効果は「自己決定感」や「有能感」の低下によって引き起こされるのです。

アンダーマイニング効果が起こる原因としては、物質的な報酬以外に以下のようなものが挙げられます。

罰の脅威
締め切りの設定
監視
競争
評価

「罰の脅威、締め切りの設定、監視」に関しては間違いなく低下しますね。「競争」は人によっては上がる可能性はなくもないですが。
評価は、それは致し方ないのであって、評価の仕方の問題です。
このあたりは、やたらと他人を支配したがるいかれポンチとかパワハラ莫迦とか、そのあたりが問題だと思いますね。
まともな人間、特に底の職場の責任者なら、自分の職場で働いている人間のモチベーションは落ちてほしくないだろうし、できるだけ高くあってほしいと思いますよね。
ところが、異常者はそういうことは考えないんですよね。むしろわざとモチベーションを落として支配したがるのがいるんですよ。


当然これは学校などでも起きますね。
単に勉強が好き、学問が好きなのに「受験、受験」と騒ぐバカとかにはうんざりしますよね。確実にモチベーションが下がります。
部活も同様で、単にそれが好きだからやりたいという人がかなりいると思うんですが、特に体育会系だと糞うるさい顧問だか何だかがいますね。
体罰などかます異常者もいますからね。やる気が起きるわけないでしょう。
しかし、学校というところは「指導」という言葉が大好きで、生徒(学生)の自主性など知ったことではないのですよね。
もちろん自主性に任せていたらどうにもならないというタイプの生徒もいることはいるんですけどね、バカタイプの先生はそういう区別がつけられないですからね。
良くいわれることですが、宿題の類はどのぐらい意味があるのかということになりますね。
まあ、やる気を削ぐという点では劇的な効果があるのは事実です。

大学の勉強に至っては、これはもう学問をやるところなわけで、そこに就職だのなんだのというのは確実にモチベーションを下げることにしかならないのですが、まるでそれが大学で「勉強」する目的みたいな考えの人がいますからね。
バカが多い社会はきついですよ。
生きるモチベーションが下がります。

今日はジョン・デンバーとドナ・サマーのプレイリストなのだ。

来年が最悪の年になりませんように。

John Denver - playlist

Donna Summer - playlist

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タイトルはちょっと受け狙いですが、わりと近いんじゃないかと。
昨日は、あちこちの段落をばらばらに書いたので、全くまとまっていないと思いますが、考えてみればまとまっていないのはいつも通りなので気にすることでもなかったですかね。
今日も同じパターンになりそうです。
時短なんですよね(笑)
なるべく短い時間で書くために、とりあえず思いついたことをさっと書いておくと。
何がしかの順番を守って書くと、書いているうちにかなり忘れるのです。
同じ段落内にあって、接続してあたかもつながっているように見える部分もじつはまったく別々に書いたものをならべて接続詞(など)でつなげただけだったりするんですが、まあ、そんなこともどうでもいいか。これは書いている側だけの問題で読む人には関係ないですね。

さて、日本の臣民の皆様が実際に心の座右の銘としていつも自分自身に言い聞かせている言葉は「長いものには巻かれろ」と「自己責任」ではないでしょうかね。
日本の社会は上にいくほどバカ。上にいくほど無責任。
現場の非正規が責任を取ると。
男尊女卑な社会なので、たとえば女子高生が妊娠すると、たいてい退学になりますね。男のほうは大抵お咎めなし。まあ、注意ぐらいはされるでしょうが。
女子高生が妊娠しても誰にも相談できず出産までしてしまい、その新生児を遺棄して捕まる事件がありましたが、女子高生ではなくても同種の事件が後を絶たないわけですよね。
男のほうは何の責任も取りません。あらゆる責任が女性側にかかるわけですね。「そんな男にかかわったお前が悪い。『自己責任』だ」と。
男性が上だと見るバカなじいさんたちが、社会の中心にいるからです。

少なくとも君主が「野党は頼りない」などと考えることはありえないわけです。全く完全にどうでもいいことですよね。
君主が生活保護叩きの維新や自民を支持することはあるんですかね。
安倍や吉村を持ち上げることもあり得ないわけです。
安倍も吉村も有害ですからね。有害なものは君主道徳では悪なんですよ(笑)
だいたい橋下などは、知性も教養もないわけでそういう方面への異常なルサンチマン丸出しで、維新全体がそうですが常に敵を作りだして叩いていますよね。とにかく攻撃。文化・芸術・教養。
他にも野党叩きに必死、朝日新聞叩きに必死。ようするに中身がネトウヨなんですが。
これはまさに奴隷道徳そのものでしょ。
まあ、ニーチェがキリスト教に対してやったこととあまり変わらない気もしますが。

「ニーチェ読み」がみな同じ解釈をしているかどうかは知りませんが、そもそも支配者と被支配者という分け方がひどく頭悪いですよね。
彼の生きていた時代だって、それはかなり古い感覚だったと思いますが、キリスト教に対するルサンチマンが強すぎて変な方向にこじらせてしまったものだと思います。
そして、通俗道徳に浸りきったニッポソの臣民が極端に頭が悪いと思うのは、支配者でもないのに、支配者に都合のいい「道徳」に従っているの点で、だからお前は臣民なのだと。
「自己責任」という言葉は、そういう言葉ですよね。

あれらは階級社会に慣れきっているんですよね。支配されることに慣れきって、そのかわり自分たちよりも弱いものを叩くことで、なんとかアイデンティティを保っている状態。
これも何度も書いていますが、いじめ社会そのものでもあるんですね。
強いものには逆らわない。さららうといじめられますからね(笑)
自分がいじめられないために、自分より弱いものをいじめると。実にゲスな生き物が通俗道徳のしみついた皆さんの生き方ですね。
そういう通俗道徳を一般市民に植え付け続けているのが自民党で、最近では維新ですね。
大阪人とか通俗道徳で生きてますよね。
あの行政のひどさで維新を良く支持できるものだと感心しますよ(棒)

いちおうですね、君主道徳を良いものだと解釈して(笑)、かつ現代に当てはめてみると、ぼくらは主権者ですから(にっこり)、そこに君主道徳を当てはめてみるべきでしょう。いや、道徳という言葉を使うのはおかしいかもしれないですが。
つまり良い主権者であるべきだということになります。
社会の問題に主体的にコミットしていくと。
安倍や吉村はわたくしたちのしもべですからね。
それが国会をろくに見もしないで「野党は頼りない」「野党は批判だけ」「吉村さん頑張ってる」「外交の安倍」とメディアが言っているのを無批判に刷り込まれて

たとえば、公文書改ざんなんて先進国では重罪なんですよ。アメリカだと無期懲役まであります。
でも、そんなにひどいことだと思っている人は少ないですよね。みんな(メディア)が騒がないからです。
単に空気を読んで生きているだけなので、自分でそういう判断をしないからなんですね。
重要な問題かどうかという「判断」は、騒ぎになるかどうかどうかにかかっているという人が多いわけですね。

学校で批判的思考を教えていない件ですけど、たしかに悪の塊のような与党を批判する人は少ないですが、いっぽうで、野党のことは簡単に批判するし、小室圭のことは叩きますよね。
ようするに単に空気を読んでいるだけなのです。

