東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

朝の散歩 単独行

2008-11-09 | Weblog
 朝の散歩は気の向くままに歩きます。うちの近くを鉄道が通っているものですから踏切の信号により歩行が寸断され、かなり閉塞感を生じることがあります。特に貨物列車が通るときは長い中断を強いられます。そこで気分によっては丘陵の方へ向かいます。そこには外人墓地があります。モモコと一緒に展望台に登ります。秋になると視界が広がり、360度全角の眺望が得られます。右側には仙台港の開水路が朝日を鏡のように反射させ赤く光る海が見えます。左側には泉ヶ岳から蔵王連峰の不忘山まで一望できます。仙台市内のビル群も見渡すことができ、太白山の小さな三角形の円錐も見えます。

 学生時代に大きな影響を受けた友人がいた。互いに下宿を行き来し、夜を徹して山の単独行の話を聞いた。安いウイスキーを痛飲した。私は仙台を去って関西に帰り、大学院へ行った。しかし彼の影響が大きかったのか、その後、六甲山の沢登りとロッククライミングから始まり、横浜に就職してからは丹沢の沢登り、そして北アルプスを中心に私は単独行を繰返した。若かったのだろうか、単独行者を強く意識した。加藤文太郎、長谷川恒男、植村直己、小西政継、東工大の下嶋浩先生、みんな格闘して自分を解放し、そして山に散った。彼らも本望であったのか。
 私は北アルプス、八ヶ岳、南アルプス、富士山などを巡り歩いた。最後の山行きらしいものは槍ヶ岳の北鎌尾根だった。北鎌を狙い千天の出合いに一人でツェルトを張ったが、漆黒の闇の中、熊らしき獣が周囲を荒らし、恐怖で身が硬直して一睡もできず、翌朝はフラフラでとてもアタックする気にはなれず、一般の山道を歩いて槍ヶ岳に登った。また1月成人の日、厳冬の富士ではガリガリの氷壁、とんでもない強風で体が舞い上がって耐え切れず8合目付近で撃退され、完敗だった。その日は山中湖の岸辺のボートが凍結した湖面の氷上を対岸まで滑り去ったという暴風の日だった。その後、子供が生まれ、厳しい山歩きをしなくなった。

 学生時代の彼は求道僧のような生来の単独行者だった。彼とは一緒に山へ行ったことがなかった。そんな彼がおだやかな表情をして天国へ旅立った。

 外人墓地には希望の聖母子像があります。母なるマリアが我が子を持ち上げています。子供には永遠の命があります。そこで短い感謝の祈りをします。そしてつい最近、旅立った彼のことを思い出し、南の空に向かって祈ります。いい奴だったと・・・。
 
 人生は短かし、されどひとは人の心の内に生きる。

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