東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

米軍沖縄上陸4月1日

2021-04-10 | 歴史散歩
 沖縄本島に米軍が上陸したのは4月1日1945年(昭和20年)のことだ。その時期には日本軍は制空権と制海権ともに既に失っており、艦砲射撃による膨大な砲撃を受けた。
 
 4月1日朝、アメリカ軍は守備の薄い本島中西部読谷村付近に、第7・第96歩兵師団と第1・第6海兵師団による上陸を開始した。戦艦10隻、巡洋艦9隻、駆逐艦23隻、砲艇177隻が援護射撃をし、127mm以上の大口径の砲弾4万4千発、ロケット弾3万3千発、迫撃砲弾2万2千発が撃ち込まれた。(Wikipedia)

 4月1日に上陸後は中部を起点にして北方と南方に進撃し、北方は辺戸岬に4月13日、南方は6月21日にひめゆりの塔がある喜屋武岬の地域に到達している。この間3ヶ月近くわたり凄惨な戦闘があった。
戦死者は軍民あわせて20万人を超した。沖縄住民の死者は9万4千人になった。沖縄県の人口は当時45万人ほどなので4から5人に1人が亡くなったことになる。

 戦後の教育では近代の日本史にはほとんど触れられず、広島、長崎は知っているものの沖縄戦や東京大空襲、地方都市や軍事施設の空襲についての認識は高くない。母親は大阪大空襲で亡くなった自身の祖父のことを、忘れたころに沈んだように遠くを見て語ったことを記憶している。







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