まあ、何道徳でもいいんだけど自分で判断しない人はまず間違いなく臣民ですから、主権者になるべくせめて判断できる程度の能力はつけるべきだと思いますね。

ちあまり関係ないかもしれませんが、最近は組織の責任者の森の男尊女卑発言をそれは組織の問題で森のせいではないと擁護するなど、病的に長いものに巻かれ続ける茂木健一郎が、また謎の発言。
謎の茂木健
以上のような理由で、私は、特定の主張をするアカウントがあること自体が民主主義を揺るがすという論にあまり共感しない。政党が資金を出していたりしたらそれは事実として報じるべきだと思うが、問題なのはそんなことで影響を受けてしまう単純な有権者の群れとそれを生み出す日本の教育の失敗だろう。
認知が歪み過ぎていますね。
「政党が資金を出していたり」ということからこれはDappiの話だと思われます。
しかし、Dappiへの批判・非難に「特定の主張をするアカウントがあること自体が民主主義を揺るがすという論」などというものを主張している人を見たことはありませんね。
政治的発言をする人に文句を言うバカはいますが、それは確実に臣民ですからね。
誰もが特定の(あるいは特定でなくても何らかの)主張をしていいのが民主主義であって、この異常な認知の歪みは何かを必死に擁護しているのでしょうね。
Dappiの場合は、性質の悪いデマを流しまくって特定の政党を擁護あるいは攻撃し続けることと、そこに政党からの資金、もしかすると国民のお金が入っているかもしれないんですね。
どうも内調がかかわっている可能性がけっこう高いのです。
Dappiに関するしりょうがあるかどうか、Wada氏が開示請求をかけたところ、他の部署は「文書不存在」だったのに対し、内調だけは開示しないという答。
おかしいですよね。

コープランド。
Copland - Appalachian Spring

Copland - Quiet City

Copland - Hoedown


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中には「日本のは翼賛体制であってファシズムとはいわない」など言う人もいますが、そこはどうでもいいです。
あの当時のイタリアとそっくりそのままのものなんかそうそうないでしょう。
ニッポソ式でもニッポソ風でも、なんでもええねん。

とにかく「空気を読むんで長いものに巻かれる」のがニッポソ式ファシズムなんですよね。
まいどいってますけど、「判断しない」わけです。
なんかよくわかんないけど「テレビで吉村さん頑張ってはる」とかいってるから、頑張ってるんだろう、みたいなやつですね。
「みんなが『安倍さんなら日本を守ってくれる』と言っているから安倍さんを支持します」
「選挙で維新が議席を伸ばしたし、なんか維新がよさそうですよね」

CMで「今一番売れてます」みたいな宣伝が非常に多いですね。実に日本人に向けたキャッチコピーだと思います。まあ、そういう商品なら買って失敗したとしても、まさに「自己責任」ですけどね。
ただ吉本の芸人がいいと言ってるから大阪のチンピラの会に投票したとか、テレビが野党は頼りないって言ってるから公文書改ざん党にいれたとか、会社の社長があるいは地域の業界のドンがアベノマスク党
こういうのはただアホとして生きて死ぬだけですよね。

まずですね、日本は主権者としての教育がなされていないんですよ。
批判的思考というのがありますが、日本の教師は抜きんでて、批判的思考を促していなと考える教師が多いようです。
これは、批判的思考を「自分としてはもっと教えるべき」だと思ったという話ならまだ正常ですが、今の日本だと実際に「批判は悪」ですからね。
権力者に対しての批判ほど悪くみられる。
大阪だと維新はほめたたえる存在。
出来上がるのは暗記パンマン。
まあ、そういう人は科学も政治もダメでしょうね。

批判もせず空気を読んで生きているというのは、家畜として生きる上ではかなり楽だろうと推測されます。
毎度ですけど、自分で判断しないということですからね。
自分で何かしら判断するということは、その判断に責任を持つことになりますから、間違えたことがはっきりわかれば自分の判断が悪かったということになりますが、判断しなければ自己の内部で責任を持たなくていいということになります。
ただのちゃらんぽらんな人間。
まあ、大阪人は楽でしょうね。

政治部の記者がひどいということはいつも言っていますね。大本営の垂れ流し。
まあ、自民や維新に批判的な事を書くとものすごい嫌がられがあるのでそうなる面もないことはないんですが、垂れ流しをやっている時点で責任を完全に放棄しています。
普通、記者になった以上はジャーナリストとしての責任が生じるわけですが、それがないんですよね。

科学ライターや医療ジャーナリストなんかも「業界」の人間と仲良くしているだけで、インタビューはただの垂れ流しですよね。何の責任も持っていない。

日本の学校で生徒はひたすら従順さだけを求められるので(たまに学力)、もちろん批判的思考なんて促されるはずがないし、当然、自分の判断に対する責任感というものは生じてこないわけですが、でも部活のキャプテンなんかは負けると責任とらされたりしますよね。従順な奴ほど。
とっても大日本帝国的。
明日に続くのだ。

Bach - Harpsichord Concertos
ええと、既出(がいしゅつではない)だったらすみません。

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いろいろあるのに敵・味方でしか考えられない勢はかなりいますね。
その典型がネトウヨで、安倍かそれ以外かという2項対立しかない。
安倍に対抗すると全部「反日」ですからね。
「単純」にもほどがありますよね。

ほぼ同じ人々ですけど、政府(政権)は国民に悪いことをするわけがないと思っている人もいますね。
明らかに国民から搾取して悪事を働いているのに支持をやめないあの人たちです。
まあ、彼らネトウヨにとっての良いこと・悪いことが、わたくしたちネトウヨではない者の考えるそれとは異なっていて、要するに「反中・嫌韓」なら良いことだと信じている可能性が高いので、わたくしたちの基準を当てはめるこてゃできませんけども・・

他には、アベノミクスをわっしょいしていた人たちがいまして、おカネをじゃぶじゃぶにしたら景気が良くなると思っていたんですね。
リフレ派といわれる人々(というか自称してますけど)もそこに入ります。
これも、まともに政治やった上でおカネをじゃぶじゃぶにするのであれば、おそらく景気は良くなるでしょうけど。

彼らの「考え」は「おカネがいっぱい=景気がいい」というもので、しかもその「景気がいい」状態を「インフレ」と言っているわけですね。
最近は飽きてますけど、ここのブログでも何度も言っていますがインフレは好景気と同義ではありません。
おカネをじゃぶじゃぶにしても景気が良くならないことはアベノミクスが実証しているわけですね。
インフレとは物価が上がることでしかないんですよね。
物価だけ上がって賃金が上がらなければ、大半の人の生活は苦しくなるわけで、「インフレ万歳」な人は一体何を考えているのかと思いますが、たぶん何も考えていないんだろうな。
そして「緊縮」と「反緊縮」ばっかり言っている人々がいますね。
景気の悪い時に財政出動するのは鉄則ですけど、反緊縮ならいいというものでもないですよね。
散々財政出動してきたのがアベスガ政権ですけど、景気はずっと悪いですよね。
ドイツは2019年まで政府の借金を減らし続けていましたが、その間、日本より景気は良かったわけですね。
財政出動したところで、アメリカから要らん兵器を買い散らかしたり、パソナや電通に回すだけではほとんどの国民は潤わないですからね。
税金をどう集めて何に使うかという問題なのですよね。
予算がただ多ければなんでもいいというものでもないし、財政健全化が悪というわけでもない(まあ、それを主眼にしていては駄目ですけどね)

一方、単純なものをわざわざこねくり回すバカもいますね。
典型が東浩紀で、BLMについて複雑なものに安易に口を出すことはどうたらこうたらと言っているわけですよね。
差別なんて単純ですよ。差別するか差別をやめるか。やめろと言えないなら差別する側なわけですからね。
差別なんて、マジョリティとマイノリティ、あるいは階級社会の上の階級か下の階級かという極めて単純なくだらないものなんですが、複雑に見えるならその差別の構造に取り込まれているというだけなんですよ。頭悪いから。

