東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

北穂高岳から涸沢岳

2022-07-09 | バイク・山歩き
北穂(北穂高岳)山頂にて
槍ヶ岳と大キレットが見える

北穂から涸沢岳に至るルートは難所と言われる。槍ヶ岳から大キレットを通過し北穂に至り涸沢岳を通って奥穂高岳(奥穂)に至るルートを通ったのは、子供が生まれる前なので随分と昔のことだ。その時もただ一人(ソロ)だった。当時は雲が上がってきて視界が良くなかった。景色も見えずガムシャラに登った記憶しかない。                    

今回は最早梅雨が明けたので、北穂から涸沢岳のルートを通るチャンスをうかがっていた。一応はピッケルとアイゼンを持参した。北穂直下の急勾配の斜面に残雪があったが、北穂小屋の方がステップを切っておられアイゼンを装着しないで通過できた。いつも有り難いことと感謝しています。

北穂・涸沢岳ルートは西穂・奥穂と同じように高度感があり、今回のルートは大まかには最低コルまでの下りと登りだけだが、実際には細かなアップダウンが多い。滝谷側はすっぱりと切れ落ちていて絶景です。

涸沢ヒュッテを出発して北穂から涸沢岳に至り穂高岳山荘に至るまでのコースで出会った人は若いソロの男性ただ一人だった。朝の出発で涸沢のテント場付近で声をかけたとき、彼は奥穂からジャンダルム方面に行くものと錯覚していたが、北穂から涸沢岳の断崖絶壁で、いきなり反対の涸沢岳側の岩影から人が現れたので少し驚いた。
「やあ、今朝の人ですね。」
「奥穂から涸沢岳を回って来たのですが、誰にも会わなかったです。」
「私もあなたに会うのがこのコースで最初です。こんないい天気なのに珍しいですね。」
「まずは気をつけて。」
「気を抜かないで、慎重に慎重に!」
などと幅1メートル程度の狭いテラスで声を掛け合い、すれ違い別れた。

若いころ登降は無我夢中だった。今では、足を滑らせばあの辺で止まるとか、万が一に落ちて発見されなければ7年間保険が出ない、よくも今まで生き延びたものだ、ガムシャラに働いているうちに時間は経過した、人間の一生とは何だろう、遊びも命懸けだ、ヒマラヤやスイスもいいだろうな、親孝行をしておけば良かった、卒業生は元気かな、もう少し社会貢献も必要かな、それにしても高度感がある、まずは三点確保で、などと雑念が次々に出る。


北穂から涸沢岳の稜線
左下の雪面にステップが切られている



滝谷側は切れ落ちている
柱状節理も見える
これも造山運動による


前穂北尾根が見える

北尾根五六のコルを詰めて、ザイルほか装備一式は携行していたが結局はフリーで登下降し、前穂山頂まで登った。あそこをソロで登ったときは夢中だった。それが青春の最後。


ときおり出会う花が緊張感を癒やしてくれる




ルートには白丸印がある
もちろん悪天候では危ない


雲が湧いてきた

涸沢岳へ最後の登り
宿泊は穂高岳山荘

終点は河童橋

さて安倍元首相が襲われた時刻は、翌日私が本谷橋から横尾山荘に向かって下山していたときのようだ。その後、亡くなられたとのニュースが入った。痛恨の極みだ。何と言うことだろう。党利党略が渦巻く中でも、日本のこと、国防のこと、憲法のこと、拉致被害者のことなど深く考え実行し、国際的にも日本の立場を明確に示し認知され、いちばん優れた政治家です。謹んで深くお悔やみ申し上げます。


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