というかその前に、ご心配をおかけしたようで、すいませんでした。
先週からの流れとしては、
時間がない
↓
異常に眠い
↓
具合悪い
という感じで、今週もなぜかこの時間帯になると気分が悪くなるというということが続きまして。
昼間などは、そんなに調子悪くないんですが。
で、続きの続きです。
今日は、一見、思想・信条(?)に関する話が含まれます。
思想・信条関係の話は今まで出来るだけ避けてきました。
いろいろな考えの人がいるし、まあ、それでいいと思うからなんですが、今回も、正確にはその話ではなくて、一見、それっぽいものが含まれていると言うだけなんですが。
長いです。(って、見ればわかりますけど)
いじめがどうのこうのっていうか、学校の問題ですよね。
怪物親とか、その対応とか、それも含めての事なかれ主義とかは前回うだうだと書いたのですが、
あとは組合と対組合の人々ですね。
組合についてはずいぶん極端な人がいるようですね。
どこかでは校長が国旗を揚げようとするのを力ずくで阻止したとか。
意味がわからないですよね。こういうのは思想信条の押し付けですからね。
あとは、北教組みたいに、裏で選挙資金を提供したとか。なんやそれ。
こういうのは完全に勘違いしている人たちなんですが、、、
一方、君が代・国旗に関するあれは、そういう組合への対抗策であって、子供のこととは関係ないですよね。
大人の縄張り争いみたいなもんでしょ。
君が代を歌うか歌わないかなんてことは、先生としての資質とは別の話なわけで。
学校の先生ではないけれど、もし自分だったら、と考えると、
まず国旗に向かって起立することについては、なんだかなあ。
子供のとき、ソ連とかがこんな感じで嫌だなあ、って思ってました。
(確か、スタニスワフ・レムの「金星応答なし」にみんなが起立する場面が。国旗に対してではないけど)
見事な(見かけの)ナショナリズムというかね。今は、日本がそういう国なのかなあっと。
日本は旧ソ連や中国みたいな国でいいんでしょうかね。
君が代については、この歌を歌うこと自体には何の抵抗もないです。
でも、強制されるとなるとね。それが嫌ですけどね。
問題はそこ。
上でも書いてるけど、先生の資質とは関係ないんですよ。
それを評価の対象にしたり、それでふるいにかけるなんてことは、教育の質を落とすだけでしょう。
先生は子供のことをちゃんと考えて行動することが大事なのであります。
そもそも強制されて君が代を歌うことに、どのような意味があるんでしょう。
歌えば愛国心があることになる?いいえ。
愛国心がなくても歌えばオッケーってことですよね。
命令に従うことが重要なんでしょうか。
歌わないと自分の評価が悪くなりますからね。愛国心があるんだかどうだかわかんないよね。
そうすると、こうやって強制的に歌わせている人間に、そもそも愛国心があるのか疑問ですよね。(たぶん、そんなものはない)
仮に、純粋な愛国心というものがあるとすれば、強制によって全て台無しになってしまうわけです。
本当に心の底から国を愛し、喜んで君が代を歌う先生がいるとしますね。
ところが、その人は、評価が下がっちゃ困るから仕方なく歌う人々と同列になるのです。
強制している人は、天皇陛下や国家を利用して自分の支配欲を満たしたいだけにしか見えないですけどね。
ただ威張りたいだけ。でも、本人は偉くないから、他の何かを利用するんでしょうかね。
それと、先生に愛国心がないといけないのか、ということもありますね。
だって、生徒のことを考えてちゃんとお仕事してくれればいいのだから。
(そもそも「愛国心て何?」という大いなる疑問が)
ま、評価が大事だからという理由で歌う先生は、基本、事なかれ主義ということになるでしょう。
(もちろん、仕方なく歌う先生がみんな評価を気にして、という話ではありません。)
大阪で、卒業式において君が代を歌わずに敢えて退場した先生が10人いたそうです。
どのような思想や性格の持ち主かはわかりませんが、少なくとも事なかれ主義でないことは間違いないでしょう。
処分は覚悟の上なんですからね。
ま、教育の現場なのに、大人同士が張り合ってる時点で、なんのこっちゃなわけですよ。
教育なんて、国家が国家の未来のためにやるのではなくて(ま、結果的には国家のためになるだろうけれども)、人類が人類の未来のためにやるものであって、組合の都合も、歪んだナショナリズムも邪魔なだけでしょ。
ちょっと大上段にいってみますた。
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