例えば、嘘というものは悪ですよね。でも場合によっては嘘をつかざるを得ない難しい状況もあるでしょう。安倍の嘘は論外ですけど。
なんなら人殺しだって、状況としては止むを得ないということもあるかもしれないですよ。
仮にそれと同様の状況での差別があるとしても、その「止むを得ない」というのは自分が生き延びるためとかそういう残念な事情であって、東浩紀が得意とするところの「マクロな社会」(笑)において、差別がやむを得ないことになったり複雑なものになったりすることは決してありません。
「人間やめますか、差別やめますか」なんです。

東が毎度そういうことでぐだぐだいうのは食い扶持のためでしょう。ポストモダンな中身がない人はなんでもこねくり回して出番を増やすしかないんですよ。

ああ、アベノミクスといえば、甘利って必死に「トリクルダウン」と言っていたバカでもありましたね。
どうしてトリクルダウンなどという妄想を抱けるのか理解できませんが、最初からそんなことはどうでもよかったのかもしれません。
実際にトリクルダウンが起きると信じていた人たちはどのくらいいるんでしょうね。


シャルル・アズナブールの命日
Charlie - Tirez Sur le Pianiste
映画「ピアニストを撃て」から。

Elton John - Crocodile Rock
アルバム「ピアニストを撃つな」から。

Charles Aznavour - She
「ノッティングヒルの恋人」から、ではないです。

La plus belle pour aller danser
動画の説明にあるように、「シルヴィーバルタン(Sylvie Vartan)が映画『アイドルを探せ』で『アイドルを探せ』を歌ったシーンです。」なのですが、シャルル・アズナブールも出演していてこの曲の作詞もシャルル・アズナブールなんだって。


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「大同小異」の話です。
元来の意味は特に教訓的なものではなくて、「世の中にはおおむね同じで細かいところが違うことがある。(一方、全く違うこともある)」という「である(ザイン)」の説明ですかね。
「荘子」の話のようです。
これが日本に来てどういうわけか「小異を捨てて大同につく」という「べき(ゾルレン)」になったんですね。
この辺りが実に日本風な気がしますが、現代の日本ではさらに解釈がおかしいんじゃないの?という方向に行っているのです。

タイトルに書いた「小異を残して大同につく」というのは野党共闘のようなものを思い浮かべるとわかりやすいと思いますが、各党には政策面などで考え方の違いが当然あるはずですね。
どこも違わなかったら同じ党でやるでしょうから。
しかし、どうしようもない自公政権を止める(まあ、少なくとも好き勝手にやらせないレベルに達することは必須です)という目標は共通ですから、それが大同で、各政党の独自の考え方はそれぞれ残しておいて、大同のほう、主たる目的を達した時に考えたらいいと。

ところがですね、「小異を捨てて大同につく」だと捨ててしまうのですから、違いがなくなってしまうんですよ。
しかし、実際にはいろいろ違いがないわけはないので、この小異を捨てるという感覚は日本においてかなり雑な世界を作り出しているんですね。
もともとは、「細かい違いがある」というだけの話で、それを「捨てろ」とは言っていないんですね。
それが、「意見の多少の違いは無視して、大勢の支持する意見に従うこと」というレベルまでニッポン化しているんですよ。
こうなると元の意味とは全然違うでしょ。
そして、どう考えてもまともな教訓にはなりえないですよね。
「長い物には巻かれろ」と同じような世界になっています。
この解釈はあり得ないと思いますが、個性のない普通の日本人というのはこういうことなんでしょうね。
正しいかどうかではなく大勢が支持する意見と。まあ、大勢を体制に書き換えても今の日本ではそのまま通じると思いますが。

今日は「タイトルに都市名が入っている」特集。

まずはイギリスの都市。
Haydn - Symphony No. 104 "London"

Marie Laforet - Manchester et Liverpool

続いてモーツアルトともに巡るEUの街。
Mozart - Symphony No. 31 "Paris"

Mozart - Symphony No. 36 "Linz"

Mozart - Symphony No. 38 "Prague"

あとこれ。
Dschinghis Khan - Moskau

アジア。
沢田研二 - TOKIO

Billy Joel - Goodnight Saigon

メリケン。(自民党は米利犬)
Billy Joel - New York state of mind
ニューヨークはいっぱいあって悩みますが。

Scott McKenzie - San Francisco

Frank Sinatra - Chicago
シナトラはこっちに登場。

Missing Persons - Walking In L.A.
LAは割とないんですね。たいてい「カリフォルニア」になってしまう。

Boston - Boston
アルバムのタイトルが。

「ケルン・コンサート」はさすがに反則だと思って不採用にしました。

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医クラ一味の一人が「なぜ国民民主は人気がないのか」という話をしているんですね。政策は悪くないのに(彼らに劣ってはそうなのでしょう)
まああるわけないんですが。
野党のふりをしているから注目するのはまず野党サイド(反自公維)の人々ですけど、中身が自民党に近いし何より反共だから普通に敬遠せざるを得ないです。前原みたいな奴にはもううんざりですからね。
そうではない人たちだと、まずまるっきりの無関心層は国民民主なんて知らないです。
次に、それより少しは政治に関心を持っているつもりの普通の日本人にとっては支持率が低い(知名度も低い)政党なんて、ほぼどうでもいいんですよ。
そしてガチな「普通の日本人」(つまりネトウヨ)にとっては、少数派はやっぱりどうでもいいんです。
「なぜ国民民主は人気がないのか」と言っているそいつ自身が、「政策はいい」といいながら国民民主を支持する気は一切ないわけですよね。

彼らは権威とか権力とか多数派とかそういうものにつくわけですからね。
「長いものには巻かれろ」というのが座右の銘のような人々。それだけで生きているのですね。
自分で物事を判断するということを避ける生き物ほどこの傾向が強いんですよね。

判断を避けるということは当然善悪の判断はしない。なんなら真偽の判定もしない。
「偉い人が言ったことが事実」「みんながそう言ってるから正しい」ということになる。
もちろんそういう人は倫理が欠如しているわけですね。

弁護士のヤシローが「ひるおび!」でデマを垂れ流して、その言い訳が閣議決定に基づくとか言っているわけですね。
単に事実関係なら、そんなものに頼るほうがおかしいのですが、倫理が欠如していて自分で真偽の判断ができない(笑)の、そうなるのです。
こういった判断の放棄は、つまり責任の放棄でもありますね。
閣議決定で事実であるかどうかを確認できるのは、バカな内閣がそう思っているかあるいはそう国民に思ってほしがっているということだけですね。
それ以外のことは一切事実とは無縁です。そのうち本当に「2x2は5である」ってやりそうですからね。
まあ、だいたいそれに近いことはやってますけどね。「『そもそも』には『基本的に』という意味がある」なんてことを閣議決定しているぐらいで、確実に小学生のほうが賢いですよね。

アイヒマン的な「悪の凡庸さ」は思考停止とされていますけど、やはり判断の放棄、判断することによって生じる責任の放棄でしょうね。
ヤシローがいくらバカだとしてもアベやスガのように台本がないと何も言えない(そして台本すら読めない)のと違って、自分で話ができるわけですね。
司会のめぐみがいないときはヤシローが代わりにやる。
頭はそれなりに回るのだから思考力がまったくないはずもないし、停止していると言えるかどうか。まあ、そのあたりは「言い方」の問題ですが、少なくとも厳密ではないですよね。
アイヒマンなんて相当に頭はいいはずですからね。
判断と責任の放棄だと思います。
まあ、バカには楽ですよね。もともと思考力がないネトウヨなんて最初からそうでしょうし。
そして日本にはこういう人が非常に多いんですね。

