當麻寺(たいまでら)は奈良県葛城市にあり、最寄り駅は近鉄南大阪線の当麻寺駅(たいまでらえき)で、お寺は駅から西約1kmの位置にある。當麻寺は現代風には当麻寺と略字を用いているようだ。
西暦612年に聖徳太子の弟の麻呂子親王が河内交野郡山田郷に萬宝蔵院禅林寺を草創された寺を、その70年後に麻呂子親王の孫にあたる當麻国見が現地に遷造した。681年に起工して685年に完成したと伝えられ、白鳳末期から天平初期に建立され金堂、講堂、千手堂、東西両塔その他七堂伽藍を完成し、百済の恵灌僧正を導師とし當麻寺と改めたそうだ。
飛鳥時代は、広義には飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)にかけての118年間、狭義には聖徳太子が摂政になった593年から藤原京への遷都が完了した694年にかけての102年間という。當麻寺は飛鳥時代の後期の寺院である。参詣当日に當麻寺の僧侶に伺ったところ、まだ不明のところもあり、その歴史は研究対象になっているそうだ。また當麻寺中之坊は奈良時代の中将姫ゆかりの僧坊であり女性にも人気がある。
當麻寺は金剛山地の二上山の東側にあり、法隆寺は比較的近い位置にある。地元の人なら当然御存知のことでしょうが、大和の国南部と大阪南部の境界には高い山が途切れ現在は鉄道線路が幾つか通っていて、當麻寺のある奈良県葛城市は大阪府柏原、羽曳野、藤井寺市などと隣接している。重要なことは大和の飛鳥地方から大阪市南部へ大和川が流れ込んでいる。大阪の上本町六丁目から奈良に繋がる近鉄電車は生駒山地をトンネルで潜り抜けていくイメージがあるので、大阪と奈良は生駒山地で隔離したイメージがあるが、生駒山地と金剛山地の間には大和川が流れ、飛鳥と大阪は比較的容易に移動できることを、恥ずかしながら小生はやっと気付いた。
さて、當麻寺と近鉄当麻寺駅との間には葛城市相撲館「けはや座」がある。當麻は日本書紀にあるように国技・相撲の発祥の地だ。第11代垂仁天皇七年七月(3世紀後半から4世紀前半ごろと推定)に大和の国當麻邑(たいまむら)の當麻蹶速(たいまけはや)と出雲の国の野見宿禰(のみすくね)が垂仁天皇の前で力比べの相撲で競った。これが天覧相撲の始まりとされている。勝負の結果は大和の當麻蹶速が出雲の野見宿禰に敗れて命を落とし、當麻蹶速の領地が野見宿禰に与えられたという。つまり大和の土地を出雲の勝者に与えたということになる。古代の日本は西方から武力に勝る集団による進出があり人材も流れ込んできたという。最終的には大和の勢力は関東や東北にも及び、東国の古い歴史は大和朝廷の歴史に上書きされ、日本は曲がりなりにも統一され、文字もなかったことから地元古来の歴史はほとんど残っていないことになるのでしょう。日本の天皇の時代は変遷しながら脈々と続いている。日本の歴史を振り返り、日本の国を守ることを真剣に考えるにはいい機会です。
平成は今日で終わり、明日から令和の時代になる。