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東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

ココヘリ

2020-03-19 | Weblog
泉ヶ岳から北泉ヶ岳を望む
背後には船形山
その向こうの彼方は山形県。

ココヘリに入会した。保険の一種。GPS発信機能あり。
万一遭難した場合はヘリコプターに位置を知らせる。先輩のFBで情報を得た。
ソロのワンダラーには心強い。






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特急ひたち

2020-03-02 | Weblog
仙台駅で見かけた。常磐線は3月14日全線開通する。




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田村優 スーパーゴール

2020-01-27 | Weblog
久しぶりに三沢球技場に行った。キャノン対NEC

キャノンの10番田村優を見た。昨年のラグビーワールドカップの日本代表だ。
トライの後角度のない位置からコンバージョンを5本、10mライン付近からのペナルティゴールを1本、いずれも30〜40mのキックを全て決めた。

6本のキック、成功率は100%、神技だ。さすが日本代表、いいものを見た!凄い!














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世に棲む日々(R)

2020-01-25 | Weblog

伊豆の下田は梅が開花しました。北の国ではこれから積雪が増えそうだ***

吉田松陰は脱藩して、国防の要である津軽海峡の龍飛岬まで視察に行った。黒船来航の折には浦賀に見に行った。最後には下田まで来た。

伊豆半島の先端の下田にて米国ペリーと幕府の交渉に米国艦隊が来た時は、下田港の海岸から少し離れた艦船に向けて、吉田松陰と金子重輔の2人は海岸から小舟で漕ぎ出し乗艦し、渡米を懇願したが結局は艦兵に捕縛された。

ペリーにとって下田で幕府と通商交渉をしている最中で大事なときなので、やっかいな日本人2人が紛れ込んで来たとの認識で、幕府に引き渡してしまう。2人は江戸へ移送され、運悪く安政の大獄になり、最後は斬首される。

吉田松陰の物語は薩長が明治政府の主導権を握ったので、ご承知のように維新の大功労者として有名になった。その先進性と飛躍する論理と行動は、長州の追随する火薬を内蔵した若者たちを更に点火して、ブースターの如く維新へと加速させた。

下田に来ると、ことさらに日本の転換期のころを実感する。















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伊豆沼の渡り鳥

2019-12-23 | Weblog
伊豆沼は渡り鳥が数多く飛来する。
ハクチョウが水に浮かんで昼寝している。
訓練のウォーキングで伊豆沼を一周した。約3時間 21,000歩。






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ダリ 諸橋近代美術館

2019-11-27 | Weblog







諸橋近代美術館は裏磐梯、磐梯高原にある。景勝地にあり、先週まで開館していて、冬季は休館、春まで再開しないということなので、先日アタフタと磐梯山の裏まで車で行った。

この美術館はサルバドール・ダリのコレクションが凄いと大学の同期生達が推奨していたので訪問することにした。

美術館はダリの作品を400点近く保有しており、その極一部を展示していた。ダリは原子核や量子力学、生命科学なども理解して作品に取り入れていると言われ、絵画はもちろん彫刻も素晴らしく、そういうことか、なるほどと思う。

絵画や彫刻が写真と違うのは、写実はもちろんだが、想像や空間と時間までも取り込んで自分の創造を盛り込むことができるということを改めて認識した。

それにしても、ダリは写実の実力はもちろん凄いが、その上にデフォルメも飛躍して、なおかつ時間を自分流に変換しており、宇宙の空間の歪みを何十年も前から具体化していることに、ボクは深く感動した。


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磐梯山 野口英世

2019-11-21 | Weblog
磐梯山には雪が***

志を得ざれば 再び此の地を踏まず

野口英世は30代後半に一度だけ故郷の猪苗代に帰ったという。潔い決意だ。51歳他界。









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青麻神社

2019-11-13 | Weblog



もう七五三の季節です。
青麻神社の周辺までサイクリング。

青麻神社の歴史は西暦852年に山城の国から来た穂積氏が祀ったのが始まりという。山城というと京都ですね。
多賀城は724年、
胆沢城は802年、
貞観の大津波は869年。

2011年の震災で被害を受けたので自宅を建て替えた。その棟上げ式にはこの青麻神社の神官にお祓いをお願いした。慣習に従い、地元の人々が集まり屋根の上から餅まきもした。

子ども時代に餅まきに行ったことがある。生まれ故郷の淡路の富島と同じことをするのだなと思った。


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渡り鳥の季節

2019-10-21 | Weblog


先週のことですが、青空高く鳥の群れが飛んでいました。かなり高空を群れ飛んでいます。最初はカラスの群れかと思いました。

よく見ると白いので鳩かとも思いましたが、クェークェーと聴き慣れた鳴き声がして、少し崩れていながら編隊を組んでいます。そうです、伊豆沼に来る白鳥と同じ鳴き声です。白鳥の鳴き声はおよそ白鳥の湖のイメージとは違いますが、慣れると親しみ深い声です。渡り鳥の季節になりました。

紺碧の空に白鳥鳴き来たり 歳々
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台風が通り過ぎて

2019-10-18 | Weblog
  

 今月12日土曜日の夜半に台風による大雨があったが、台風の通過後13日の日曜日の明け方には青空が見えた。当日の朝の時点では被害が大きくないだろうと感じたので、ロードバイクでサイクリングに出掛けた。

  近くの様子を見ると、確かに稲刈りの終わった後の田んぼは池のように冠水していたが、近隣の住宅地の被害は見られなかった。台風の通過後、時間が経過するにつれて全国で大雨による被害が明らかになった。水害が明確になるには時間遅れがある。 

 海岸に向かった。8年前の大津波のことを思い出した。この海岸付近には心理的に抵抗があったので、来られるようになったのは震災後の数年経過してからだ。 

 家内の叔母が亡くなった現地を通ったときには跡地に向かって祈った。当時は海岸から500m以上離れた高台に住んでおられた。平地から7〜8mの高低差がある高台だ。津波は3月11日。その後の携帯電話の音信不通は長く続いた。 

 震災後数日経ってから、鳴子温泉で女将をやっている義姉から、津波で大変だったでしょう、叔母さんにそろそろ温泉にでもと誘ってください、と言われたので海岸の現地へ行った。ところが現地の高台に行ったがあるべき場所に家がない。夏休みに海の家のようにお世話になった家がない。海水浴に行くと叔母さんに冷やしたスイカを御馳走になった家がなくなっていた。20〜30mほど後ろにある近くの方に伺ったところ、ああそのお宅は津波にさらわれましたね、と淡々と無表情に話された。念のため高台の下にある車庫に行き、津波を被った軽自動車の中を恐る恐る覗いてみた。もし居たらどうしょうと車内を覗いてみたが、軽自動車の中には人影はなかった。役場に行くと安否確認や張り紙と殺気立った人の喧騒で溢れていた。結局、遺体が発見されたと連絡があったのは3月の末だった。

  今回の台風で被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げお祈り致します。


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