ケインズの美人投票という言葉は何度か使っていますけど、これは実に日本人向けですね。
美人コンテストで誰が一番美人かを投票するのに、自分が一番美人だと思う人に投票するのではなくて、1位になりそうな人に投票するというやつ。
まあ、美人コンテストの可否はとりあえず置いておいて、美人かどうかってそんなものは本人の主観しかないわけで、自分で美人だと思う人を選べばいいんですが、そうしないで「クイズ100人に聞きました」方式の答え方をするやつですね。
株を買ったりする場合には、儲けたいのであれば自分が好きな株を買うのではなくて上がりそうな株を買うとか下がりそうな株を空売りするとかになるのでそれはわかりますし、かつての「クイズ100人に聞きました」ならポイントを稼げるのでもちろん当てにいきますけど、美人投票で1位の人に投票したからといって特典があるわけでもなかったら、ばかみたいなわけですよね。

できれば正社員になりたい派遣労働者が、世論調査で一番人気があるからといって選挙で自民党(大阪だと維新の会)に投票しても、相変わらず竹中平蔵に搾取され続けるだけですし、なんならさらに搾取がひどくなるのですが、一番人気なのでなんとなく安心するんですかね(笑)
馬券と違ってそこで当たっても仕方ないんですよね。むしろ損しますけども。

この多数派についておけば安心というのは、これも何回か話をしていますが、小4の時の担任が算数の時間にしばしば口頭で問題を出して回答も3つか4つを口頭で言ってその中から正しいと思うものに生徒がそれぞれ挙手する、ということをやっていたんですね。
基本的に話を聞いていないわたくしには結構アレだったんですが(笑)、問題がわかっているときは、だいたい確信して正解と思うものに挙手するわけです。
それがときどきその答えで手を挙げたのが自分ひとりだけという場合があったんですが、最初はちょっとドキドキしたものの、まあ、普通に確信があるから手を挙げているんだし、当然正解になるわけですね。(まあ、一人正解だとやや気分がよいですし)
しかし、基本的に聞いていないことが多いのでどんな問題が出たか分からずにみなが手を挙げる様子を見て問題が出ていることに気がつく場合もあるわけです。
そうするとさすがに正解がわかるわけもなくて、それではどこで挙手するかというと、多くの人が手を挙げている選択肢になんとなく一緒にあげるわけですね。
外れても目立たないし(笑)、みんなで一緒にバカで終わると。
バカを隠すならバカの中というか。
わからないとそうなってしまうし、それで偽物の安心が得られるわけです。

「専門家が特異度99%と言っているから99%なんだろう」というのも、同じですね。そもそもその人が何の専門家なのかも調べないで、「バズフィードメディカルが専門家と言っているから専門家なんだろう」ぐらいの世界ですけどね。
偽物の安心(笑)


マーク・ボランの命日なんだけど映像を探している時間がなくなった。
T REX Teenage Dream

T. Rex - Jeepster



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東浩紀になります。(意味はないです)
東眠らせ東の屋根に莫迦降り積む(意味はないです)

今日はガチで不調なので、ごく短いネタで。

ポエム浩紀
だからいまは本当の意味で批判的なのはどういう態度なのか、原理から考えねばならない。リベラルが「意識の高い」主張をしても人々に届かないのは、それこそが体制順応的だとみな見抜いているから。一言でいえば、反アベといえばちやほやされる世界で、それが批判になるわけがないということです。
自分では逆張りしているつもりなんですかね?
だいたい東浩紀ってツイッターではブロックしまくっているので、政権批判してる奴はTLにほとんど現れないと思うんですけどね(笑)
結局のとこっリベラル界隈では莫迦扱いされるから、こういうアホみたいなことを言っているわけですよね。
「原理から考えねばならない」。じゃあ考えればいいじゃん。考えるのが仕事だろ?

「それこそが体制順応的だとみな見抜いているから」。ひゃははは。
自分が体制に順応して意識低いこと言ってるだけなのに、こういうルサンチマンはやめてほしいですね。
莫迦なのでリベラルから叩かれ、ヘタレなので体制批判が出来ないというそれだけですよね。
「差別に反対」とすら言えない。

「反アベといえばちやほやされる世界」ってどこにあるの?
小林よしのり&三浦瑠麗としきりに対談しているやつが、反アベといえばちやほやされると?
もう本当にヘタレでバカですよね。
藁人形にもほどがあります。
「反アベといえばちやほやされる世界」を屏風から出してほしいですね。というかそれがそのまま屏風の中の世界ですかね?

頭が悪いのはもうどうしようもないかもしれませんね。
コロナは雑魚キャラ
「コロナは弱い感染症。雑魚キャラ」
人間として恥ですよね。雑魚キャラでもう15000人なくなっています。
世界では400万人が亡くなっています。
莫迦は黙っているほうがいいと思いますけど。

なんかね、イギリスのメディアはEmma Raducanuという選手の話題で持ち切り。
ウィンブルドンやってますけど、イギリスの選手がもう残ってないんですね。女子は最初からほとんどいないんですけど。
それで大会前に338位でワイルドカードから出場した18歳の女子選手が3回戦を勝ち上がって(だからすでにベスト16)、もうそろそろ4回戦ですか。
もう大盛り上がり。ツイッターでガンガン流れて来ます。


定期
Brahms - Piano Concerto No. 2


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ネットで非常にしばしば見かけるのが、
「自分で考えないといけない」という言説と「自分で考える前に勉強しないと(本を読まないと)いけない」というのがあるんだけど、普通考えながら勉強するんじゃないの?
終了。

いや、当然のこととしてなんの教養も知識もない人間が自分で考えるのは不可能だし、いくら本を読んでも医クラみたいな良識を欠いた人間は大量にいるわけで。
何回も言ってますが哲学の本を大量に読んでいたと思われる人間が、嫌韓本を読んでそのままレイシストになって桜井誠(通名)に心酔するんですから、読めばいいというものではないわけです。

世の中のトンデモだって、あれは別に自分で独自のものを考えたわけではないでしょうからね、ほとんどは。
EM菌だと、一生懸命EM菌をお勧めする自民党のクルクルパーはもちろんただの受け売りだし、最初にEM菌を考えたおかしな人はそりゃまあ自力で考えたんでしょうが、それだって何もないところから考えたわけではないし、
「水からの伝言」だって類似したものは昔からありますからね。

もちろん本は読まないより読んだほうが良いし、勉強はしないよりした方が良いに決まってます。
勉強しなかったグループと勉強したグループではおそらく前者の方がバカ度は高いでしょう。
ゆるい(負の)相関はあると思います(知らんけど)
本を読むにしたって勉強するにしたってどんな本をどう考えながら(感じながら)読むか、何をどう考えならが勉強するかですからね。
ちなみに、暗記なんてテスト向けなだけでほとんどは時間とともに忘れて行くわけで、あれは勉強とは言いません。

一応ネトウヨだって、時々は考えているんですよ。無駄に。
ネトウヨだって、勉強はするんですよ。保守速報とかで(笑)
最低限、読むモノは選ばないとね。

自称ライターとか、ジャーナリストとか本などは読んでいるはずですよね。
でもこの前書きましたけど、科学ライターって全然科学的じゃない。
そこの業界(笑)の偉い人とコネがあると言うレベルで、間違えまくっている人が多いですよね。
早野龍五をよいしょしてみたり、事前確率が低いと偽陽性が大量に出ると思っていたり(笑)

結局のところ、自分の責任で判断するということをしないと、自分で考えると言うことにはならんのですよ。
もちろんどんな事でも責任持てるわけではないですけどね。
わたくしだって物理学の素人なのに物理学者相手に物理の事で責任もって話が出来る事などほとんどないですよ。相手がキクマコみたいなどうしようもないのでもない限り。

しかし、社会問題、政治問題はほとんどの場合、判断出来ますよね。主権者として責任もって。
それが例えば、「行き過ぎたポリコレ」とか「行き過ぎた(あるいは、過激な)フェミニズム」とかいって、テキトーにお茶を濁して自体を一向に改善させる気のない人々がいますね。
何が正しいかという判断をほりゅうしているんですよね。空気を読んで。

もちろん行き過ぎることはよくないですよ。文字通り、ほぼ無意味なトートロジーのレベルでそりゃ行き過ぎたら良くないですよ(笑)
そんなことはサルでもわかります。
さらに、ポリコレという言葉の意味を考えると現実には「行き過ぎたポリコレ」というものは存在しないんですよ。行き過ぎたらポリコレにならんのです。
フェミニズムも同様で、男女平等にするのに行きすぎるということはないわけです。平等で止まるんですからね。
鍵括弧付きで「行き過ぎた『ポリコレ』」「行き過ぎた『フェミニズム』」というものだったらあるでしょうね。それは厳密にはポリコレでもフェミニズムない何かです。
まあ、「暴走する『正義』」みたいなものです。本当に正しい文字通りの正義はぼうしおうすることもないけど、ある人(たち)が「正義」と考えるものが常に正しいとは限らないので、暴走することはあるわけです。
あ、不正リコールにこれを使わないのは不思議ですね()

まあ、そういう言葉の意味は置いておいても、現実にじゃあ日本で「行き過ぎた『ポリコレ』」の様なものはあるのか、警戒が必要なのかというとほぼないですね。
ツイッターを見てみましょうか。
ツイッタージャパンほど、ポリコレが駄目なところはないです。
レイシストが取り締まられない。アカウントが消えない。
Q-Anonの中でもひどい人は英語圏では凍結しているんですが、ツイッタージャパンでのQ-Anonの上位(J-Anonですけど)は、ほぼ消えていません。
もうずっとですよね。
ナチ須なんて、あれでテレビのCMとか出れるわけですよ。時々メディアがコメント取ってますよね。
先進国なら有り得ないです。
表舞台にはいられないですよ。ヨーロッパの先進国では差別発言は犯罪だし、アメリカでは社会的にアウトです。大統領を除いて高い地位にいる人間があんなこと言ってたらアウトです。
百田も同様ですね。
どこにポリコレがあるのかと。
まるでポリコレなど存在しないような国に、「行き過ぎたポリコレ」の心配をする要素がどこにあるのかと。
ただのへたれ。ただのろくでなし。

「行き過ぎたフェミニズム」も笑いますね。ジェンダー平等ランクが121位の立派な国です()
完全に後進国です。そんな国で「行き過ぎたフェミニズム」の心配をしているのはただのミソジニー。
あれと同じようなものですね。「検査が足りないから増やせ」というと「闇雲な検査には反対です」というやつ。
言葉の意味でもアホですし、どこまでも足りていないんだから、そんな心配をする要素は一切ないです。
単なる検査妨害派でしかないということです。

一人前の大人であれば、善悪の判断は自分の責任でしなければいけないですよ。それが出来ない大人が多いのがニッポソ。
それも出来ないで世の中の風潮を侍の心がなくなったからだとかアホみたいな事を言って嘆いているのはお子様なのです。

ライターとして意見を述べるのであれば、「行き過ぎたフェミニズム」の心配をすべき状況なのか、そういう判断をしなければいけないのですよ。
単なる温~い逆張り一般論でしかないですからね。

当然、一般人よりも詳しいはずの医師や専門家として(一般人に対して)マウンティングしたいなら(笑)、闇雲な検査を心配するような状況か判断できないといけませんね。単なる一般論を語るのではなく。
あるいはGoToの成否や、今度は(海外からの)五輪関係者の入国条件を緩和する(待機などなしにするとか)という話が出ているんですが、まあ、専門家を名乗りたいならそういうことにちゃんと意見を述べられないといけないですね。
そのような判断を避けるのはど素人ですよね。


プレヴィンさん
André Previn Plays Gershwin

Holst - The Planets


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もちろんそういう人たちは居ます。中抜き平蔵とか、ハシゲ徹とか。
自分さえよければいいというタイプですね。
むしろ自分以外は滅びて欲しいぐらいに思っていそうでもあります。

アメリカだとトランプがその見本ですが、支持する奴がいるんですよね。それも大量に。
自分のことしか考えないのだから、トランプと彼によって直接利益を得られる以外の人間が支持するのは、根本的におかしいわけですよ。
でもいる。

維新もそうですよね。まあ、自民党政権がそもそもそうですが。
自分が儲かるわけでもないし(むしろ毟りとられてますね)、権力を行使できるわけでもないし、利益は無いのに自分のことしかない政治屋などを支持している。
理由は一応いろいろあるのでしょうが、簡単に言うとルサンチマンこじらせているということでしょう。

抑圧されているのでしょうね。特に脳が。
まあ、これも簡単に言うと頭が悪いってことですけど。
公正な社会だと自分が見はなされるような錯覚に陥るんですよ。
競争社会において、公正な競争をやったら、莫迦には過酷だと、そのように考えるのでしょうね。
そもそもの公正な社会自体を理解していないことによって生じる勘違いですが、何しろ莫迦だから。
(公正な社会だとそんなに競争だらけになりません。そんなに狭い世界のではないのです)

ルサンチマンこじらせてるから、弱者叩きの自民やハシゲや堀江や維新が大好きだし、一緒に叩いていると自分が強くなった気持ちになるんでしょうね。
莫迦だから。
もう手段を選ばなくなります。
アメリカが今そうですね。
トランプの支持者は、もう選挙を破壊してでもトランプに勝たせようとしています。
負けない限り大統領なんですね。いや、正確には負けたと宣言しない限り大統領なんですよね。
だから、選挙は不正だとか騒いだり、投票の妨害したりとにかく何でもやりますね。
ああいう実力行使は、自分が強くなったような錯覚も生むと思います。
「権力者側」ですし。
気持ちは実質的に白色テロみたいなものです。
ミニ白色テロ。

トランプの支持者は、BLMのデモの列なんかにもすぐ銃を持って脅しますけど、あれは武器を持ったら自分が強くなったような気がするんでしょうね。
脳筋の皆様なんですね。
JAバンクじゃないです。

いやしかし困ったことに、私はこういう人たちを説得する言葉を持っていないのですよ。
あ、その点でいうと山本太郎は優秀だね。
大阪での街宣もかなり効果があったと言われていますが、維新は最初から妨害しておいてそんなに影響があるとは思っていなかったとか意味不明な分析をしているんですね。
影響ないと思っていたなら妨害しないだろ。

まあ、維新はスガの仲間なので支離滅裂ですが、支持者は「そこにしびれる憧れるぅ」なんでしょうね。
支離滅裂なことを言ってもオッケーな立場になりたいんですよ。
莫迦だから。
筋の通ったこと言えないんですからね。そういう思考ができないですからね、あれらは。

だから出鱈目で支離滅裂な社会が好きなのでしょう。


Beethoven - Symphony No.3 "Eroica"
毎度。

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2本立て(笑)

こちらにクルクルパーな自民党の地方議員がいらっしゃるんですが、
差別されていない黒人
BLMの方々は「黒人」と一括りして「差別されている」と言っていますが、差別されていない黒人の皆様に失礼なのでは。
この場合は、差別する側の勝手な妄想ですが、
こうやって差別する側がそこにある差別をなかったことにして、差別のより「複雑」なものにするんですよ。
「差別されていない黒人の皆様に失礼」という発想がいじょうでしょ。それこそが差別意識そのものなんですが、こういう途方もないバカにはわからない。
このバカの考える「差別されている黒人」は、その黒人が「悪い」という事なんですよね。
そしてこいつの脳内での「差別されていない黒人」は「ぼくら差別されていない黒人は差別されている黒人と一緒にされちゃかなわないよね」と感じるだろうと思っているわけです。
驚きのバカですよね。
差別する方は黒人の中でも階層を作ってくれると楽なのでしょうけどね。
そうやって、構造を複雑にすることで差別する側はより安泰となるわけです。
そこに持ってきてわざわざ「彼らには世界の複雑さへの恐れがない。」と行動する人間を黙らせるカスがいるんですから、楽なもんですよ。
単に東浩紀にレイシストと対峙する勇気がないだけでしょ。
おそらく小学校の頃から、クラスでいじめが起きた時には、見て見ぬふりをしたり、一度もいじめられる側についたことがないのでしょうね。
ヘタレなのは仕方ないとして「バカは黙ってろ」ぐらいは言っておかないといけませんね。
これまでの主張をまとめると、「複雑で迂闊に語れないから、黙って差別と共存しよう」ですからね。

一方、差別されながら戦っている人もいます。
水原希子さん
私がいつ日本人感出しましたか?日本国籍じゃなかったら何か問題ありますか?29年間、日本で育って、日本で教育を受けてきました。何が問題なのか全く分かりません。
ちょっと人間のレベルが違いますね。
というかこんなあほな国で申し訳ないです。
リプ欄がすごいんですよ。
レイシストの山。そして、こいつらの多くが「日本に差別はない」と言っているのです。
これを共存しようなどと言ってしまう自称哲学者の知能の足りなさには驚きを禁じえません。

そもそも、差別でもしないと生きていけないバカが話を拗らせるから「複雑」になるんですよ。

2本目。
厚労省が抗体検査の結果を出したのですよね。
抗体保有調査結果
こんな感じ。
抗体の保有者率は
東京が0.1%、大阪が0.17%、宮城県が0.03%。

使われた2種類の検査キットの精度は
検査キットの精度
FDA申請時ですが、
Abbott 感度100% 、特異度99.6%
Roche 感度100%、特異度99.8%
この通りだとすると偽陰性はないが偽陽性はかすかにあるので、上のように両方で陽性になった人を抗体保有者としたんですね。

一応、精度がこうだとして、しかしこれだと抗体保有者がサンプル中に一人入るか入らないかでかなり数字が違ってしまいますね。
東京では1971人を検査して2人が保有者とみなされたと。(偽陽性が何人か居ることになっています)
東京だと、人口1400万人で、仮に1万4千人抗体保有者がいても、ランダムに2000人を選んで、その中に正確に2人だけ保有者が入るとは限らないわけです。
たまたま一人その中に紛れる可能性は結構あります。
一方、保有者が1.2万人でも1.6万人でも、だいたい2人になります。
例によって村中さんは精度が低くて意味がないなどと寝言を言っているんですが、精度はひくくないし、仮にもう少し低くても意味はあります。
東とかと似てますよね。
ネトウヨにはこういうの人気あるでしょう。
あ、村中さんはHPVワクチンに関する発言でだと思いますけど、名誉棄損で訴えられて2審で負けているんですね。(結審したかどうかは知りません)
まあ、言ってることひどいですからね。
あと、ミヤネ屋での肩書きから「京都大学」が消えたようです。

村中さんはともかくとして、選挙の出口調査だと2000人ぐらいサンプルがあれば十分ですが、さすがに0.1%の世界ではサンプルが少ないですね。
「1人」の影響が大きすぎ。
ただ、大阪が東京より多いのは何かリアルな感じもしましす(にっこり
数字そのままで、東京は1.4万人がこれまでに感染したと。
大阪はほぼ1.5万人。
宮城県は692人。
公表されている感染者は東京が5619人なので、
その2.5倍いる(いた)ことになります。
大阪が、1790人で、8.375倍。
宮城県は88人で、7.86倍。
東京が何か少ない感じですが(笑)

あ、大阪は希望はっとか言ってたっけ?それもね。
東京はサンプルをとったのが少ない地域だったと言っている人もいるんですが、ちょっとわかりません。

アルバムシリーズ。
Wings - Venus and Mars


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昨日は途中で出たエラーの中身に気がつかなくて、大混乱だったので、完全に中途半端かつばらばらですみません。
面倒なので、そのままにしておきます。
頭痛いし。

大阪はパチンコ屋がやたらと攻撃目標になっていましたが、東京はここにきて明らかに「夜の街」の人たちをターゲットとしましたね。
ホストクラブあたりは、イメージ的に叩きやすいでしょう。

ちょっと追加しておくと、東浩紀は「差別と共存する」という姿勢を打ち出した人間です。
休業要請はやりすぎた?
しかし、すべてのひとに寛容になれというリベラルの命法が、あまりに理想主義的で非現実的であることもたしかである。世の中には必ず犯罪者がいるように、一定数の差別主義者や排外主義者も必ずいる。それが現実というものであり、SNSはそれを可視化しただけだ。そのような現実とどう「共存」するか、民主主義には新しい知恵が求められている。
差別がなくなると困るんですよ。
だって、この前もレイシストたちと対談していましたよね。
ちなみに「すべてのひとに寛容になれ」などとはリベラルは言っていません。典型的な藁人形論法です。
藁人形論法は頭の悪い人がとても得意です。
犯罪者はいるけど、一般に犯罪者の存在は許容していませんよね。
基本的には捕まって罪を償います。まあ、捕まってないやつはたくさんいるけど。
同様に、レイシストの存在も許容する必要はありません。
だいたい東はレイシストを非難しないですからね。
この文章でもそうですが、常にカウンターにケチをつけているだけ。
だから実際にはどっちもどっちどころではなく、レイシストの味方というところですか。

それから、安倍様の味方でもあります。
「安倍政権の国家観が論外なのは自明であり、ぼくはそんなものを許容する気はいっさいないし、超迷惑にも思ってるけど、じゃあ安倍降ろしてだれを選べるのかってことですよ。そこなにもアイデアないのに「安倍おりろ!」ってのは、・・」
「ポスト安倍への期待も政権交代のビジョンもないのに、ただ安倍退陣を叫ぶほうがよほど無責任だと思うがね」

「代わりを用意しないで辞めろというのは~」というのは、ネトウヨのテンプレです。
いまだかつてダメな首相に「辞めろ」と言うのにいちいち代わりを用意した例など見たことがありません。
明らかに安倍支持者かその味方(笑)

それでですね、日本のてつがくファンは何を求めているのか、と言う話。
哲学ではなくて、アフォリズムとか哲学用語が好きなだけじゃないですかね。
昨日の「現実の複雑さを潜り抜けたうえで」というフレーズ、やはり気に入っていた人がいました。
以前にも、取り上げましたが、
「個人/実存レベルでの寛容は共感から出発するべきだけど、指数関数的に連鎖するマクロな社会というレベルでは寛容は一定の無関心から出発するしかしない。
こういうのを気に入ってあえてツイートしている人がいたんですが、これは中身がひどいんですよ。ひどいというか空っぽ。
最初からおかしいんだけど、「指数関数的に連鎖するマクロな社会」って、ドゥルーズ=ガタリの悪い影響でも受けたんですかね、というテキトーさ。
多分誰かがエクセルを使っているところでも見たんだろうけど。マクロ関数とか目に入ってちょっとフレーズ使っちゃった感じ?
すごく好意的に解釈しても、寛容が無関心から出発することはないのです。
明らかに言葉の使い方もしくは根本的な考え方が間違っているんですが、何かこうかっこいいからツイートしたくなったか、東の別アカか知らんけど、こういう変な言葉使いが好きな人がいるんですね。
だいたい、なんでも寛容・寛容、リベラル・リベラル言ってるのは、リベラルにケチをつけたいやつらだけで、
実際には、リベラルの主張は「人間に寛容な社会を作ろうね」というだけのことですからね。
個人レベルで「とにかく世の中のすべての人に常に寛容でいるのだ」とか言ってるのは、たただそこに文句を言いたいやつだけです。
安倍晋三や麻生太郎や高須克弥や百田尚樹に寛容になれるわけないだろ、アホか!
しかし、他者に関心を持つことは肝要です。
寛容な社会を作るには他者に関心を持つということから始めていきましょう(キリッ

東が住んでいる(笑)ポストモダン界隈は、ソーカルにコテンパンにやられたんですよね。
ソーカルは、別にポストモダン自体を、数式を使うこと自体を、比喩を使うこと自体を否定はしていないんですが、ポストモダン界隈でのそのあまりにいい加減な使い方を非難する目的でやったわけでしょ。
テキトーな比喩はやめましょうね。

哲学界では「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」(ニーチェ)だとか「語りえぬものについては沈黙しなければいけない」(ウィトゲンシュタイン」などのアフォリズムが多くて、まあ、かっこいいわけですね。
嫌いではないんですが、これはまずもって真理であることが重要なわけですからね。
なんかかっこいいこと言いました、で終わってはいけないのです。

こちらに東浩紀の仲間がいます。
現実
常々言ってるけど、21世紀は「人権」とか「自由」とか「平等」「正義」といった、一見人間にとって口当たりよく素晴らしいもののように思える概念との戦いの世紀になると思うんだよね。
大切にすべきは「現実」なんだよ。理念じゃない。

いや~、これぞ「リアリズム」ですね(大笑い)
「現実」なんて常にそこあるから別に大切にすることじゃないんですが、ちょっと脳が悪いのだと思います。
まあなんといいますか、ニッポソの自称リアリストの頭の悪さは尋常ではないんですが、こういう感じの「教育」が行き届いているのかな。
そんなに現実が大事なら「この手のツイートに賛同するやつは確実にものすごいバカなのでみんな粛清した方がいいよね」でいいと思うんですよね。
優生思想とかもそういう事なんです。
その場合、ドーキンズが真っ先に粛清対象になってしまいますが。
あ、別に粛清しろと言っているわけではないですからね。

おそらくは書いた本人やRTしている人々は、かっこいいと思っているのでしょう。

よく「経済優先」とかいう人がいますよね。自称リアリストで。
スウェーデン
スウェーデンの新型コロナ感染者数が1日最多に、死亡率も世界屈指
このように、その考えは間違っているわけです。
日本はこの30年、経済経済経済経済経済・・とずーっとやってきたわけですが、結果は完全な衰退国になってしまいました。
ま、そういうことなんですが、長くなるので明日かあもっとあとか。

昨日もちらっと書きましたが、
三浦瑠麗・東浩紀・小林よしのりが対談「しょぼいウイルスなのに全世界が大騒ぎ」
な人たち。
小林よしのりは差別と歴史修正主義でお金を稼いできたやつで、一時はリベラルに酔ったものの最近はまた本性をだしていますね。
三浦は平気でヘイトデマをながします。しかもソースは「デイリーメール」。
イギリスの東スポみたいなもので、そのソースが東スポの河童とか宇宙人みたいなのを扱う欄のやつですからね。
あほなレイシスト。
「しょぼいウイルスなのに全世界が大騒ぎ」といった発言はマウンティングしたいだけですよね。
バカ医者と似たようなもので、「おれはこんなことで騒ぐ一般人とは違う」といいたいだけ。
世界で確認分だけで43万人なくなってますね。

なぜかユーチューブを放置していると、必ずモーツァルトのピアノ協奏曲になるんですが、負けずに70年代の名アルバムシリーズで。(そんなシリーズはないんですが)
Kate Bush - The Kick Inside


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なんですか、ニッポソを代表する()ドッチモドッチャー・東浩紀が、また期待に違わない記事を。
「ゲンロン」のファン(?)の質問に答える形で何か書いています。
質問自体が東に都合がよくて見事な予定調和ですが。
リアリズムです。
最後ですが、自分で「リアリズムです。」と言ってしまっていますね。
ネトウヨや冷笑系は自分でリアリストだと言うんですよ。
そのまま。

でももう少し前の方から読んでみましょう。
引用:質問者の方は、いまは正義や真理について議論することが忌避されていると指摘している。けれども本当にそうでしょうか? 
ええ、確かに、世界的には正義や真理について議論することが忌避されているという事はないと思います。
むしろいまほど正義や真理が渇望され、ネットで話題になり、街頭で叫ばれているときはないのではないでしょうか?
世界的にはそうですが、ニッポソは全く違います。
質問者は、「大阪府・20代・男性・非会員」なのだそうで、特にニッポソの悪いところが凝縮された場所にいらっしゃるわけですけれども、
ニッポソの場合、議論自体は忌避していないんですが、正義が嫌いですからね。正義を語るといじめの加害者ににらまれるのでスルーするか一緒にじめるという姿勢が小学生のころから身についているリアリストが多いわけです。
まあ、東の場合は忌避していますけどね。
正義について一度も語ったことがないですよね。多分一生語らないでしょう。

原発は廃止するべきかどうかとなると、複雑すぎてうかつなことはいえません。
そうそう。原発に反対すると、とたんにネトウヨに叩かれるからね。
「複雑すぎてうかつなことはいえません」といえば何も言わずに済むんですね。ニッポソの「リアリスト」には万能です。

いや、簡単に言うと自信も知性も勇気もないバカは黙っていればいいんですよ。
それが家畜のリアリズムですよ。
いいと思います。
だけど、家畜の同調圧力はうざいんですよ。
以前にあったツイッタージャパン前のインスタレーションに、わざわざケチをつける意味はなんですかね。自らが語りえないことには沈黙していればいいいのです。それならいいですよ。
しかし、わざわざカウンターの方にケチをつける理由が全くわかりません。
前回の都知事選でレイシストであることが明らかになっていた小池百合子を支持したのだから、やはりそちらの人だと考えるのが妥当だろうと。

少し前ですが、検察庁法改悪などの件で、キャリーぱみゅぱみゅをはじめ、多くのタレント(?)が政治的発言(というか政権に都合の悪い発言)をしたら、叩かれましたね。
「勉強していないのに政治的発言をするのは~~」。
まるっきりのその世界ですよね。

人種問題も環境問題も香港問題も、本当はディテールが積み重なれば積み重なるほど、シンプルな答えを求めることができなくなる問題のはずです。
「問題のはずです」というのは、実際にそうかどうか考えたこともないということですね。
正義ってそんなに難しくないですよ。少なくとも「黒人差別やめろ」「在日差別やめろ」に、そんな複雑なものはないです。
いかにディテールが積み重なっても、結論はシンプルですよ。
少なくともジェンダー問題よりは圧倒的にシンプルです。
ただあまり考えたことないんでしょ。
算数が苦手な子には中学数学でも難しいと感じるでしょうし。

実にバカ医者と同じで東は「ぼくちゃんは哲学者だけど一般人はそんな思考力がないから難しいこと考えてもしょうがないよ」という感じですね。
実は自分がバカなだけ。
橋下が「実務を知らない学者」などと言うのと同じです。言わないだけで、思ってますよね。

でもそれは、現実の複雑さを潜り抜けたうえでこそ発する意味がある言葉であり、行う意味がある決定のはずです。だからぼくは、あれもこれもと、文脈関係がなくさまざまな問題に首を突っ込み続ける「リベラル」な「ポリコレ」には、きわめて懐疑的です。彼らには世界の複雑さへの恐れがない。彼らは「とにかく面白ければいい」ならぬ「とにかく正しければいい」という病にかかっている。このように指摘するのはポリコレ疲れでも冷笑でもありません。リアリズムです。

「リアリズムです」と単純に言えてしまうところが笑えますよね。
そこは複雑じゃないのか(笑)
東は確かにリアリストですよ。
ニッポソのリアリスト。
飼い主に好かれる家畜として現実的な生き方をしていると思います。
芸能人は政治の話をしないほうがリアリストとみなされますよね。同じです。
前回の東京都知事選ではレイシスト・小池百合子を支持したぐらい全くどうしようもなく倫理の欠如したニッポソのリアリストです。

だいたい全く分りもしないのに小林よしのりや三浦瑠麗と「しょぼいウイルスなのに全世界が大騒ぎ」などと偉そうに語ってバカにしていた豚野郎さんですよ。
なんで、原発や正義はろくに語れないのかな?

一応彼は哲学者を名乗っているからいいますけど、哲学と言うのは考えることにつきるわけです。
真偽を自分の脳で判断し、いかに複雑であってでも善悪を徹底的に語りつくしてこそ哲学です。
特に正義は語らなければならないのですよ。
間違えがこわいのかな?どうせ間違えたって東のようなやつは「誰にでも間違いはある」と開き直るだけですよね。
でも、やらない。能力的にやれないということでしょう。

「歌手」がステージに上がって自分が歌わない(実は歌えない)理由を延々と語るこの見苦しさは何ですかね。
単純に「歌が下手なのです」とか「問題を解く能力がありません」とか正直に言えばいいだけなんですけど。
まあ面白いのは、こういうものを好むものがいると言う事です。正義が大嫌いなのでしょうね。

たぶん「現実の複雑さを潜り抜けたうえで」といった表現が「かっこいい」と思う人なのだと思います。
悪いけど、正確ではないので却下です。
東が随筆家ならまあ面白い表現で済むでしょうが、哲学者ですよ。正確でないものは全部却下。
摺り抜けていては何も解決しません。

久しぶりにこれ。
Chopin - Piano Concerto No. 1


すみません。ミスってしまって最終的な投稿時間が遅くなってしまいました。

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何ですか日本語の wikipedia の超人とか畜群などのページが滅茶苦茶テキトーなんですが、大丈夫かねあれ?
誰か有志が訂正した方がいいのでは?
それはそれとしてニーチェが民主主義を理解していたとは思えないので、現代の民主主義社会にその思想をあてはめようというのが無理じゃね?

今日はより一層具合が悪いので、超手短に。鼻と喉が治らないし頭痛がひどいんです。
鼻と喉がこんなに長期間おかしい事は過去にないんですが。30日続いてますよ。
そういうわけで「哲学」を真面目にやる気はありません。

ただ安倍君とか吉村(あるいは橋下とかでもいいけど)を支持しちゃってるのは明らかに畜群ですよね。
僕らは曲がりなりにも民主主義の社会で主権者として生きていますが、彼らの支持者は全くそうではないですからね。
安倍や吉村が強権発動すると大喜び。
安倍なんて完全に無能だし露骨にヒトデナシなんですが、あれを支持するってちょっと人間としておかしいですよね。
直接政府からおカネもらっているやつは、まあ、そりゃ支持するだろうけど、そうじゃないのに支持するのは、「安倍さんなら韓国や中国をぎゃふんと言わせてくれる」とかそういうレベルの妄想を抱いているんでしょ。
まあ、ネトウヨを見ているとそういう感じだし、何も知らない普通の日本人もなんとなくそれに近いですね。

吉村なんて仕事しないでテレビに出まくっているわけですが(あれは暇人か?)、維新は基本的に弱い者いじめで人気をとってきたわけで、それで何かしら強そうに見えるんでししょうね。
政府もですが、大阪府市は吉本興業にそうとうつぎ込んでますよね。
それで偽の人気を(税金で)買っているわけですね。
「一見強そう」というだけなんですよ。

一応、「強さにあこがれる」のはいいですよ。
おかしくないです。でもそれは自分が強くなることでしょうが。
強そうなやつを持ち上げたって強くならないよ。アホなだけです。
しかも、実際にはその強そうなやつは全く強くもなく完全に無能ですからね。
ああ、ネットのレイシストが大好きな黄文雄というやつが、民主主義や社会主義は奴隷(畜群)道徳だといっていましたが(変な言い方だけど本人の表現がテキトーなのでこうなる)、
アホな独裁者を持ちあげて太鼓持ちのようにあるいは犬のように生きているほうがよほど畜群ですやん。
安倍一味が「韓国が~」、吉村が「パチンコ屋が~」などと犬笛を吹くと一斉に攻撃するんですよね、畜群は。
安倍の支持者なんてただ安倍に従っているだけでしょ。ちょっと脳が悪すぎると思うんですが、生きていて恥ずかしくならないんですかね。
まあ、そんな感情もないか。
「君主道徳」って言うなら、独裁者が出てきたら「彼取りて代わるべきなり」しかないでしょ。

本日の安倍君
ルイ14世とルイ16世。
ルイ14世とルイ16世。
だいたい37秒あたりから見るとわかります。
ルイ14世とルイ16世は間違えないだろ。
配偶者がアキエ・アントワネットだから、どうしてもそこに行っちゃうんだろうかね(笑)

一方、吉村
「雨がっぱで治療はデマ」吉村知事
「雨がっぱで治療はデマ」吉村知事、ネット上での不正確な情報発信に苦言
はあ?誰が防護服の代わりに雨がっぱ集めたんだよ。何で雨がっぱが美談になってるんだ?
散々利用して批判浴びたら「デマ」になるんだ。
この「苦言」という記事の書き方も情けないけど。
最近は橋下や吉村を持ち上げる記事が出回ってますからね。
あ、ちょっと話がそれましたが、
松井一郎は、
善意の雨がっぱ医療現場へ
ご寄付頂いたみなさん、大切に活用させて頂いております。ありがとうございます。
活用してる言うとるで。どないすんねん。
それに、リプ欄には「姉の病院」で使っているとか書いてますよね。
他にも維新の信者がキモいですが、デマなのか?吉村君。

Day 28 : A song by an artist whose voice you love.
声が大好きなアーティストの曲。
カレンさんですよ。
Carpenters - I Can Dream, Can't I?

Carpenters - Happy

ヤネチコバさんも。
Mozart - Laudate Dominum



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